プロローグ 第3話

「なんだ馬鹿弟子じゃないか、報告ならさっさと入ってこればいいのに」

 引っ張りこまれた先、書類が山のように積まれた机の向こうでなんだか文句を言われている。くだんの人物は、きちんと用件は告げたはずなのに、どうやら聞いてなかったらしい。

 ぼさぼさの金髪に上下お揃いのくたくたジャージ、ちゃんと整えればそれなりの容姿はしているのだが、忙しさにかまけてそういうところまで手が回っていないのはいつものことだ。

 ————彼女が世界で四人目、現在存命しているただ一人の魔法使い。この島の管理者であり、俺の師である。

「はいはい、すぐに入ってこない馬鹿弟子でわるうございましたよ」

「なんだその態度、美人なお師匠様に会えてうれしくないのか」

「別に全然うれしく————、いえ、とっても嬉しいです!嬉しくてたまらないので、その手をおろしてくださいよ」

 理不尽に怒られた腹いせに連れない態度をとったにはいいが、言葉ではなく動きによるおどしをかけられ、一瞬で態度を改めることになった。だって、右手に部屋を吹き飛ばすには十分なほどの魔力をためてるんだもん。改めるしかないじゃないじゃないか。これで管理塔全体に不具合が起きようものなら、師匠じゃなくって俺が怒られる。


「————師匠、アルをあんまりいじめないでください」


 背後から涼し気な鈴のような声が響いた。そのたった一言で部屋の中の温度が数度下がった気さえした。

 気配もなく、突然現れたその声に驚きそうなものだが、驚きはなかった。いるのは知っていたし、いなかったら現れるとおもっていたからだ。

 聞きなれたその声の主が誰だかはわかっているが、一応確認のために、下げる寸前になっていた顔を上げた。————そして息をのんだ。


 腰まで届くほど長くてまっすぐな黒髪。吸い込まれるような蒼い瞳に長いまつげが添えられ、すっと通ったきれいな鼻筋に桜の花びらのような唇。……なんて自分らしくないほどに言葉を重ねてみたが、端的に言えば超美人。

 俺が知る限り彼女以上の美人は見たことがない。女性的な凹凸が少ないのだけが欠点だというやつもいるが、それは“分かってない”やつの意見だ。聞くに値しない。

「よお、シオン、ただいま」

「おかえりなさい、アル」

 シオンと呼びかけられた少女は俺の声に顔をほころばせた。そのまま俺の隣まで来ると師匠の方に向き直り、

「師匠も人が悪いですよ。今日は早く書類仕事が終わったから、今からゲーム三昧だって言っておきながら、アルが来た瞬間に機嫌が悪いふりをするなんて」

「いやー、面白い反応するから、ついな」

 シオンに叱責しっせきされるも師匠はケラケラ笑うだけで全くに気にしている様子はない。こういう会話は日常茶飯事なのだ。どうせ反省などしないので、ここにやってきた用件をさっさと済ませてしまおう。

「……そろそろ、今回の報告してもいいですか」

「ああ、そういえばそんな要件だったな。……ちょっと待て、たしかこの辺に……、おっ、これ、こんなところにあったのか。じゃあ、これにするか」

 報告を始めようとすると、師匠はドカッと勢いよく椅子に座りなおし、資料の山の中に埋まっていたゲーム機をサルベージしてやり始めた。

 普通に考えれば大事な報告中にゲームなどしているのはどうかと思うが、いつものことなので慣れてしまって特に何も感じなくなってしまった。どうせシオンが資料にまとめるから、師匠が聞き逃しても問題はないしな。……なら、ここに報告しに来る必要なくない?

「単刀直入に結果から、報告書で送った通りあのマジシャンはシロ。しっかり種も仕掛けもあるマジックでした。全くの無駄骨でしたよ」

「ふーん、その割には帰りが遅かったじゃないか。どっか寄り道でもしてたか?」

「……追加で宝石強盗の逮捕とかいろいろ押し付けられましたからね。銀行強盗なんて一般の警察機構に任せればいいのに、なんで協力しなくっちゃいけないんですか」

「そういえば、そんな仕事振ってたっけ?どうせ近くにいたんだから、ついでだろ、ついで。売れるときに恩は売っておくもんだしな。今頃、向こうの警察もお前に感謝してるよ」

 会話しながらも手に持ったゲーム機から視線はそらさず、手が止まることはない。今、しゃべっている内容だってあんまりあてにならない。たぶん、明日になったら覚えてないだろう。

「ただ別件が一件、そのマジシャンが出ていたテレビ番組に一緒に出ていたアイドルがちょっと興味深くて。その娘のライブに行った後、不思議なほどに体調がよくなったり、数日間体が羽のように軽くなったとか」

「なんだよ、それ。ただ単に推しのアイドルに会ってテンション爆上がり、人生ルンルン♪みたいな話じゃないのか?」

「師匠、すみません、ちょっと何言ってるかわかんないです。……なんでもライブによって効果のあるなしがあるようで、最近だとそれ目当てでライブに通う不埒ふらちな客もいたりいなかったりするとからしいです」

 報告を聞いた師匠はゲーム機の奥で唇の端をつりあげた。あきらかに何か悪いことを思いついた時の顔だ。

「よし!じゃあ調べさせてみるか。違ってたら、お前の給料から経費分差っ引いとくから」

「はあ!?マジで言ってますか?ただでさえ薄給なんですから、給料無くなっちゃいますよ!」

「……それはそれで喜ぶ奴もいるけどな」

 いやらしいほどにやけた師匠の視線の先には、シオンの姿があった。のだが、彼女はそんなことは全く気にせず、じっと俺の方を見ていた。————その理由はよくわかっていた。

「アル、大丈夫。二人分の生活費も貯金も十分にある。今すぐに結婚したって養ってあげられる」

 視線一つほど違う顔をぐっと近づけてくると、シオンは真剣な表情でそう言ってのけた。

 この時点で察しはついているだろうが、シオンは俺に好意を抱いている。しかもそれなりに重たい感じのやつだ。惚れられた理由はわかりきっており、それは俺の過去の過ちのためなのだが、いま語るにはすこし長すぎる。

 そういうこともあって、彼女は本気でこんな冗談みたいなことを言っている。

「なにが大丈夫だよ。話が飛躍ひやくしすぎだ。まだハズレって決まってもないし、ハズレでも貯金でどうにかできるしな。お前の世話にはならないよ」

 近づいてきていたシオンの額にデコピンを食らわせて、無理やり引きはがした。

 こういう風に連れない態度はとるが、別に彼女のことが嫌いにじゃない。むしろ————。

 こんな美人に好かれて嫌な人間などいるはずがない。だけど、俺はその好意に正面から応えることができない。応えるには罪を背負いすぎている。こんなにも汚れた俺では、彼女を幸せになんてできないことは分かっているから。————だから、この好意に応えることはできない。応えてはいけないのだ。

「報告はそれだけだな。じゃあ、次の依頼の話だ。……シオン」

 師匠は一瞬だけゲーム機から視線を外して、シオンに指示を出した。指示を受けたシオンは、デコピンで少しだけ赤くなった額をさすりながら、資料の山から一枚のクリアファイルを取り出して渡してきた。

 渡されたクリアファイルには数枚の資料が入っており、港や倉庫街の写真がクリップで留められているのも見えている。

 資料が渡ったのを確認して、師匠はいつにも増して冷たくなった声で依頼の内容を告げた。


「今回の依頼は『イレギュラーハンター』の方の仕事だ」

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