【掌編集】「藤尾瑛臣晩年作品」

         晩年作品 「藤尾瑛臣掌編集」    



 【目貫】‐めぬき


 実は、このカフスは目貫に細工をした特注品である。目貫の意匠は菖蒲の束を象り、表目貫と裏目貫が一揃いにあたる。端午のを見立てた茎と諸刃剣のような葉は鍍金。黒色の花弁には、透徹な夜露を思わせる金剛石の粒がきらめく。この石が、遺骨から造られた金剛石である。となりし故人は私の旧友であり、昵懇の仲を理由に葬儀を執り行った。蓬髪ほうはつを整え、経帷子を着せて懇ろに弔った日を憶えている。彼は、名前を菖蒲にあやかり、生まれた時期も死んだ時期も菖蒲の見頃だった。私は遺骨を魔除けとして目貫にした。この目貫を、肌身離さず袖口に活けて生きてきた。耄碌した友を、昔日の思い出のままに殺めた甲斐があったというものだ。しかし、草葉の蔭から、彼が私を呪っているのではないかと思うことがある。軒菖蒲は魔除け、鋭い葉先を逆立てる目貫は降魔の利剣か。それが「よこしま」な私を呪詛する呪物でないとは言い切れまい。このを得てから、私は眼病を患ってにわかに両目の視力を失ったのだ。【了】



 【虚貝】‐うつせ


 貝になりたい、と胸裏に冀いながら眠りに就いた。夢の中、片頬に痛痒つうようを覚え、貝殻であるとの直観を卒爾そつじとして得る。右頬、また頤から顳顬こめかみまでを鱗次する鴉貝。陰気な蒼白の肌に、鴉貝の繁るさまは龍鱗によろわれるにも似る。輪郭に触れるが、僅かに口を開いたままの貝は精気を発することをしない。貝特有の、ぬるく濁った蜃気めいた生の気配を欠いている。乾いた虚貝うつせの、暗澹たる裏面りめんに薄紫の光沢が覗く態が浮かんだ。無数の光斑が紺瑠璃の海色かいしょくを滔々と湛えながらあらわれた。最早、異様な光景をしいとも思わない。瞼を虚貝が覆い始め、次第に両瞼が隙間を埋めて鴉貝となった。瞑目の間際、温度もなく溢れたものは黒真珠の粒であった。【了】



 【紫鏡】‐しきょう


 四十路の誕生日、頼んだ覚えのない小包が届いた。差出人の名前は、小学校で懇意にしていた学友の並べ替えアナグラムである。中身は、紫檀の手鏡で、高貴な紫の化粧箱に恭しく納められていた。裏返せば、唐物からものと思しく螺鈿で紫陽花を彩っていた。菫色の蕚は、銀蒔絵の葉叢を従えて妖艶に照る。不意に、光陰に褪せかけていた怪談が脳裏を閃いた。子供の頃、同級生の間で或るが流行した。怪談などを載せた児童書から流布したに違いない。曰く、二十歳まで「紫鏡」を忘れられないと死ぬという。の手鏡、随所に「紫」を凝らした意味を理解する。手首を捻り、鏡面を覗き込みながら「紫鏡」と呟いていた。刹那、鏡の中に面貌が映り、直前まで虚像であったはずの姿が狡猾に笑んだ。男は、紫檀の手鏡を携えたまま片手を振り上げた。鏡面がこわれる時、再会の約束を破られた学友の復讐であると察した。【了】



 【煙草】‐たばこ


 瞼を開くと、皓白の煙草の残骸が屍山を成していた。枕頭の小卓、卓上に置かれた灰皿は切子である。その昔、線香は時間を測るための道具であった。煙草も、陰間茶屋の線香と同じく灰燼となって燃え縮む。同時に、吸殻が積み上げられる態は砂漏さろうと酷似した。その点では、煙草は寿命を測る道具であるとも思われた。吸殻を屍山とする比喩も強弁ではなかろう。屍山の頂に、床に就く前に喫い終えた吸殻が見えた。僅かに吸口を残し、焼けた手指の関節の小骨となった骸である。気怠いままに吸殻の山を見詰めていた。瞬きのうち、峨峨たる山塊が頂から崩落を起こした。骸の雪崩は、切子皿ごと転覆して余燼を巻き上げながら黒煙の中に消えた。【了】



 【菖蒲】‐あやめ

 

 遺体には、菖蒲の刺青が彫り込まれてあるらしい。男は、転落死の後、検視を済ませて警察署へ運び込まれてきた。男の遺体は、表面おもてにあたる尊顔を含むから落ちたようだ。現場の遺留品に、免許証などの身分証はなく身元も不明である。ただ、検死担当の医師が、遺体の背面に彫られた菖蒲の刺青を発見した。背中には、背骨を伝うように一茎の菖蒲が生えている。濃紫の花弁が、皮膚の肌理に濡れたように艶やかだ。質感をとどめた、素膚すはだに滑らかな紫紺の花は精気の残滓を吸い上げていた。高名な光琳の金屏から、満開の一茎を手折って植え直したように見事だった。私の比喩に、医師は「燕子花かきつばたじゃあありませんか」と指摘した。菖蒲も、燕子花も、無粋な粗忽者には見分けがつかないものだ。暫くして、刺青を頼りに、捜索願の届出から男の肉親が探し当てられた。双子の兄でも、肝心のが潰れてしまっては役にも立たぬ。菖蒲の一茎が、彼の身元を明かすように、素膚をさらしたまま紫紺の花を鮮明に咲き誇るばかりだった。【了】


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