20話:一縷の望み

 最後の狼が、突然強く吠えた。

 私は反射的に身を固くしてしまったけど、『狩人』を名る男はまるで動じていない。

 引き絞った弓も微動だにせず、矢はまっすぐ獲物を狙い続けている。

 狼は一瞬、こちらに飛びかかるような仕草を見せたあと、瞬時に身を翻して森の中に逃げ込もうとした。


「無駄だ」


 三度みたび、矢が放たれる。

 パンッと弦が鳴いたかと思った次の瞬間には、目を射抜かれた狼が地面でもんどり打っていた。

 続く二の矢で残る目を潰し、完全にとどめを刺す……そうなるのが当然かのように繰り返される結末。

 “狩り”を終え、残る気配が無いことを確認した彼は、口元を覆う布の奥でフッと短い息をついた。


「あ……ありがとう」


 フィリアを抱いたまま、しばらく呆然としていた私は、男からひやりとした視線を向けられているのに気付き、慌てて頭を下げる。


「……怪我は?」

「私は大丈夫、でも、この子が」


 大丈夫とは言っても、地面に叩きつけられたときに背中の筋を傷めてはいる。

 でも、それよりフィリアが気を失ってしまっているのが気がかりで、自分のことは正直どうでもよかった。


「……見せてみろ」


 言いつつ、かがみ込んで腰のポーチを開けた男は、フィリアの閉じた目蓋を指でむりやり開かせた。


「ちょ、ちょっと!」

「静かに」


 強い口調に、出しかけた手が止まる。

 私には何をしているのかさっぱりだけど、彼はフィリアの目の中のを確認してから、ポーチの中から小さな瓶を取り出し、コルクの栓を外して彼女の鼻下にあてがった。


「……う……!?」

「フィリア! 良かった!」


 小さく一つ呻き、やがて目を瞬かせた親友に思わず抱きつこうとして、またしても男の冷ややかな視線に押し留められる。

 ……うう。

 なんかよくわからないけど、ちょっと苦手だわ、この人!


「娘。頭のどこかが痛んだり、目が回りはしないか」

「いいえ。どちらも平気そう、ですが……あの、貴方は一体……襲ってきた狼は……?」


 そうか、フィリアは馬から落ちたときに気を失ったから、あのあと起きたことを見ていないのね。


「とりあえずは大丈夫だろう。念のため今日明日は激しく動かない方が良い」


 男は簡潔にそう言うだけで、フィリアの質問には答えようともしなかった。


「この方が、狼を射倒して私たちを救ってくれたのよ。大恩人ね」

「まあ……それは、なんとお礼を言って良いか」


 仕方無しに私がそうフォローを入れ、それとなく水も向けてみたものの。

 女二人から褒められ、持ち上げられているのに、彼は欠片ほども鼻にかける様子がない。

 いえ、「その冷徹な表情はピクリとも揺るぎはしなかった」とでも表現したほうが正しいわ、これじゃ。

 長身痩躯のいい男、だけど愛想は皆無……宮中にいたら間違いなく苦労するタイプね、色んな意味で。


「…………。どうやら馬も無事だな。早く森を抜けて街まで行くがいい」


 指で指し示された一本道の先にいくら目を凝らしてみても、馬のいる場所がサッパリ分からない。

 え、どれだけ遠くが見えてるの、この人?

 そういえば昔、近衛兵長が「熟練の弓兵の目は我々と根本的に違う」って言ってたけど……。


「い、イナ様、苦しいです……!」

「え? ……あ、ごめん!」


 そうだ、さっき馬上でお互いの体を革紐で括ったんだった!

 すっかり忘れたまま身を乗り出したせいで、フィリアのお腹が締め付けられてしまっている。


「それじゃあな」


 あわててそれを解こうとしている私たちを尻目に、「一応の挨拶はした」程度の素っ気なさでそう言い捨てると、男はまた森へ踏み入ってこうとする。


「ちょ……待って!」


 なんとか紐を解き、彼のマントの裾に取り縋った私に向けられる、嫌々ながら振り返ったのが丸わかりな眉根の形。

 でも、こっちも簡単に引くわけには行かなかった。


「私たちの連れも狼に襲われたの。助けに行きたい……お願い、手を貸して!」

「……どんな狼にだ」

「どんなって――ええと、こいつらの倍以上大きくて、もっとキラキラした銀毛の」

「なんだと!?」


 狼の個体差なんてどう表現していいかも分からないから、とりあえず倒れている三匹との比較で説明しようとした刹那、初めて彼の目の中に感情らしいものが浮かび上がった。


「場所は! そいつは何処に居た!?」


 驚くほどの剣幕で胸ぐらを掴まれ、乱暴に引き起こされる。

 たとえ誰が相手でも気圧されないように心がけている私でも、この豹変ぶりにはさすがに怯まざるを得ない。


「こ、ここから北の方よ。距離は分からない、馬で必死に走ってきたから……」 

「ちッ」


 舌打ち一つ残し、私を解放すると、男はそのまま街道に飛び出していく。


「あ、あの……?」

「道沿いに南へ行け。森のきわに俺のねぐらがある。待ちたければそこで待っていろ」


 ぶっきらぼうに言い放つなり、旋風かぜのような荒々しさで北に走り去った彼の背は、あっという間に小さくなってしまった。


「ひ、姫様……どう致しましょう?」


 かつての呼び方に戻ってしまっているのをフィリアに指摘する余裕もなく、ぐちゃぐちゃになった情報を必死に整理する。


 ――私もフィリアも、どうにか生き残った。

   馬も無事。荷は失われたけど、路銀はまだあるから、なんとかなる。

   いえ、お金のことなら身につけている指輪や宝石いしを売れば良いわ。

   それより、私たちはアウスを失ってしまった。

   知り合って間もないとは言え、共に行くと確かに誓った仲間を。

   …………。

   そう、失ったはずだわ――でも、本当に?


 黙りこくった私の横顔を不安げに見つめるフィリアの目を見ながら、最善と信じる答えを導き出す。


「……あの狩人ひとの家で待たせてもらいましょう」

「でも……でもアウス様は、もう……」

「わからないわよ、まだ」

「……?」


 アウス……貴方、言ったわよね。自分は『死ねない』んだって。

 “不死の本質”なんて私には理解わかりっこないけど、彼が四百年間、永遠の安らぎに至る方法を求め続けてきたというのなら。

 望みの火は――逆に言えば、彼にとっての絶望は――もしかするとまだ消えていないかも知れない。


「答えを出すのは、狩人さんの帰りを待ってからにしましょ」


 立ち上がってはっきり宣言すると、もうそれ以上フィリアはなにも聞かず、なにも言わなかった。

 二人並んで歩き出して間もなく、狩人が指さした通り、所在なさげに立ち尽くしている馬と行きあう。


「ごめんね、もう少し頑張れる? ここにいたら、また狼に襲われないとも限らないから……」


 声をかけてみると、意味がわかったみたいに大人しく従ってくれたのを幸い、その背に二人でまたがる。

 さっき狼と生死をかけたやり取りをしていたのが信じられないほど、穏やかに静まった森。

 ここから見えるはずもないのに、未練が私を振り返らせる。


「アウス……」


 貴方のことだから、ヘラヘラしながら戻ってきてくれるわよね?

 神と呪いの秘密も、私が『神殺し』だという意味も、まだ全然教わってないんだから……。


「……『人生は、出会いと別れで出来ている』、か」


 いつか宮廷詩人が歌っていたそんな詩の一節を、ふと思い出しはしたけれど。

 それを「全くな皮肉だわ」と苦笑いで受け流すには、今の私は疲れすぎていた。

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