ゆる女神のだる日常。

猫寝

第1話 ドーナツ。

 ―――――女神……それは人々からの信仰と憧れをその身に受ける存在。


 気高く、荘厳で、神秘に包まれた女神たち。

 しかし、その日々を知る者は少ない。


 そんな女神たちの日常を、すこしだけ覗いてみましょう。



 ――――――――――――


「ドーナツの値上げ、マジ許せないんだけど」

「わかるわ。アレは許せない」

 10畳ほどの畳の部屋の隅に置かれた、少し低い……膝くらいの高さのダブルベッドの上に交差するように寝転がる二人の女神は、特に顔を見合わせるでもなく思い思いの方向を見ながら会話を交わす。

「わかるよ、何でもかんでも値上げ値上げの時代だもん。そりゃ高くなるのはわかるよ。けどさぁ、数年前まで100円で買えてたのが、こないだ店の前通りかかったら165円だよ!?さすがになくない??」

 金髪碧眼の美しい顔立ちの少女のような女神が、その美しいブロンドの長髪が寝ぐせでくしゃのしゃになっているにも構わず、ベッドの上をゴロゴロしながら問いかける。

「ねー、ドーナツなんて手軽に変えて美味しいのが最高だったのに、その価格になるとちょっと手が出せなくなるわよね。もはや高級品と言っても過言では無いわ」

 黒髪を低い位置で二つ結びにしている女神がベッドに座りつつ壁に背を預け、スマホを手にしつつも応答する。

「でもさぁ、たまに無性に食べたくなるのが悔しいんだよ。なんなんだよドーナツ、美味いんだよなー」

「じゃあ作れば良いじゃんドーナツ」

「……作れるの?ドーナツ」

 金髪碧眼女神が、黒髪女神の足を枕にしつつ問いかける。

  視線は部屋と繋がっているキッチンへ向く。キッチンにはペアの食器やコップなどがややく並べられていて、どうやらこの1Kの部屋に二人暮らしのようだ。

「痛い痛い、脛に頭乗せないで痛いから。太ももにして」

「いいの?膝枕だよ?」

「いいわよ、何をいまさら。前もやったでしょ?」

「だって前の時はすぐに「重いから下りて」って言ったじゃん」

「すぐにって……40分乗られてたらそりゃ言うでしょ。足痺れまくってたんだからね」

「そうか、そんなに乗ってたか……ごめん。でもまた乗る」

「いつもダラダラしてるくせにこういう時だけ素早いわね……まあ良いけど、許可したから」

 幸せそうな笑顔の金髪碧眼女神と、だるそうにしつつも受け入れる黒髪女神。

「あーーー……やらかーい。気持ちいいー。枕メーカー各社は、低反発とか高反発とかじゃなくて、ミミィの膝枕を商品化すべきだよ」

「アタシの太ももが全国に出回るかと思うとなかなかの寒気だけど、まあ金額によっては考えるわね」

 ミミィ、とは黒髪女神の名前らしい。

「……って、何の話してたっけ?」

「だから、ドーナツ作るって話でしょ?」

「……誰が作るの?」

「レリア以外の誰がいるって?」

 金髪碧眼女神の名はレリア。

 この部屋にいるのは、ミミィとレリア、二人の女神だ。

 女神らしい要素は今のところ白くてゆったりしたワンピースがそれっぽい、と言う以外に何もないけれど、間違いなく女神です。

「なんで私が作るのさー。ミミィ作ってよー」

「本当にアタシが作って良いの?」

「…………よくない、ワタシ、ツクル、ドーナツ」

 何かを思い出したのか、急に真顔になりカタコトになるレリア。

 脳裏をよぎったのは、以前ミミィが作った、なぜか生焼けと黒焦げの部分しか存在しない謎のケーキらしき物体の事だった。

 どう生地をこねてどう熱を通せばそうなるのかレリアには全く理解できなかったが、出来上がったものが目の前にあるという圧倒的事実に震えたあの日の記憶。

 あの悪夢を再現してはならない。

「しょーがないなぁ……アタシが作るよ。でも、ドーナツってどうやって作るの?」

「んっ」

 ミミィは手に持っていたスマホの画面を見せる。

 そこには、あらかじめ検索しておいたドーナツの作り方のページが表示されていた。

「んーと……薄力粉にベーキングパウダーにバター、卵、牛乳、砂糖……うーーん、出来なくもなさそうだけど……ベーキングパウダーなんて無いよー。牛乳もあんまり残ってないし、買い物行かないとだねぇ」

「よし、じゃあ行こう。すぐ行こう」

「ええー……めんどいよー。それにもうすぐ仕事でしょー?」

「……あー、そうだった。でも行こう。仕事無視してでも行こう。アタシもう完全にドーナツの口だから。もう他のもの食べたくないから」

「ステーキでも?」

「ステーキなら食べるけど」

「食べるんじゃん。ドーナツの口でステーキ食べるんじゃん」

「ステーキには抗えないでしょ。肉の魅力に抗える人間なんて存在しないんだよ」

「女神じゃん」

「肉の魅力に抗える女神なんて存在しないんだよ」

「あははは、言い直した。女神なら抗いなよ」

「じゃあレリアは抗えるの?」

「んーーーーー……無理ぃー」

 二人でふへへ、と笑う。

「よし、じゃあ行こう。もう行こう。決めた。行くぞ、アタシは行くぞー」

「もーう……あとで怒られても知らないからねー?」

 太ももに乗っていたレリアの頭をそっと降ろしてから勢いよく立ち上がるミミィに合わせて、レリアも気怠そうに一緒に立ち上がる。

 女神風の衣装から、買い物に出ても不自然さのない洋服に着替えようと服を脱ぎ始めたその瞬間に『プルルルル』という音が部屋に響き、同時に空中に空間を切り取ったかのような四角い画面が現れる。

『こんにはー、お仕事の時間――――って、何してるんスか二人とも?』

 その画面に映っていたのは、女神事務のサミュルゥ。

 見た目はどう見ても大きなメガネをかけた幼女ではあるけれど、服装はいかにもな事務員っぽいシックな制服に大きなアームカバーをつけて机の前に座っている。

 こう見えて、レリアミミィより数倍年上だ。

「あー、どーもミュルさん。ちょっと買い物行こうかと」

『いやいや駄目っスよ。伝えてありましたよね?今日仕事だって。なんで出かけようとしてるんスか?』

「……出かけたくなったので」

「ドーナツ食べたくなったので」

『……それ仕事終わってからじゃダメでした?』

「ドーナツの口になったので」

「なったので」

 ミミィの背後から肩に頭を乗せて言葉も乗っけるレリア。

 レリアは基本人見知り(……女神見知り?)なので、他人と会話するときはレリアの後ろに隠れがちなのが二人の関係性の基本である。

『……なんで真顔でそんなこと言うんスか……?仕事あるんスよ?』

「じゃあ、ミュルさんはドーナツと仕事どっちが大事なんですか?」

『それでドーナツって答えると思われてるなら舐められたもんっスね』

 頭を抱えるサミュルゥだが、当たり前のように出かけようとしてる二人が目に入って慌てて止める。

『ちょちょちょ!!!マジですか!?マジで出かけるんスか!?』

「さっきからそう言ってたじゃん」

「うん、言ってたよねぇ?」

『仕事終わらせてからにしてください!!今日のはそんなに時間かかんないっスから!!』

 慌てて引き留めるサミュルゥに対して、その場でヤンキー座りをして気怠そうに問い返すミミィ。

「えー、今日なんだっけ?なにするやつ?」

『今日は転生の案内でス。一番簡単やつっスよ』

「あー、あれか……いや面倒臭いけどなぁアレも!」

「私アレ凄いきらーい」

「そうだよねー、レリアちゃんは人見知りだもんねー。初対面の、だいたいの場合が冴えない青年かおっさん相手に変な空間で二人きりとか絶対嫌だよねぇ」

「うん、絶対いやー」

 頭を撫でるミミィと、それに甘えて猫のように頭をこすりつけるレリア。

「ほらー、かわいそうでしょー。レリアちゃん可愛そうでしょー!」

『いや、今日の担当はミミィさんっスよ?』

「あっ、そうなの?じゃあ頑張ってきてねー。待ってるから」

 スルっと体を離して、再びベッドに寝転んでもう「待ち」の体制に入ったレリア。この気まぐれさもまた猫のようだ。

「ぐぬぬぬぬ、裏切り者めぇ。まあ仕方ない。ちゃちゃっと済ませてドーナツだ」

『じゃあ、もう転生者さん待ってるんでお願いしまっス』

 本来ならここで画面を切ってあとは任せても良いのだが、ちゃんと仕事に行くかじっと見守るサミュルゥ。

「うへー、信用無いよねホント。行く行く、行きますって」

『さっきまで仕事ぶっちしてドーナツ食べに行こうとしてた人のこと信用できるわけないじゃないっスか。ほら、見てるから行ってください』

「へいへーい」

 溜息と同時に部屋の入口のドアへと向かうミミィ。

 そこは部屋の中と同様に、普通のマンションの一室のようなスチール製の扉があるだけなのだが、それに向けて気怠さを隠さずに手をかざすと、ゆっくりとしかし正確に図形を描き始める。

 わずかに光る手のひらを動かし、空中にいくつかの図形が重なると、ドアの隙間から光が漏れ始める。

 ドアの向こうが別空間に繋がった合図だ。

「んじゃ、行きまー……」

『いやちょっとちょっと、服服!ちゃんと女神っぽい格好してください』

 言われて、自分が着替え途中でほぼ下着姿だったことに気づくミミィ。

「んー……着るのめんどいからえいっ」

 手を高く上げると、一瞬で先ほどまで来ていた女神らしい白いワンピースに、腰には太めの革ベルトが巻かれ、二つに結ばれていた神はさらさらストレートになる。

 それだけで、圧倒的に女神らしさがあふれてくる。

『ちょっと、そんな事に奇跡使わないでくださいよ。ポイントにも限度があるんスよ』

 サミュルゥが呆れ顔で注意するも、ミミィはどこ吹く風だ。

「いいのよ、どうせ普段使わないし奇跡ポイントなんて。毎月支給される分すら余ってんのよ?」

 奇跡を使うにはその奇跡の規模に応じたポイントが必要で、それは毎月女神協会から支給される。

 人々を救うために奇跡を授ける女神や、私欲を満たすために使う女神も居り、奇跡の用途は千差万別だが、ミミィとレリアはほとんど奇跡を使わずに日々を過ごしている。

『余ってるなら使えば良いじゃないっスか。それこそドーナツなんてポポーンと出せるでしょう?』

「ちっちっち、それじゃつまんないでしょ。アタシたちは普通の生活がしたいからわざわざ人間のふりしながら日本で暮らしてんのよ? 不便も面倒もあってこそなのよ」

『いや、だったら服着るくらい普通にやってくださいよ……』

「それはそれ!これはこれ!! そもそも女神の仕事なんてどうあがいても非日常なんだから、それに挑むためには奇跡も使うわよ。そうでしょ?」

『……一瞬納得しそうになりましたっスけど、仕事の為の着替えは日常でもあることですよね?』

「――――それはそれ、これはこれ!!」

 完全にそれで押し通すことにした様子のミミィさんです。

『……まあもういいっスから、仕事お願いします。謎の空間に放置されたまま何も起きないので転生者さんが困惑してるっスから』

「はいはーい、じゃあちょっと待っててねレリア。帰ってきたら一緒に買い物行こうねー」

「うん、待ってるよー」

 すでにベッドに寝転がってスマホを見る態勢になっていたレリアだが、声をかけるときだけはスマホから視線を外してミミィの方を見る。

 礼儀がしっかりしてるのかしていないのか。寝転がってはいるし。

 ただ、いつものことなのか気にせずにドアに向き直るミミィ。

 一度咳払いをして背筋を伸ばすと、女神らしい雰囲気を醸し出しつつドアを開く。

 ドアの向こうからは光が溢れ出し、その光に飲み込まれるように一歩踏み出すと――――床が存在せずに、そのまま下へと落下する。

「なんでよ!?」

 予想してなかったのかそう叫びつつも、再び奇跡を使い空中浮遊能力を自らに付与し、ゆっくりと舞い降りるように下降する。

 「あっぶねぇ……死ぬかと思った―……」

 そう小声でつぶやいた声を打ち消すかのように、

「女神様!?」

 と、まだ幼さの残る少年の声が響いた。

 そこには、まだ10代半ばと思われる少年が地面に座り込んでいた。

 ミミィが来るのが遅かった為にしばらく一人で待ち疲れていたらしいが、ミミィの姿を見て目を輝かせる。

「す、すごい……!空から舞い降りてきた!!まさに女神様だ!!神々しい!!」

 実際はただ落ちそうになっただけなのだが、結果的には女神らしさが出たようです。

 それに気を良くしたのか、慈愛に満ちた視線と声色で、ミミィは少年に語り掛ける。


「報われなかったあなたの人生に、新たな光を与えましょう―――――」

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