第2話 眼鏡と妖精、さらに……触手(その2)

 もう少し早い時間帯なら幼いこどもを連れた若いパパやママがいるのだろうが、今は夕食の準備や買い出しタイムになるのか、公園には誰もいなかった。

 少女はそんな無人の公園でくるりと充駆に向き直って、上衣のポケットに手を突っ込む。

 そして、広げた手のひらに乗せたものを充駆の鼻先へ突きつける。

 それは十センチほどの人形に見えた。

 が、目を凝らすと人形は少女の手の上でおどおどもじもじしている。

 生きている?

 改めてよく見ようと顔を寄せるが、人形はその視線から逃げるようにふわりと宙に浮き上がる。

 そして、充駆に頭を下げる。

「あ、あの、ごめんなさい。すぐに帰りますから」

 充駆は目の前で恐縮するそれをぽかんと見つめる。

 眼鏡少女とはタイプの違う制服姿でナチュラルヘアのショートボブは、最近の流行からすれば不思議系だったり生意気系だったりするのだろうが、そのおどおどした表情からよく言えば真面目そう、悪く言えば地味な印象を与えている。

 充駆は頭の中でぐるぐると考える

 そうかしゃべるのか動くのか生きてるのか、だったら人形じゃないな。

 人形は動かないししゃべらないし生きてないし。

 てことはなんだ、妖精か。

 でも妖精っているのか?

 いないとしたらこれはなんだ?

 そういう生き物か?

 こういう生き物っているのか?

 いるのかもなにも目の前にいるしな。

 そんな思案ぐるぐるを遮るように――

「帰らないっすよ」

 ――眼鏡少女が、人形だか妖精だか未知の生物だかわからない十センチ少女に向けて不機嫌な声で告げる。

「とにかく、はっきり言ってやるっす。イートンは下がってるっす」

 改めて充駆に向き直る。

「なんなんすか、その覇気のないだらだらした態度と表情はっ」

 ついさっき同じようなことを祐未に言われたばかりである。

 それだけ今の充駆は“言わずにいられないほど酷い状況”なのだろう。

 だからと言って、この見ず知らずの少女に叱られるいわれはないのだが。

 まだぽかんとしている充駆に眼鏡少女が続ける。

「イートンが四十年の努力を不意にするどころか、こんな姿になってまで校舎から落ちて死んだのをなかったことにしたってのに、いい加減にするっす」

 そして、大きく息を吸ってトドメとばかりに言い切る。

「わかったっすかっ」

 その勢いに気圧されながら充駆が答える。

「……わからない」

「な、な、な、な……」

 眼鏡少女の頬が怒りに紅潮する。

 その顔をなだめるように十センチ少女がさする。

「も、もういいからあ。帰ろうよう」

 そして、おどおどと眼鏡少女と充駆を見比べる。

 そんなふたりを見ながら“僕の反応はまちがっていただろうか”などと考えて眼鏡少女の言葉を反芻する充駆だが、眼鏡少女の言葉はやはり意味がわからない。

 ただ、聞き逃すことのできない――というより聞き逃したくない言葉があったのは確かだった。

 その言葉を問い直すようにつぶやいてみる。

「死んだのをなかったことに……した?」

 眼鏡少女は答える代わりに足踏みしながら絶叫する。

「ああああああああああ」

 気が短いのか“めんどくせー”とばかりに頭を掻きむしると、ぜえぜえと荒い息をつきながら充駆を指さす。

「じゃあ順を追って説明するっす。よく聞くっす」

 “死んだのをなかったことにした”という言葉に関心を引っ張られ続けている充駆がへりくだる。

「お、お願いします」

「その前に……わっしはボレロっす。で、こっちが――」

 かたわらでふわふわと浮いておどおどしている十センチ少女が頭を下げる。

「い、イートンです」

 充駆も応える。反射的に。聞かれてもないのに。

「あ、高見充駆です」

「は、はい。充駆さん、ですね」

「よろしくっす――」

 二人の少女は恐縮気味に頭を下げるが、ボレロはすぐに気を取り直す。

「――ちがああああうっす」

 いきなり怒られた充駆はなにか言い返さねばと慌てて言い繕う。

「いや、その……お二方は……本名?」

 他になにも思いつかないとはいえあまりにも的外れな充駆の質問に――

「はあ?」

 ――さらに切れ気味のボレロに代わってイートンが答える。

「“イートン”っていうのは襟なしカラーレスジャケットのことです。充駆さんのと同じ……」

 よく見ると確かに浮かんでいるイートンの着ている制服は充駆や祐未のものと同じカラーレスジャケットである。

「そして“ボレロ”っていうのは――」

 イートンに目で促されたボレロが自身の上衣の裾を引っ張って見せる。

「こういうショートサイズのジャケットのことっす。いいっすか?」

 いや、訊いたのは名前のことであって制服の話じゃないんだけど……そんなことを考えて戸惑う充駆だが、それがあだ名やコードネームの類であり個人の識別といった役を果たすのなら名前も同然だからあながち的外れでもないのか、と納得する。

「それはともかくっす」

 落ち着いたらしいボレロが続ける。

「四十年に一回の大会が開催されるっす。わっしらはそれに合わせて参加資格である善行ポイントを溜めてきたっす。さらに慎重派のイートンは対戦相手の研究に余念がなかったっす」

「えーと、うん」

 早くもわからなくなってきたがとりあえず頷く。また怒られそうだし。

「そこへ空から充駆が降ってきたっす」

「空から? 僕が?」

 イートンが横から訂正する。

「こ、校舎の三階からです」

 ボレロは構わず続ける。

「充駆はそのまま死んでいったっす。それをイートンが善行ポイント全部と――」

 ボレロが自身の胸元に手を当てる。

「――今のわっしみたいなこの形状サイズを維持してる思念エネルギーを全投入して充駆が死んだのをなかったことにしたっす」

 充駆の脳裏にフラッシュバックする光景がある。

 それは校舎脇で大の字になって死んでいく自分の姿。

 あれは夢じゃなかったのか。

 そして、思い出す。

 三階の窓から死んでいく充駆を見下ろしていたのがエロ槻だったことを。

 そして、そして、さらに思い出す。

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