退部代行

原滝 飛沫

1章

第1話


「だから、それは違うと言っとるだろうが!」


 椅子の上で制服姿の少女がビクッ! と体を震わせた。身を縮めてぎゅっとまぶたを閉じるさまからは怯えの情が見て取れる。


 怒鳴っている本人は気にもとめていないのだろう。ジャージ姿の男性が似たトーンの声でまくし立てる。

  

 お前のため。やればできる。連ねられる言葉を前に、少女の視線が重力に引かれたように膝元へ落ちる。


 少女が小さく息を突いて男性から視線を外した。


「すみません、 私じゃやっぱり無理でした。代行お願いします」


 廊下につながるドアに向けて声を張り上げた。


「ああ、全部俺に任せておけ」


 ドアがスライドして廊下の光景を覗かせた。新たなスニーカーの裏が室内の床を踏み鳴らす。

 

 入室したのは少年だ。黒いブレザーを身にまとう点は少女と同じだが、顔には自信に満ちた笑みが浮かんでいる。


 椅子に座している中年が眉をひそめた。


「何だお前は? 俺たちは今大事な話を――」

「はいはい、もうそこら辺にしてあげてくださいよ大上先生。部活動は強制じゃありません。小山さんが退部したいって言ってるんだから、素直に退部させてあげるのが優しさってものでしょうに」

「何だその言い方は! まるで俺が小山を困らせているみたいじゃないか!」

「実際小山さんは困ってるんですよ。俺のことは知ってるでしょ? 真面目な小山さんが第三者に助けを求めたんです。彼女の苦悩くらいは汲んであげても罰は当たらないと思いますけどね」

「これはバレー部の問題だ! 第三者と自覚しているなら口を出すな!」


 小山がぴくっと身を震わせる。


 少年が両の手のひらをかざした。


「まあまあ。大上先生が俺を疎むのは分かりますが、まずは落ち着いて小山さんの顔を見てくださいよ」

「さっきから見とるだろうが」

「もっとよく見てください。あ、別に可愛いとかそういう感想はいりませんからね?」

「知っとるわ!」


 ツッコミを入れた大上先生が少年から視線を外し、改めて小山と目を合わせる。


 細い目が丸みを帯びた。


 大上の前にあるのは、背を丸くして眉でハの字を描く教え子の表情。彼の想像とは違った少女の在り方が室内に沈黙をもたらす。


 口を開かない二人の代わりに、少年が笑みを消した表情で口を開いた。


「大上先生。あなたと部活動に励んでいた頃の小山さんは、今と同じ顔をしていましたか?」

「それ、は……」


 大上が自身の口元を右手で覆い隠した。肘を右膝に置いて考えるようにうなる。


「小山さんも大上先生のことは信頼しているんですよ。善意で引き止めようとしているってことも理解しています。先生だって、小山さんの膝の痛みについては聞いていますよね?」

「無論だ。だがそれは致命的な故障じゃない。スポーツ選手にはよくあることだ。痛みが引いたらまた頑張ればいい」

「そうですね。ではなぜ小山さんは膝を悪くしたと思います? 練習しすぎたってのは先生も把握しているでしょうけど、故障には少なからず先生も関わっているんですよ?」

「俺が? どういうことだ」

「小山さんは、先生の期待に応えたい一心で無理をしてしまったんです」


 息を呑む音が室内の空気を揺らした。


「小山、本当なのか?」

 

 力ないうなずきが大上の問いかけを肯定した。


「小山さんは昨年の大会で負けたのを自分のせいと思い込んで、部活の後も一人体をいじめ抜いたそうです。それが逆に、自身の限界を知るきっかけになったんですよ。これ以上チームにいても自分が足を引っ張ってしまうってね。これを聞いても、大上先生はまだ小山さんにやめるな、もっと体をいじめ抜けとおっしゃいますか?」

「そんなつもりは……俺は小山の心意気を買っていた。だから、善意のつもりで」

「善意ってのは向ける側の視点でしかありません。される側が望まないならただの嫌がらせです。小山さんは俺たちに退部代行を依頼しておきながら、先生には世話になったから最後の最後まで自分で伝える努力をしたんです。その心意気、察してやってはくれませんか?」


 大上先生が何かを告げようとして、口をつぐむ。


「……分かった」


 二度目の沈黙が了承の言葉で破られた。小山さんが顔を上げて、先程から手にしていた書類を両手で差し出す。

 

 隆々とした腕がそれを受け取って、この一件は幕を閉じた。

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