天国殺人事件

「な、何だとっ?! それは確かなことなのかっ!?」

 口角泡を飛ばして驚愕の声を上げたのは、天国第三区を管理する天使たちの長、タルタロだった。ブロンドの長髪輝く美丈夫の彼は、善良な心を持つ天使たちの中でも頭一つ抜けた人格者だった。

 そんなタルタロが度を失って青ざめているのは、前代未聞の事態が発生したからだった。その報告をした天使のベルゼ──黒髪ロングに銀縁眼鏡の、いかにも仕事ができますという端整な顔立ちをした彼女は彼の秘書だ──が、彼の問いに律儀に答える。

「もちろん事実です。我々には嘘をつくことなどできません。それはタルタロ様も十分におわかりでしょう?」

 このように冷静な受け答えをがんばってしているベルゼだったが、しかし流石に動揺が表れて声が少し震えていたし、自慢の白翼もしゅんとしおたれている。そして内心では、やべーよやべーよマジやべーよ、と語彙力が終わっている。

「おお、神よ……」タルタロは額に手を当ててつぶやいた。「なぜ天国でそんなことが……。ありえない……」

 なぜ? どうして? どういうことだ? 何が起きている?

 タルタロの脳内は答えを期待できない疑問符に溢れていた。

 それもそのはず、全知全能と謳われる神が遥かな古の時代に創造した天国には、純白に輝く清き心の持ち主しか存在しない。すなわち道徳に反する言動をする者はおらず、嘘をつくことさえできない。

 それなのに殺人事件が発生したのだ。二人の混乱もむべなることだった。

 事件の概要はこうだ。

 人間たちがのほほんと暮らす居住区、そこのマンションの一室で元日本人のアマテラの遺体が発見された。第一発見者は、引きこもりがちのアマテラを心配してたびたび部屋を訪れていた、彼女の弟のツクヨ。その時は呼び鈴を鳴らしても応答がなかった。寝ているのかな、どうせまた明け方までゲームしていたのだろうな、仕方ない人だなぁ、などと呑気なことを考えながら合鍵を使って玄関扉を開け、リビングへ向かった。そして、首と四肢を切断されて事切れた姉と対面してしまったのだった。

 明らかな他殺──そう、これは紛れもない密室殺人だった。

「ふむ、つまりは密室殺人ということか」

 ベルゼの説明を聞くうちに冷静さを取り戻したタルタロは、顎に手を当てて尋ねるでもなく尋ねた。

「はい」ベルゼが神妙に首肯した。「誰かが侵入した痕跡もないらしく、論理的に考えるならば──」

 犯人はマンションの管理人か、あるいは弟のツクヨ、そのように続けようとしたベルゼを制するように手を上げてタルタロは言った。

「まずは現場を見てみよう。推理を口にするのはその後でも遅くはなかろう」

「失礼いたしました」ベルゼはしかつめらしく言った。

 そして、二人は事務仕事を放って庁舎を後にした。




 くだんのマンションに到着した二人は、管理人室のドアを叩いた。そこで関係者──管理人とツクヨが待っているのだ。

「お待ちしておりました」

 老いた嗄れ声の管理人──彼は人間だ──が、弱り切ったような様子で出迎えた。彼にとっても青天の霹靂だったことは、その表情──眉間に刻まれた、哀れを誘う深いしわからも明らかだった。

 管理人室は八帖の部屋で中央にテーブルがあり、その周りには簡素なパイプ椅子が三脚ある。そのうちの一脚に難しい顔で腕組みをして座っている美青年がいた。彼がツクヨだ。

 ツクヨは腕を解くと立ち上がって挨拶した。「はじめまして、アマテラの弟のツクヨです」怜悧れいりさを窺わせる、落ち着いた声音だった。

 無難にそれに応じたタルタロたちは、早速、現場の部屋へと案内してもらえるよう頼み、四人全員で向かった。

 三階にあるその部屋の玄関扉からは、閉まっているにもかかわらず塩味まじりの鉄錆のにおいが洩れ出ていた。管理人が玄関扉を開けると、その、屍特有の血なまぐさい臭気はねとつくような濃度を持って四人を呑み込んだ。

 ベルゼが思わず顔をしかめた。死体、それもバラバラのものなど見たくないというのが本音だった。できることならすべて忘れておうちに帰りたい。

 しかしこれも仕事だ、そのような願望は口にするのも憚られる。彼女は澄まし顔を取り繕ったまま追随する。

 リビングに入った。そうして、凄惨な死体を目の当たりにした。

「これは……」

 唖然としてこう洩らしたのはタルタロで、

「うっ」

 込み上げてきた吐き気を押さえるように口元に手を当ててえずいたのはベルゼだ。

「大丈夫か? きついなら外で待っていてもいいぞ」というタルタロの気遣いに、「いえ、大丈夫です」と気丈に振る舞ってベルゼは、しかし死体から視線を逃がすようにしてツクヨに顔を向けて尋ねた。

「犯人にお心当たりはありますか?」

 ツクヨは小さくかぶりを振った。

「姉は引きこもっていることがほとんどで、リアルでの人との交流は、皆無と言っても差し支えないほどしかありませんでした。なので、そのような人物はいなかったはずです」

 そもそもこの天国に悪事を働く者など存在しませんし。ツクヨはささやくようにそう言い足した。

 そうなのだ、そこが大問題なのだ──タルタロは、「ううむ」と低くうなると、

「事故や自殺の可能性はどうだろうか?」

 と誰にともなく尋ねた。

「それも考えにくいかと思います」これにもツクヨが答える。「自殺だとしたら四肢を切断した後に首を切り離したことになりますし、事故だったとしても一般家庭でこのようなバラバラ状態になるものというのは通常はありえないでしょう」

「たしかにそのとおりだ」タルタロは渋い顔でうなずいた。「とするとやはり、他殺とみなすよりほかはないということか」

 他方のベルゼはツクヨからきな臭いものを感じていた。さっからいやに平静ね──まさか彼が?

 しかし、ベルゼはすぐにその疑惑を否定した。そんなことをする人間は天国にはいられない。立ち入ることさえできないはずだ。だから、ツクヨは犯人ではありえない。 

「いったいどういうことなんだ……?」タルタロが独りごち、

「アマテラちゃん……」管理人も悲しげにつぶやいた。

 困惑に満ちた沈黙が場を支配した。

 が、

「一つひらめいた推理があるのですが」

 不意にツクヨがそれを破った。

「なぬ?」タルタロが眉の片方を吊り上げた。「本当か! ぜひともお聞かせ願いたい」

 ありがとうございます。ツクヨは柔らかくそう言うと、

「事は単純明快です。僕ら天国の住民は魂の性質上、殺人など不可能。したがって、人間も天使も犯人ではない──ここまではいいですね?」

 ツクヨは確認するように三人の顔を見回した。全員がうなずくと、彼は続けた。

「であれば、姉を殺害した犯人は一人しかいません」

「待ってくださいっ!」たまらずにベルゼが口を挟んだ。「おっしゃっていることが矛盾しています。天国の誰にも彼女を殺せないのなら、犯人は存在しないはずではないのですか?」

「まさか地獄や憂き世から遠隔で事をなしたとでもいうのか?」タルタロも尋ねた。

 そのような前例はない。可能だとも思えない。タルタロの脳髄ではツクヨの言わんとすることがわからなかった。この青年がたどり着いた答えとはいったい……?

「遠隔という点は正解です」

 ツクヨはあっさりと言い──ふいとベランダへと続く掃き出し窓に歩み寄り、それを開けた。澄み渡る快晴の爽やかな香りが吹き込んでくる。

「どうしたのだ? 何かいるのか?」ツクヨの隣に立ったタルタロが、空を見上げながら聞いた。

 その後ろからベルゼも視線をやっている。

 彼らの目には空の青しか見えないが、

「ええ、いますね」

 しかしツクヨは首肯し、そして天──つまりはわたしのほうを見据えて断言した。

「犯人はあなたですね、神様」





 アマテラとはネットゲームで知り合った。昨夜もゲームもそこそこにボイスチャットでの会話を楽しんでいた。すると彼女は、

『神様って、全知全能なんでしょ?』

 と出し抜けに尋ねてきた。

「まぁだいたいは」

『だいたい?』

「ああ、全知という部分に若干の語弊がある。未来の事象に関しては、枝分かれする未来のそれぞれの実現確率を把握できるにすぎないのだ。例えば君が明日外出する確率は百分の一以下だとわかる」

『ふうん、あんますごくないね。それくらいわたしにもわかるよ』

「だが、全能に関しては額面どおりの意味だぞ」

『へぇーそれはすごいねー』

「だろう?」

『でもそれだとゲームしても楽しくなくない? てか、ガチ全能のくせに何でこんなに下手なの?』

「それは能力に制限を掛けているからだ。そうしないとゲームにならないからな」

『漫画の強キャラみたいだー』

「神だからな」

 きゃーかみさまーかっくいー、などと軽薄な賛辞を寄越してからアマテラは、ふと思いついたように、『じゃあさ、そこからわたしをバラバラにしたりその後に復活させたりもできちゃうの?』

「無論、容易い。念じるだけで可能だ」

『何それ……怖……』

「君が聞いたんだろうが」

『ちなみになんだけど、神様がわたしをバラバラ密室殺人してツっ君が第一発見者になった場合、彼が犯人を推理するまでに掛かる時間はどれくらいなの?』

「わたしの犯行だと気づくのは確定なんだな」

『うちの弟、賢いから──で、質問の答えは?』

「死体発見からカウントして二時間を境に確率が大きく変わる。二時間以内に犯人当てフーダニットをクリアする確率は十分の一程度、そこを超えると指数関数的に確率は増していき、三時間を過ぎると一に近似する」

『えー、二時間以内にいけると思うけどなぁ』

「しかし神の能力に間違いはないぞ?」

『うーん、わたしゃあ納得いかんのですよ』

「そう言われてもな」

『──そうだ、それなら賭けをしようよ。もしもツっ君が二時間以内に気づけたら神様は今度発売されるゲームハードをわたしに買い与える』

「二時間を超えたら君は何をしてくれるんだ?」

『肩でも揉んであげるよ』

「不公平ではないか?」

『オッズ比を考慮した結果ですな』

「期待値の偏りが凄まじい気がするが、まぁいいだろう」

『自分が負けたからって復活させないのはなしだよ?』

「そこは信じてもらうしかないな」

『これがホントの「信じる者は救われる」ってやつか!』

「君の思考は実に愉快だな」

『地元では天岩戸あまのいわどに引きこもるおもしれー女として有名でした』

 これが天国殺人事件の真相である。

 ツクヨたちにはわたしの口から説明してもいいが、ここはアマテラに任せようと思う。そうしたほうがいいと全知全能が言っているのだ。そっちのほうが面倒くさくないよ、と。

 というわけでわたしは彼女を復活させ、勝敗に関してはテレパシーで伝えた。

 仰天して目を見張る一同に、「へへっ」と悪戯めいた笑みを見せたアマテラは、ぐっとサムズアップすると、「わたしは神を超えたのだ!」と宣言した。「遠慮なくあがたてまつりたまえ!」

 場が凍ったのは言うまでもない。




(了)

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