お母さん
まるで共に手を取って旅立つような両親の死を見届けて。
随分と、想い悩んだことを覚えてる。
子どもを創るべきか否か。
私達が子どもを創ると言うことは、雪女としての業を子ども達にもまた背負わせることになるのかもしれない。
愛する人から命を貰って、その命を縮めて生きる、その宿命を。
祖母はお母さんを産んですぐに、愛した人の傍から離れて死んだ。
叔母は誰と交わることもなく、その一生を静かに終えた。
母だけが、愛する人から命を貰い続けて一緒に逝った。
どの生き方が正しいのか。今、私の手を握ってくれているゆうじさんと、このまま一緒に居てもいいのか。子どもを創ってもいいのか。
そんな問いに、明確な答えはどこにも見つかりはしなくって。
もし仮に子どもを創ったとして、もし彼女たちが雪女の宿命を呪ってしまった時。
私はなんて答えればいいんだろう。
どうして私なんか産んだのと聞かれた時に。
私はどうすればいいんだろう。
「わからない……かな」
「……だよね、ちゃんとした答えなんてどこにも……」
「いや、っていうよりは、きっとその時にならないと、ちゃんとした答えは出せないと想うんだ」
「…………?」
いつもの
そんな時、私のこぼした弱音に、ゆうじさんはいつものように、どこかぼーっとしたような表情で……でも、とても真っすぐに自分の言葉を探してた。
「僕らに子どもが産まれてきて、その子が雪女だったとして。僕らのことだ、きっとその子が、その子達が、目一杯幸せになるように頑張るとは想うんだよ」
「…………うん」
私はともかく、ゆうじさんがそう頑張るのは、想像しやすい。なにせ、私が雪女の宿命を理由に五年も振り続けたのに諦めなかった人だ。一度決めたら、そうそう気持ちは変えやしない。
「まあ、もちろん、世の中の親子は大概そうかもしれないけど。それでちゃんと幸せになれる子もいるし、何かの掛け違いで、幸せになれない子もいる」
「…………そうだね」
「でもきっとね、始まりに幸せを願うことはみんな一緒だと想うんだ。雪女っていう辛い宿命の元に生まれても、どうか幸せになれますようにって。だから、「どうして雪女なのに私のことを、俺のことを、産んだの?」って聞かれたら。「それでも幸せになって欲しかったから、産まれて欲しかったからだよ」って答えることしかできない気がする」
「………………」
「でもきっと、その子はその答えじゃ、納得はしてくれないんじゃないかな。だって、もし自分が生きてることを呪うほどの苦しみを背負っていたら。きっと僕達が初めから用意してた、出来合いの答えじゃ、その子の心は動かせない。だってそんなのずっと言い聞かせてきてるはずなんだから」
「…………」
「だからきっとね、その時になって、改めてちゃんと答えを探すしかないんだと、僕は想うよ。どんな辛いことがあって、どんなことが苦しくて、どんなことが悲しかったか。それをちゃんと聞いてあげて、その子たちなりの幸せをそれでも願って、僕らなりの精一杯の答えを、その時に返すしかないと想うんだ」
「…………」
「だから、その答えは今は出せないんじゃないかな。今の僕らは、その子に幸せになって欲しいと想うしか出来なくて。どうして産んだのって聞かれても、「幸せになって欲しかったから、産まれてきてほしかったから」としか答えられない」
「…………なるほど」
そんな彼の答えを聞きながら、こてんと頭をその肩に転がして、ふうっと少し長めに息を吐く。温かいくて心地いいその体温感じたまま。
「……我ながら、いまいち話がまとまってないかも。ちゃんと答えになってる? これ」
君はそういって、ちょっと自信なさそうに首を傾げた。私は軽く笑って、頭を預けたまま頷いた。
「じゅーぶん、まさごさんポイント120点あげちゃおう」
「やた、今累計でいくら?」
「えーと、86720ポイント」
さすがに幼い頃から付き合いだから、数字もよくわからないことになっている。一応、減点制度もあるんだけれど、この人がマイナスに行ったことなんて一度もない。
「マメだねえ……いつも想うけど」
少し感心したような、半分呆れたような調子で君は笑った。
そんないつものやり取りに、私もちょっとほくそ笑む。
雪女という宿命があるにせよ、ないにせよ、きっと生きることは多かれ少なかれ苦しいことだ。
そんなこの世界で小さな命を授かろうとする意味は何だろう。
彼らに、彼女らに、それでも生まれ落ちてきて欲しいと想うこの気持ちは何だろう。
生き物だからそういう風に出来ていると言ってしまえば、それまでだけど。
それでも、たとえこれが私たちのわがままにすぎなくても。
それでもどうかと、幸せを願って、君たちをこの身体に授かりたかった。
雪女として生まれることは、とても辛いことかもしれないけれど。
愛する人から命を貰わないといけない人生は、やっぱり苦しいものかもしれないけれど。
それでも、どうかと。
いつかの日、振り払う私の手を、ゆうじさんがそれでもと握ってくれたような日が。
君たちがその宿命の中でも、それでもいつか幸せになれる日が。
君たちにもきっとくるからと。
そんなことを願っているから。
そんな風に君たちを傍で見守っていたいから。
だからね、私たちは、君たちに産まれてきてもらったんだよ。
だから、ありがとう。私達の元に産まれてきてくれて。
きっと辛い宿命を背負わせてしまうけれど。
それでも私たちはあなたたちがいてくれるだけで幸せだから。
だからほんとはね、幸せになんてなれなくたってかまわなかったんだよ。
だって、君たちが産まれてきてくれた、ただそれだけで。
私達は幸せだったんだから。
※
「ましろ」
「……なに?」
「まーしーろ」
「…………なんじゃい?」
「まーーしーーちゃん」
「………………」
「まーしー……と見せかけて、まふゆ!」
「………………」
私のご機嫌な問いかけに、娘二人はしかめっ面をしっかり浮かべている。といっても、似ているようで反応は少し違って。ましろは名前を呼ばれ続けることで、少し顔が紅くなってるけれど、まふゆは心底嫌がってそう。ふふふ、しかしこちらとら歴戦の母親よ、うざがり顔すら可愛いものね。
「ふふふ、いやあ長生きしてみるもんだね。まさか娘二人がそろって顔見せに来る日がくるなんて!」
実際、いっつも二人別々に来るから、ちゃんと家族で顔をそろえたのは何時ぶりなのやら。ましろは正月でさえまともに帰ってこなかったし。
そんな私の言葉に、ましろは少し照れたように頬をかいて、まふゆは呆れたようにため息をついていた。
「……あはは」
「別にお母さんの顔見に来たわけじゃなくて、たかはな先生に折り紙の実験を色々したいからって、呼び出されただけなんだけど?」
「それでもね! 顔を見れるだけで嬉しいじゃーん、ていうか、二人とも今日はこのかちゃんとぬくみちゃんは一緒じゃないの?」
ましろが照れてる顔がかわいくて、つい紅くなった頬を指でふみふみしてしまう。触れた頬はしっかり暖かくて、というか今の私には熱いくらい。ちゃんとこのかちゃんからたっぷり愛を受け取っているようで、なによりだね。
「えーと、このかちゃんは、今日大学の試験だから……来たがってはいたけどね」
「ぬくみも同じ、ま、折り紙の実験はあの子たちいなくてもできるから、別に支障はないでしょ」
そうやって答える二人に、私はえーって口を思わずすぼめてしまう。
「あの二人も可愛いから、私、すんごい楽しみにしてたのに……。娘が一気に倍になったみたいで、お得感倍増だったのに……」
「あはは……まあ、このかちゃんはそう言われた喜びそうだな……」
「ぬくみは舞い上がりすぎて、ダメになるかな。っていうか、勝手に娘カテゴリに入れたら可哀そうでしょうが」
そんなまふゆの冷たい言葉にも私はひるみません。なぜなら雪女だから、そして、何年のこの子の母親やっていると想っているのだ。憎まれ口の中に、ぬくみちゃんへの理解の深さと愛情が垣間見えることにだって気づいちゃうもんね。
「娘のパートナーなんだから娘みたいなものでしょーが! ていうか、私のおかーさんセンサーが告げています。このかちゃんもぬくみちゃんも母親への愛情に飢えていると見た! つまり私が目一杯よしよししてもウィンウィンな関係ということよ!」
ずびし、とずばり指を天にむける私に、ましろは驚愕に満ちた顔で、まふゆは軽いため息で返事をしてくる。
「え……、このかちゃんが片親な話って私してたっけ……?」
「……姉さん、また適当なこと言っているだけだよ、この人は」
「ふふふ、ところがどっこい。このかちゃんみたいなしっかりした子はね、心のどこかでは誰かに甘えたいと言う欲求を持っているものなの。そこがまた、母親心がくすぐられるのよねえ。あとぬくみちゃんはシンプルに褒められ足りてないとみた。いっぱいよしよしして、褒めてあげたいわあ。きっといい顔してくれる」
うんうん、想像しただけで、なんだか楽しくなってきた。娘二人の視線が若干危ういものになっていて、ましろまで若干の警戒を見せている気もするけれど。
「こ、このかちゃんはあげないからね!!」
「……これだから、母さんにパートナーみせんの嫌なんだけど」
「ねえ、まふゆ、これからは二人とも連れてくるのやめる……?」
「全然あり、この人、ワンチャン味見くらいならとか言って、手ぇ出しかねないし」
……あ、あれ、ちょっとやりすぎたかな。二人の眼が完全に警戒というか、あれなものを見る目になっている。慌てて両手をぶんぶん振って、弁明する。
「し、しないよ。さすがに娘のパートナーに手を出すなんて。っていうか、連れてこなくなるのダメ! 私の人生の数すくない楽しみが……」
「えー……」
「はー…………」
その後、結局、たかはな先生が顔を出すまで、しばらく娘二人から怪訝な視線を向けられ続けていたのでありました。
そんなやり取りすら、少し前までは夢のような話だったけれど。
今はただ、こうやって姦しく病室で騒いでいることすら、どこか愛おしく感じてた。
※
ましろがパートナーを作らないと決めた日。
ゆうじさんを私が追い出したあの日から、丁度一年近くたったころ。
どうすればいいだろうって考えてた。
ましろの心のこと、彼女が置かれた状況、私とゆうじさんが迎えた破綻。
それでも幸せになって欲しいと願ったから?
その言葉は今、あまりにも虫がよすぎて、きっとこの子の心は動かせない。
だけど私はゆうじさんみたいに、まっすぐ、考えて言葉を伝えられない。
必死に探してみるけれど、いつも安っぽいと言うか、どうも単純なものばかりになる。
だからわからない、わからなかった。
泣きながら、苦しそうに、震えながら決別の人生を歩むと決めたましろに。
掛ける言葉がみつからなかった。
だから、抱きしめて、あてもないまま一緒に泣くことしかできなくて。
その後も、あの子が選んだ道が本当にあの子の幸せになるのかを、ずっとずっと悩んでばかりいたんだっけ。こういう時、いつもゆうじさんに相談してたから、自分一人だとさっぱり答えが出なかった。
わからないまま、それでもあの子の隣にいたくて……いれなくて。
ゆうじさんとの別れからしばらく経って、身体がいうこと聞かなくなった。病院に運ばれてそのまま寝たきりで過ごすようになった。
基本ずっと夏でも暖房が効いた部屋で、眠るように一日の大半を過ごす。
時々、病院のレクリエーションや運動のプログラムに参加して。
あとは数週間に一度、たかはな先生が紹介してくれた、特別な契約をした人たちから、ちょっとだけ命を貰う。そうやって生き永らえる。
もちろん、それをしない選択肢もあったのだけど。
それでも、私は生きることの方を選んだ。
不貞かもしれない、不誠実かもしれない、命を貰っている人たちにもやっぱり少し申し訳ない気持ちもある。
それでも、私はまだ生きたかった。
まだ娘たちがちゃんと笑っているのを見れてない。
だって、ましろはずっと泣きそうで。
だって、まふゆもずっとどこか苦しそうな顔をしてる。
こんな状態で私までいなくなったら、きっとあの子たちはちゃんと幸せにはなれないから。何より私がそんな状態で死にたくなんてなかったから。
だから寝たきりになっても、知らない人と唇を交わしてでも生き続けた。
私には何もできない、ましろはましろの人生を、まふゆはまふゆの人生を、病気のことはたかはな先生がなんとかしてくるのをただ待つことしか出来なくて。
でも、それでもと生き続けた。
いつか、いつか、ちゃんと幸せになれる日が絶対にあるからと。
せめてその日まで、目一杯、笑っていようとそう想った。
『お母さんはなんでいっつもそんなに笑ってられるの?』
いつか、まったく違うタイミングで、娘たちにそんなことを聞かれた。
『だって、誰かから大事な時間を貰って、私たちは生きているんだもの。だったら精一杯楽しい時間にしなくっちゃ。もちろん、それで何か変わったりするわけではないけれど。それでも、あなたから貰った大切な時間で、私は目一杯楽しい時間を過ごせましたって言えるようにしたいからかな』
反応は娘それぞれ、いや、あの時はどちらも渋い顔をしていたかな。
ただの気休めかやせ我慢って、想われてたかな。まあ、実際そうだったけど。
だけど、今は。
照れたようにしながら、このかちゃんの話をするましろを見て。
ちょっと目を逸らしながら……これも照れだね、お母さんは見逃さないぞ……ぬくみちゃんの話をするまふゆを見て。
本当に、心の底から、楽しく笑っていられるから。
生きててよかったって、月並みだけどそう想ってしまう。
ましろとこのかちゃんと。
まふゆとぬくみちゃんと。
ゆうじさんとたかはな先生と。
そして、もっともっとたくさんの周りにいた人たちのお陰で。
こんな日がやってきた。
ずっとずっと待っていた。
こんな幸せな日がやってきた。
それがただただ嬉しくって。
ついニヤニヤしてしまうから。
いけないいけない抑えないと、また娘たちにやいのやいの言われてしまう。
そんなことを考えていたら、たかはな先生が病室に入ってきて、挨拶もそこそこに今日の実験の話をし始めた。
それから、私たちの手の平に何個か折り紙の花を置いていく。
知ってる人だったり、知らない人から貰った折り紙でどれくらい効果に違いがあるか調べるんだって。
いくつか、ほんのりとあたたかい折り紙が手のひらに置かれていくのを、私は微笑みながら感じてて―――――。
………………。
…………………………。
……………………………………え。
たかはな先生が、私の手の平に乗せた最後の一個。
水色の花の折り紙が手元に乗った瞬間に。
気づいてしまった。
―――気づかないわけないよ。
ずっと、ずっと20年。私のために、愛をくれた人。
その人がこめてくれた愛に、熱に。
温かくて心地いいこの想いに。
私が気づかないわけないじゃん。
こんなのすぐわかっちゃう。
ぼろぼろと、ぼたぼたと、雫が急に零れだす。
ああ、だめだね、年行くと涙腺が脆くなっちゃって。
ましろとまふゆが不思議そうに私を見て、たかはな先生は優しく微笑んで私を見ていた。
ただ私は何も言えないまま、じっとその花を胸に抱き留めて。
ただ零れ出る雫の熱さだけを感じてた。
ああ、やっとだ。
やっと。
きっと、あの人の病気がわかったあの日から。
ましろがパートナーを作らないと決めてしまったあの日から。
ずっと私はこの時間を待っていて。
やっとやっと、長い10年以上かけてやっと、ここまでこれたんだと。
そんなことを泣きながら、花を胸に抱きしめながら。
ただ、感じてた。
年も明けてそろそろ冬の盛りもすぎるころ。
あと一月もすればきっと春が来る。
やっと長い長い冬が終わりの兆しを見せ始めた頃のことだった。
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