クロが亡くなった2
その夜、私は後悔の念に駆られ、うまく眠れなかった。
もし、病院で死んでしまったらどうしよう。
寂しい場所で、ひとりぼっちで死んでしまう。そんな悲しい最期なんて絶対に嫌だ。
悪い予感がぐるぐると頭を駆け巡った。
暖かい場所で、別の猫や、私に看取られて最後を迎えて欲しい。最後にもう一度、彼の姿を見たい。だから、踏ん張ってほしい。
そう思っていた。
────悪い予感ほどよく的中するのだと、翌朝にかかってきた電話で思い知らされた。
スマホの画面に出た動物病院の名前に、私は血の気が引いた。その日は朝イチで「今日の面会、何時に行って良いですか?」と聞くつもりだった。
だから、向こうからの電話は予想外だった。
一気に嫌な予感がした。身体中が冷えて、どうしようもない感情に襲われた。
電話に出たくなかった。けれど、出るしか私に残された道はなかった。
「〇〇動物病院です」。そう告げられ、その声色で私は察し、しかし違うだろうと現実逃避をした。
「クロちゃんが、先ほど亡くなりました。今すぐに来ることは可能ですか?」。先生の声はひどく落ち着いていた。
私は「はぇ?」だか「え?」だか、よく分からない言葉を発していたと思う。
目の前がぐらっと傾き、心臓がバクバクと跳ねた。
血の気が引いて、手が震えて、目の前がかすみ、喉の奥がキュウと狭くなった。
「本当ですか?」。多分、こう言ったと思う。正直、ここは本当によく覚えていない。ボロボロ泣きながら、必死に声を絞り出したということしか、覚えていない。
「今すぐ、行きます」。形になっていない言葉だったと思う。先生に伝わっていないまま、電話を切った。
その場に崩れ落ちて、朝であるにも関わらず、大声で泣いた。
私が殺したんだ、と瞬時に理解した。
まさか、こんな結果になるだなんて、思っていなかった。
あの時はただ、汚れが気になって、それを洗ってあげたかっただけなのだ。
それなのに、こんな結果になるだなんて。
私が彼を苦しめ、追い込み、殺した。
死にたい。
瞬発的にそう思った。後悔と苦しみと、クロとの別れが波のように押し寄せ、そう思った。
元々、希死念慮があるタイプの人間だったが、この時ばかりは本当にそう思ってしまった。
しかし、ここで私が死んでも、何にもならない。
急いで着替えて、動物病院へ向かった。
向かう途中に踏切があるのだが、何度ここで立ち止まろうかとさえ思った。
けれど、人に迷惑をかけるのはやめようと思い、走って目的地へ向かった。
鼻水と涙で汚い顔をした私を優しく迎えてくれたスタッフの方に導かれ、クロが眠っている場所へと向かった。
そこには、横たわったクロがいた。
足から力が抜け、ガクンと崩れ落ちた。
よく分からない声で泣いていたと思うし、何度も「ごめんなさい」と醜い声で謝罪していたと思う。
私のせいで死んでしまったクロに触れてみた。
冷たい彼は、もうゴロゴロとの喉を鳴らす事もなく、瞬きをすることも、私の声に反応して尻尾の先を動かす事もなかった。
ただひっそりと、そこに眠っていた。
「静かに、最期を迎えましたよ」と先生は言ってくれた。
けれど、私は目視できていない。彼の最期を、この目に焼き付けることができていない。
全て、私の責任だ。
入院させてしまったのも、ひっそりと息を引き取らせてしまったのも。
全て、私が悪い。
私は、許されない飼い主だと思う。
癌で苦しんでいた彼を、追い詰め、殺してしまった。
先生は「よく頑張りましたよ、飼い主さんも、クロちゃんも」と慰めてくれたが、頑張ったのはクロだけだ。
クロだけが毎日痛みに耐え、必死に生きていた。
そんな彼を殺したのは、私である。
先生もそんなこと、気がついているはずなのに、責めなかった。
「癌で弱っていたから、しょうがない」「痛みから、早めに解放されたって思ってあげよう」。スタッフさんに言われたことだ。
けれど、どんな慰めも、愛猫を殺した私には染みなかった。
こんなはずじゃなかった。
癌になったことは、もうしょうがないと受け入れた。
それを受け入れた上で、彼の最期を全うさせてあげようと思っていたのだ。
このエッセイも、彼の綺麗な最期で幕を閉じる予定だったのだ。
こんなはずじゃ、なかったんだ。
私が殺してしまうだなんて、思ってもいなかった。
どうしてだろう。
本当に、こんなはずじゃなかった。
書いている今も、後悔と涙が止まらない。
十一年もそばにいてくれた愛しい彼の最期に、私が泥を塗ってしまった。
悔やんでも悔やみきれない。
クリスマスを共に過ごしたかった。
一緒に、年を越したかった。
その次の年も、一緒にいてほしかった。
私がそれを台無しにしてしまった。
ごめんなさい、本当にごめんなさい。
ダメな飼い主でごめんなさい。
どうやったら私は赦されるのだろう。
クロの元へ行って、謝りたい。
苦しめてごめんねと言いたい。
赦されたい。
とても苦しい。
苦して、苦しくて、たまらない。
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