この世では、善人は不運であり、悪人は幸運である
エリファス1810
この世では、善人は不運であり、悪人は幸運である
道元の「正法眼蔵」の「三時業」によると、
(1)(真の)恩を仇で返すと現世で報いを受ける。
(2)「五逆罪」を犯すと来世で絶え間無く苦しむ地獄に落ちる報いを受ける。
(3)その他の悪事は来来世以降で報いを受ける。
「五逆罪」とは、
(1)(善良な)父を殺す罪
(2)(善良な)母を殺す罪
(3)「阿羅漢」という聖者を殺す罪
(4)(神と一体化している)仏を傷つけて出血させる罪
(5)(善である)仏法を(悪法を作って禁止したりして)破壊したり、(異端をねつ造したりして)僧団を破壊したりする罪
である。
そのため、例えば、悪人が恩人ではない他人を殺しても現世では報いを受けないので、無知な大衆は「悪人が神罰を受けないので、神は存在しない」と誤って思い込んでしまうのである。
しかし、なぜ、悪人が悪事を犯しても現世で即座に報いを受けないのか?
それは、この世が悪の世界だからである。
崇高な一大事のために唯一の男性神は悪の世界である「この世」を創世してイエスという人として降臨して苦しんだからである。
そして、神は思いやり深いので、仮に神が人を使い捨てにしても被造物である人は従うしかないのに、釈迦牟尼仏のように心を綺麗にしていき善行をしていけば神の分身に成れるようにしてくれているのである。
さて、釈迦牟尼仏は悪い時代の始まりに「この世」に降臨して教え導いてくれた。
また、イエスは善人と悪人の境目にいる人が最も多い時代に「この世」に降臨して悔い改めるように説いてくれた。
釈迦牟尼仏の死後から3千年近い現代、イエスの死後から2千年近い現代は、最も悪い時代なのである。
悪の世界である「この世」では、善人は不運であり、悪人は幸運であるし、特に、「悪い時代」では、善人は不運であり、悪人は幸運であるので、「悪い時代」と言うのである。
ただし、例えば、美しい肉体に生まれる等、悪人は幸運であっても、その幸運は借金のような物なので、悪人は死後、幸運であった分だけ厳しく報いを受ける羽目に成ってしまう。
ちなみに、不運な人が全て善人ではないし、幸運な人が全て悪人ではない。
そのため、人の
話を戻すと、この世は悪の世界であるし、現代は最も悪い時代なので、善人が不運であっても、悪人が幸運であっても、神の悪口を言わず、善の悪口を言わず、
もし神の悪口を思ってしまったり言ってしまったりしていたら、神に謝罪する必要が有る。
この世では、善人は不運であり、悪人は幸運である エリファス1810 @Eliphas1810
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