第19話 あたしだけのアッキちゃんでいて
腕の腫れはその後も引かず、あたしはライブのあと、本格的に熱をだした。
からだの一部の不調が、全体にまわったって感じ。
「夏風邪かしら。遊び回ってるからよ、このご時世に。陰性でよかったけど本当にヒヤヒヤした。お母さん仕事休まないといけないかと思ったわ」
なんてお母さんの声が、ぼうっとした頭のなかで
普段なら反論するところだけど(自慢じゃないけどあたしは
ただでさえ
なにしろ、アッキちゃんからの連絡にすらまともに返信できなくて、短いやりとりで済ませてしまっているくらいなのだ。
――ていうか、アッキちゃんはあの後、ショック受けてないかな。
――つぎのライブまでに、あたしの熱は下がるのかな。
――あの蛾と蝶はなんだったのかな。
――蛾と蝶の戦いを見て、アッキちゃんが、あたしと舞火の二人に同時に話をふったのはどうしてなのかな。
――アッキちゃんはどこまでセーマン派? とかいうものについて知っているのかな。
――あの赤い蝶は、たしか、舞火と初めてエンカウントした日にも、飛んでいたような……。
そこまで考えてあたしは強烈な頭痛に
ぎりぎりと頭を外側から
吐き気、なんて気取って言ったけど、実際吐きそうになって、「うー」とか「ああー」とか言いながら枕に頭を押し付けることしかできなくなった。
「いだいー。だるいー。ねれないー」
のどがからからに乾いている。ベッドサイドの床には水のペットボトルが置いてある。
でも水を胃に入れただけでも吐きそうだ。
寒気に耐えきれずに、夏だっていうのにぶ厚い毛布を引っ張り出してきて、くるまっている。
汗がたえまなくふき出し続けて、部屋着も下着も濡れていて気持ちが悪い。着替えるために体を起こす気力もなくて、ただ
枕元のスマホが、メッセージの受信を告げてふるえた。
「誰ぇ~? こんなときにぃ……」
今朝、お母さんが仕事に向かう前に言い渡していった、経過報告の
寝てましたって言って、スルーしちゃおうかなあ。
そんなことを思いながら、かすむ目でスマホの画面を見る。液晶がまぶしくてまた頭が痛んだけれど、メッセージの送り主を見て、あたしは勢いよく体を起こした。
急に縦にさせられた体が、頭に血がいかないです! と
白くぬりこめられていく視界で、なんとか通知欄を再確認する。
やっぱり、アッキちゃんからのメッセージだ。
前のやりとりは、あたしが寝ちゃって以降止まってたから、アッキちゃんから連絡がきて嬉しい。
反面で、申し訳なさもある。
でも、あのライブの件で熱を出してるなんて言うのも心配させそうだから、うまく言い訳できないでいた。
アッキちゃん、なんてメッセージくれたのかな。とわくわくしながらアプリを開く。
メッセージは一言だけ、
『風邪ひいたから今日は寝てる 熱はないから大丈夫だよ』
だった。
「――って、アッキちゃんも、風邪!?」
カッスカスの喉で急に大声を出したものだから、あたしは激しく咳き込んだ。
肋骨が痛い。
胸をおさえながら、返信を考える。
アッキちゃんの大丈夫は、大丈夫ではない。しかも風邪をひいたってわざわざ言いたくてメッセージを送ってきている。
そして数日間のあいだ、あたし達は会えてない。あたしが発熱したからだ。
さらには、アッキちゃんはめんどくさい構ってちゃんである。
ここから導きだされる答えは……、アッキちゃんはあたしに看病に来て欲しい! 会いたいって言ってる!
……あたしの思い上がりじゃなければだけど。
「でも、無理だよぉー……」
あたしは力なく、ベッドにつっぷした。目がとろとろしてきて、すかさず重い
でもこのメッセージに既読無視はぜったいにダメだ。
仕方なく、あたしは発熱を告白することにした。
アッキちゃんのせいじゃないよって、出来るだけ伝える方向で。
『風邪、心配だよ~… 実はあたしもいま熱出てて 多分夏かぜ お見舞いにいけなくてごめんね』
泣き顔のパンダのスタンプも送信してみる。
既読はすぐについた。直後に返信がある。
『大丈夫だよ ヤバくなったら
『そうなんだ! よかった! また元気になったらリリィ行こうね 次の現場も楽しみだな』
『リリィのババアもう腰なおったみたいだしまた行きたいね』
アッキちゃんのメッセージに、こんどはパアアアという擬音を背負って嬉しそうな顔をするひよこのスタンプを送る。ちなみにどちらも無料の地味なスタンプだ。
せっかくアッキちゃんと友だち――で、いいんだよね――になって、メッセージを送り合うようになったんだから、有料のかわいいスタンプが欲しいところ。でもいっぱいありすぎて迷ってまだ買えてない。
有料スタンプを買ったことのない女子高生なんているんですか? っているんだよ、ここに。
だってかわいいスタンプを送りたいなんて思ったの、アッキちゃんが初めてなんだから。
ひよこのスタンプで会話を終わらせたあたしは、力つきてスマホをベッドに放った。
枕に顔をうずめて、いまの気持ちを整理する。
アッキちゃんから連絡をくれたのは、嬉しい。
アッキちゃんがあたしにお見舞いに来てほしそうだったのも、嬉しい。
思い出のお店の『リリィ』のママ(推定八十代)が元気になったのは、いいこと。
アッキちゃんのお見舞いに桃娘が来るのは――普通にイヤ。
桃娘は【色欲】担当。明るいプラチナの髪にピンクのインナーカラーが似合うセクシーな子だ。
いつもヘアアレンジが
アッキちゃんと特別仲がいいっていうのは、聞いたことがない。
そこでお見舞いに来るのってせめて戴天じゃないの? 悔しいけど、戴天は外から見てもそうと分かるくらい、アッキちゃんとニコイチなんだから。
なのに桃娘。女子ウケも男子ウケもする、ムカつく困り眉のメイクの、桃娘。なんでだよ。
Sin-sってなにげにメンバー仲いいの? あんまりそうは見えないけど。なんて失礼なことまで考えた。
「なんであの子が部屋に来るんだよ~ヤダよ~」
枕に顔をうめて、ダダをこねる子どもみたいに足をばたつかせてみる。
あー、頭、痛い。
腕の腫れも、痛い。ていうか熱い。
皮膚科でも診てもらったけど、原因不明ってことだった。心因性かもしれないなんて診断にもならない診断を受けただけ。
「アッキちゃんの汚部屋に入れるのはあたしだけなのに……アッキちゃん、まさかすっぴんで居ないよね? アッキちゃんの秘密を知るのもあたしだけでいいし、アッキちゃんに頼られるのもあたしだけでいいのに。桃娘なんか、」
そこまで呟いたところで、自分がなにを言おうとしていたのか恐ろしくなって口をつぐんだ。
アッキちゃんの風邪を心配して、部屋に来てくれる友だちに、あたしは何を言おうとした?
腕の熱が気になって、撫でる。
腕についたアザを見ていると、発熱によって
指でつかまれたような形のアザが、蜘蛛みたいに動き出して、口もとまではい上がってくる。
きっとこれは夢だ。
悪夢だ。
幻覚だ。
だって赤い蝶までいま見えている。
幻覚見るくらい熱でバカになってるんだから、言っちゃっても、いいよね。
「――桃娘なんか二度とあたしのアッキちゃんに近づけなくなればいいのに」
言葉にしたら、すうっと胸のわだかまりが晴れた。
飲みくだされた蜘蛛は、甘い蜜の味をさせながらあたしの食道をおりていく。
濃厚な甘さが脳をしびれさせる。
汗のしみた服やシーツから、甘酸っぱいような香りがしている。
毛布のなかでうつぶせで丸まっていたからだを、仰向けにしてまっすぐに伸ばしてみる。手を胸のうえで組んでみる。
きっと今あたしは、若いまま亡くなって埋葬される少女みたいになっている。
全身が重くて、酸素はこころなしか薄い。
ほんとうに棺桶の中に入って、土の下に埋められたみたい。
いつの間にか、腕の腫れはやわらいでいた。
アザがどうなっているか確認するまえに、あたしは瞼がおりる力にまかせて目を閉じた。
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