第17話 あたしの名前は加々見もえ
久しぶりに腕を通した制服のワイシャツの半袖からは、日焼けした腕が伸びていた。
日焼け止めを塗っていても色が変わるくらいには、日焼けしやすい体質だ。濃い色に変わった腕を見るのは、小学生以来かもしれない。
今年の夏は、アッキちゃんに会うために珍しく外に出ているから。
「あれ、鏡餅やけた? 焦げてんじゃん」
クラスに入って早々にTが、いや、高田が声を掛けてくる。
「おはよう、高田」
目を見て挨拶をしてやると、高田はまばたきを何度もしてから目を反らした。
「あ、おはよう、かがみも」
「加々見もえ」
「え?」
あたしの名前を言ってやると、高田が口をぽかんとあけてバカみたいな顔をした。
「加々見もえだよ。あたしの名前。鏡餅イジり、つまんないからやめてね」
「あ、ごめん。加々見は日に焼けたなって思って。……旅行とか行ったの?」
「関係ないでしょ。じゃ」
まだなにかを言おうともごもごする高田に背を向けて、あたしは自分の席に向かった。
「高田フラレてんの~!」って他の女子の声がしたけど、興味ない。
五井と浜野は先に来ていた。
五井の席のよこに浜野がしゃがみ込んで、二人で笑い合っている。今までのあたしだったら、そこに入る気にはなれなかった。自分の席で無料のアプリゲームを延々とプレイする時間を過ごしていたと思う。
無課金で出来る範囲でなんでもやるけど、世界を作ったりするのはタルくて嫌い。謎解き系が好き。あと無心になりたいときは、ただ鬼から逃げるだけのゲームとかね。
「おはよー」
と声をかける前から、二人とは目が合っていた。
ひらひらと手を振りながら、近づいていく。
「おはよー加々見ちゃん」
「加々見ちゃん焼けたね。ていうか、高田に言ってやってたね。すっきりするなー」
「もー、焼けやすくって困るよー。焦げとか言われて普通にキレちゃった」
「いやーあれは高田が悪いって。これで反省するんじゃない? 小学生みたいなメンタルでいたら恋愛成就しないって」
「ねー。でもめっちゃ凹んでも可哀想だし、あとで許してあげなよ~。根は悪くないやつだし。加々見ちゃんのこと好きすぎなんだよあいつ」
浜野の言葉に、五井が笑った。
あたしは笑えない。
あたしの名前をイジり続けて、それで好きだから許してあげてよなんておかしい。あたしの気持ちは? 尊厳は?
浜野と五井は悪い子じゃないけど、なんていうかノリが違う。
いつものあたしなら、そういうズレは、あたしのせいだと思って笑ってごまかしていたと思う。
でも今日はごまかせなかった。あたしはもうあたしの怒りを騙しきれない。
「いや、好きとか関係なく、失礼だから無理だよ。やられた方に許してやれっておかしいでしょ」
あたしの一言で、あたしたち三人の輪は、しん、と静まった。
気まずい沈黙のなか、浜野と五井は顔を見合わせて、首をかしげたりまばたきをしたりし合った。決定的な言葉を使わないで、あたしにさりげなく不満を伝えようってわけだ。
「なーんて」ってあたしが言うのを待ってる。笑い話にするのを待ってる。
でも、言わない。
「あたしの大事な名前だから、イジられたら怒るよ。高田の話はこれでおしまいだから」
そう言い残して席に戻るあたしの背中に、「なんか怒ってる?」「え? うちらキレられた?」っていう声が被さる。
もしかしてこれで、あたしはクラスでのグループを失うことになるかもしれない。
そんなことはどうでも良かった。あたしはあたしを怒りで塗り固めて、強くなる。
強いあたしが守りたいのは、学校でのせこい居場所なんかじゃなくて、アッキちゃんなんだから。
今日のライブで復帰するアッキちゃんを、あらゆる害から守るんだから。
夏休み中の登校日だからホームルームに出席するだけでいい。
ホームルームを終えたあたしは、リュックを背負い、さっさと教室を出ることにした。
浜野や五井とだらだら話して居残っている時間なんてない。高田がなにか言いたそうにこっちを見ていたけど、無視する。
復帰ライブで、アッキちゃんが待っているんだから。
初めての現場ってだけでも興奮ものなのに、アッキちゃんを守らなきゃっていう緊張感もあった。
だからか、ライブではおかしなテンションになっていた。
ライブの一曲目としてある曲のイントロが流れた瞬間、頭の中が真っ白になった。
Sin-sのライブでは必ず一曲目に使われるお約束のカバー曲があるのだけれど、この日の一曲目はその曲ではなかった。
流れたのは、アッキちゃんが襲撃されたライブで、中断された曲だ。
会場内は一瞬とまどう空気になったあと、ワア! と興奮して紫色のペンライトが一面に灯る。
あの日のセットリストを、中断したところからやり直すつもりなんだ。って、あたしを含むファンはすぐに気づいた。でも、あたしは盛り上がって良いのか分からず、固まっていた。
この演出ってアッキちゃんのためになるのかな? 怖かったことを思い出さないかな? ファンのための感動演出に、素直に感動していいのかな?
そんなことを思いつつ、紫色のペンライトを握りしめていると、アッキちゃんを先頭にしてメンバーが現れた。アッキちゃんの立ち位置は、センター。いつもとは違う、特別なフォーメーション。
そこで堂々と客席に笑いかけて見せるアッキちゃんを見て、あたしは自分の、勝手な心配を恥じた。アッキちゃんは最高のアイドルだ。
気づいたら、ステージを見ながら泣いていた。
アッキちゃん復活の最初のステージだったからか、トークもアッキちゃん中心だったし、みんな紫のペンライトを振っていた。紫色の光を見ていると、心がぐちゃぐちゃになって涙がにじんでくる。
ペンライトの光がぼやぼやに混じり合って、一面が紫の海になる。
でもこの海のどこかに、またアッキちゃんを傷つけようとしている奴がいるかもしれない。
あたたかに見える光の海のなかに、悪意、いや殺意が隠れている。
そんな悲しいことってあるの?
ライブが終わって、物販のところでだるそうに立つアッキちゃんからチェキ券を購入する。
お財布の都合もあって、あたしに買えるのはたった二枚。こういうところで貢献できないのは、やっぱり悔しい。あたしの前の人も前の前の人も、明らかに『束』って感じで買っていたから、余計にそう思う。
「ありがとー」
と流れ作業的に券を売ってくれたアッキちゃんの口もとのフェイスシールドは、全然曇ってない。アッキちゃんて呼気がないのかな、それともすごく少ないのかな。体のこと、バレないのかな、って心配してしまう。
そこであたしはハッと気づいて、必死で周りに五芒星がいないかを探す。
五芒星――セーマンの印は、限りなく犯人に近い印だ。
水を撒いた男の特徴は把握しているけど、帽子でもかぶられたら分からない。舞火のことも考えに入れると、犯人の男は単独犯ではなくて、組織の一員である可能性が高い。
チェキの列にならんでいる間も、緊張をゆるめる暇はなかった。
怪しい動きがないかとじろじろ見張っていると、常連の人たちの動きも分かってくる。
名前で呼んでもらったり、「今日はどんなポーズにしようか」なんて話しかけてもらっている。
正直、うらやましい。
常連っぽい人には、可愛い子、かっこいい子が多い気がして、あたしの心はみるみるしおれていった。
あたしの番なんて来ないで良いって思うくらいに。
裏方でいいです。たった二2枚の券をわたして、二2分しゃべって、なんてしょぼすぎてこっちが困ります。
みんなちゃんと『束』でアッキちゃんを支えてるのに。
あたしなんかは端っこで、怪しいやつが居ないか見張ってたらいいです。
なんてうじうじと考えていても、順番は回ってきてしまう。
「初めて来てくれたよね、名前は?」
いつかの約束通り、あたしの名前をたずねながらアッキちゃんが手を差し出してくれる。
アイドルとしてのアッキちゃんが目の前にいて、握手で手を触れて、距離としては近いはずなのにずっとずっと遠くに行った感じがした。
「そう、今日が初参戦。名前は、もえです」
「もえちゃんね。もえちゃん、今日はありがとう」
あたしの名前を噛みしめるように繰り返したアッキちゃんが、嬉しそうに笑う。
「ずっと茶の間だったので、復帰のライブに来られて良かった。ほんとうに……」
また涙がこみ上げてきて、言葉につまる。
「うん、来てくれてうれしいよ」
「ステージに立つアッキちゃんが見られて、ホントにホントに良かった」
そこで、はがしのスタッフが来て、あたしは素直に離れていった。
アッキちゃんが最後までアイドルのアッキちゃんの顔で、手を振ってくれる。
その姿を見て、アッキちゃんの本名って何なんだろうって、ふと思った。
チェキの後にも会場に残って、アッキちゃんの周りをずっと見張ることにする。
イベントが全て終わるまで、油断は出来ない。
そう思って列を睨んでいると、隣に寄って立つひとの気配があった。
「久しぶりだね? アッキ、復帰できて良かったね?」
不愉快な疑問形しゃべりで、舞火と分かった。
あたしは視線をアッキちゃんの周りに向けたまま、黙って無視することにした。
「復帰するの、不安だったかな? それでいちご大福ちゃんが、守ってあげてるのかな? ここで見守っていて、なにかあったときに駆けつけるってわけ?」
返事をかえさなくても、舞火は構わず話し続ける。
顔を覗き込むようにされたので、払いのける。視界の端で五芒星ピアスが光った。
ツインテールのウィッグは、近くで見るといかにも作り物でテカテカしている。
その質感が、なんだか不快だった。アッキちゃんのウィッグにはそんなこと思わないのに、不思議。
「あ、見て、あの男の人めちゃ近くない? 話す距離やたら近いよね? アッキすごいイヤそう~。あの子ぜんぶ顔に出るからかわいいよね~?」
「うるさい」
の一言で一蹴したものの、その男の様子はあたしもさっきから気になっていた。
手を握ってから会話をする距離がものすごく近い。顔を寄せすぎ。っていうか、手を引っ張って体も近づけようとしている。
体が大きいのも怖い。
スタッフがまん丸い山のような背中にとりついてはがそうとしているけど、男の体はびくともしない。
「近づいてんじゃねえよ」
思わず毒づいたときだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます