第6話 見てんじゃね−よ
アッキちゃんから、話を聞きたい。反応が欲しい。
直感として、この件はこれ以上詳しく公式に説明されることは無いだろうと思った。
過激なファンがついているっていうのは、Sin-sとしてイメージがいい事ではないし、そもそもアッキちゃん以外の人はぴんぴんしている。液体を浴びたらしい女の子がいい例。
まあこの子が虚言ヘキだっていう線もあるけど、だとしたら演技派すぎるでしょって思う。そのくらい彼女の投稿は混乱を極めていて追いにくかった。
地下アイドルの運営に、これ以上の説明を求めるのは無理だろう。Sin-sのプロデューサーであり【強欲】担当でもある
……それにしても、#name#なんて皮肉な名前を付けるよなあ。って、それまで興味の薄かった#name#の名前について思いをはせる。これは多分、夢小説の名前変換タグのもじりだ。よね? あなたの名前を入れてね、あなたはアタシになれますよ。ってことなんだろうな。
確かに、#name#は夢小説ヒロインみたいな美少女だ。胸まで届く柔らかな黒髪をハーフツインテールにして、話すと頭の回転が早くて。でも、あたしから見るとたまに表情が俗っぽい。世の中、金や! みたいな。
事件についての情報の少なさに業を煮やして、運営と#name#に対して嫌味っぽいことを考えてしまう。
もしアッキちゃんが表向き沈黙しちゃったら、あたしは何も知りようがない。
他のファンと同じ発言をして、毒にも薬にもならないリプライをつけるだけのいちご大福じゃ、きっとアッキちゃんは何も反応してくれない。
毒虫アカウントを動かすしかないと思った。
アッキちゃんが確実に見て、反応してくれるのは、なぜかあの気持ち悪い毒虫アカウントなのだ。
毒虫@dokuhakiuzimushi
推しに会わないうちに推しが消えたら嫌だ
毒虫@dokuhakiuzimushi
復活して復活して復活して
毒虫@dokuhakiuzimushi
復活してよ、絶対凸るから
知らないことだらけのまま消えられたくない
衝動的に連投した。
居ても立ってもいられなくなって、あたしは夜の街に出ることにした。
ライブ会場の前まで、とりあえず現場に行かないと気持ちが収まらない。
会場までのルートはずっとイメージトレーニングしてきた。夜の街が不安だけれど、迷子にはならないだろう。
まさか初めてのライブ参戦前に、こんなことで会場に向かうとは思わなかったけど。
「もえちゃん、ご飯あっためる?」
階段を駆け下りるあたしに、お母さんがリビングから声をかける。
帰ってからずっと眠っていたし、起きてからは事件の情報を漁っていたから部屋にこもっていて、夕ご飯を食べてない。
急に自分の空腹に気づいてしまったけど、もう止められない。
あたしは、初めての「現場」ってやつを体験しにいく。そこにはもうメンバーもファンもいない。
でもそんなの関係なかった。アッキちゃんにつながるものなら何でも良いっていう動機。それだけがあたしを動かした。
「ごめん、ちょっと友だちに会いにいく! 試験勉強!」
「ちょっともう九時前だよ! お父さん、もえ止めてよ!」
シンクの水を止める音と、テレビがザッピングされる音。
制止される前に、と急いで靴を履く。しわくちゃの制服のままだけど仕方ない。
帰ってきたときのまま玄関に放置されていたリュックは、ノートや教科書でずしりと重い。
肩にかける。お父さんが居間から出てくる前に、急いでドアを開けた。
後ろで、「まあ、いいんじゃないか。友だち付き合いもあるだろうだろ。勉強なんて熱心じゃないか」とめんどくさそうに言うお父さんの声がした。
これでお母さんの怒りの矛先は、お父さんに向くはずだ。ありがとう、全てにやる気のないお父さん。あたしの陰キャってあなたの遺伝では?
山手線から降りたときに気づいてしまった。制服のままうろつくのって、マズいのかもしれない。
夜の十一時をすぎることはさすがに無いだろうけど、もしなにか聞かれたらどう答えたらいいのか分からない。
あたしは地下街の雑貨屋で、適当なねこの絵のTシャツを買って着替えた。
せめてものメンバーカラーで紫を選ぶ。二千円プラス税の出費はお財布に結構なダメージだ。
ライブハウスのある道玄坂に立ち入って、Tシャツに着替えたのはいい判断だったと思った。
「ホ、ホテル街じゃん……!」
道を行くのはカップルと酔っ払いばっかり。酔っ払ったカップル、というパターンもある。
できるだけ動揺を表に出さないようにしながら、地図アプリの現在地周辺図を見つめてライブハウスを目指す。
近づくにつれて、マップを拡大していく。ライブハウスの向かいも隣もラブホテルだってことに気づいた。会場までのルートを調べてイメージトレーニングはしていたとはいえ、処女には限界がある。
「うわあ、ライブハウスってこんなとこにあるんだ……」
アッキちゃんたちがどれだけ輝いて見えても、いまはまだ地下アイドル。ライブハウスでの活動を応援しないといけないんだ。茶の間してる場合じゃないんだ。そんな思いを新たにした。
だからこそ、アッキちゃんにはちゃんと復活してもらいたい。
ここが、最後にアッキちゃんが立った舞台にならないように。
そう思って顔を上げた先に、地下にライブハウスが入っている商業ビルがあった。
ビルの前は閑散としていて、お酒の缶が転がっている。
外側にも、ビルのエントランスにも、自動販売機が立ち並んでいる。
ビルの柱に巻かれたスチールが、景色を歪めて写している。そこに紫色のTシャツを着たあたしが、ムンクの叫びみたいに歪んだ形で写り込んでいる。
静かだった。看板に書かれたSin-sの文字だけが、今日ここでイベントがあったということを知らせている。
毒虫@dokuhakiuzimushi
来てみたけどどうしていいか分からない
茶の間の無力さ
向かいのビルの影でSNS投稿したところで、お腹が鳴った。こんなときにもあたしの内臓は、いつも通りに働こうとする。自分の健康さが恥ずかしい。
お腹を鳴らし続けているわけにもいかないし、ジュースでも飲もうかな。とライブハウスの入り口前に並ぶ自販機に向かって足を踏み出したときだ。
スマートホンが通知を告げた。
さっき投稿したばかりの毒虫アカウントにいいねがついている。アッキちゃんからだ。
「え? え? もうSNS見られるの? じゃあやっぱり怪我したっぽい情報はウソ?」
動揺して道の真ん中で足を止めたあたしの視界の端で、何かがうごいた。
自販機の陰に、彼女は居た。
「アッキちゃん、だ」
もともと自販機に向かおうと道路を横断していた足だ。動き出した力のままに、一歩、二歩、と足を進めればアッキちゃんに近づいていく。
迷いながらも、動き出した足を止める力が働かない。関係ないはずの、物理の授業を思い出す。物体が静止する条件式は何だったか。
アッキちゃんの先にある自販機を目指すふりをして、ゆっくりと彼女の前を通過する。
横目で見たアッキちゃんの顔の右半分はが、長い髪で覆われていた。
髪に隠されていない方の、左側の目はいつもの囲み目メイクじゃない。すっぴんなのかな? と思った。
すっぴんっぽくても、きれいな顔立ちなのはよく分かった。目だって、はっきりとした二重の、吊り気味のアーモンドアイだ。瞳も大きくて、光を吸い込んできらきら光っている。
そう、瞳に目が行って、あたしは立ち止まった。
彼女の瞳が真っ赤になっていた。真っ赤な目、と比喩で言うときには、白目の充血をさすものだけれど、この場合の真っ赤は比喩じゃない。眼球が、白兎みたいに赤いのだ。
それにまつ毛も白い。
はじめはノーメイクだから目元がぼやけているのかと思ったけど、よくみたら白鳥の羽根みたいに白くてふわふわした、でも密度の高いまつげが生えている。
アッキちゃんはいつも大きな黒のカラコンをつけていて、それが若干浮いていると陰口で言われることもある。正直ファンから見ても、もっと自然なカラコンにしたらいいのにとは思うけど、アッキちゃんが選んだものだから文句はなかった。
――イメチェンで、赤のカラコンにした、とかかなあ? でもなんでこのタイミングで?
足が完全にとまって、あたしは知らず知らずのうちにアッキちゃんを凝視していたらしい。
しゃがみ込んだままのアッキちゃんが、あたしを見上げて、睨みつける。血色を失った真っ白な唇が動いた。
「見てんじゃねーよ」
音にならないくらいの声で、でもそう言ったんだなって分かるくらいはっきりと口を動かして、アッキちゃんは言った。
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