二周目の世界で、前世の護衛騎士から怖いくらいに執着されています。

有沢真尋

プロローグ

第1話 君は誰なんだ?

「その銀の髪の美しさは、まるで月の女神のようですね」


 さる侯爵家主催の、舞踏会の夜。

 月の光が照らし出すバルコニーにて、ヴィクトリア・ブレナンはその言葉を、貼り付けたような笑顔で聞き流していた。


(銀の髪を見たら月の女神にたとえたくなるのはわかるんですが、皆さん同じことを言うんですよねーっ)


 可愛らしい、美しい、子どもながらに完成された顔。将来が楽しみ。

 物心ついた頃から、ヴィクトリアの容姿は褒められ続けてきた。

 成長にともなって、その賛辞はスタイルへの言及も含むものになってきた。身長は平均程度だが、首筋から肩周りや腰はほっそりとしているのに、胸は育っている。いかにも人目をひく「可愛らしい」外見という自覚はある。

 いわゆる、庇護欲をそそる容姿なのだ。


「その潤んだ紫の瞳に見つめられると、あなたの前にすべてを投げ出して、愛を乞うてしまいたくなります」


 バルコニーで涼んでいたヴィクトリアに言い寄ってきた貴族令息の何某は、感極まった様子で片膝をつき、片手を胸にあて、もう片方の手を伸ばしてくる。「愛を乞う」仕草なのかもしれないが、距離を詰められることに、ヴィクトリアは危機感を覚えた。

 始まってしまった口上を遮るタイミングを逃してしまったのが、いけなかった。

 しかし相手は決して怪しい風体でもなく、舞踏会の招待客なのだから、大事にはならないだろうという油断もどこかにあったのだ。


 ヴィクトリアとて、十八歳を迎えた伯爵家の娘。

 多少の駆け引きをしてでも、結婚相手を見つける必要性は、ひしひしと感じている。

 とはいえ、家督を継ぐ兄はすでに結婚しており、相続関係の心配はない。両親は幼い頃からヴィクトリアを目に入れても痛くないとばかりに可愛がっていたので、よほど問題のある相手でない限り、意向を最大限に尊重すると言ってくれている。

 ブレナン伯爵家は順風満帆なのだから、ひとり娘が愛のない政略結婚する必要などまったくないのだと。

 つまり、意に染まぬ相手とお付き合いするほど、切羽詰まっているわけではない。


(頃合いでしょうか。いつまでも付き合っていると、押し倒されかねません)


 ダンスホールからの灯りがかろうじて届いてはいるが、柱が目隠しとなって、何かあっても目撃されにくい場所だ。体格では男性に及ばないヴィクトリアは、不意をつかれたらひとたまりもない。


「どうかこの愛の囚われ人となった哀れな男に、女神の微笑みを……」


 もはや求婚に近いひとことを耳にして、ヴィクトリアは曖昧にしておくわけにもいかないと悟り「ごめんなさい!」とハキハキとした声で言った。


「あなたがどういう経緯で『愛の囚われ人』になったのかは存じ上げませんが、私は直接関係ないと思います。女神でもないですし。仮に私が微笑んだところで、囚人の恩赦や保釈金の意味合いはないです」

「あはははは、なるほど。儚げな外見ながら、弁が立つのはお兄様にそっくりです。噂には聞いていましたが」


 ヴィクトリアの断り文句を、男はさらりと流そうとした。


(噂……。では、この方は私がどこの誰かわかった上で、こうして話しかけてきたわけですね。ひとりになるところを、狙われていたのでしょうか)


 それにしても、いきなり噂を引き合いに出すのは、あまり行儀の良い発言とは思わなかった。だがここで「どこで私の噂を?」と聞くのも、面倒というもの。

 これまで言い寄られて、断ってきた男性陣に、面白おかしく揶揄されているのかもしれないが、もはや勝手にすればいいとしか思わない。

 この社交界において、家格的にも外見的にも、ヴィクトリアは実に「ちょうどいい逸材」らしく、自分でもひくくらいモテてきたのだ。お断り申し上げた相手も大変多い。そのすべてにまで、気を配ってはいられない。


「では、私はこれにて失礼いたします。どうぞ良い夜をお過ごしくださいませ」


 形ばかりの礼をして、ヴィクトリアはさっさとダンスホールに戻ろうとした。

 ふっと、空気の流れが変わった。

 嫌な気配を感じて、ヴィクトリアはハッと息を呑む。

 そのときにはもう、背後から伸びてきた腕が腰にまわされており、抵抗する前に灯りが届かぬ暗がりへと引きずり込まれていた。


「はなっ……うんっ」


 もう片方の手が口元をしっかりと覆ってしまい、大声を出すこともできない。じたばたしても、相手にはまったく通じている様子もなかった。


「んー! んー!」


 引きずられながら、ヴィクトリアはくぐもった悲鳴を上げ続ける。

 耳元に、ふっと生暖かい息が吹きかけられた。


「腕を折られたり、したくないでしょう?」


 あまり暴れると、痛い目に遭わせて黙らせるぞ? という、脅しであった。


(そんなひどいことをしたら、この先私に何かをしたときに「合意の上」という言い訳すら使えなくなるくせに!)


 だが、確たる傷が残るということは、ヴィクトリアがいくら未遂で逃げ出して「貞節を守り抜いた」と言い張っても、世間からはグレーとみなされるということである。

 本人の落ち度ではなくとも「傷がある」その一点において、今後のヴィクトリアの人生はまったく違ったものになる恐れがあるのだ。

 それを見越した上での、脅迫とは。

 隙あらば手に噛みつこうとか、急所を蹴りつけて逃げようかと窺っていたが、腕を折ったり顔を殴られるなどの暴力を受けることを思うと、気持ちが挫けそうになる。


「んんんっ!」


 誰か! と、声にならない叫びを上げたとき、ヴィクトリアの脳裏をよぎったのは、会ったこともない見知らぬ青年の姿だった。

 長い金色の髪にアイスブルーの瞳を持つ、長身の騎士。よく体を鍛えていて、剣の腕も立ち、どんな時でも護衛対象を完璧に守り抜く鋼の意志の持ち主。

 ヒースクリフ・ブルーイット。

 彼の名前が、自然と頭に浮かぶ。


(ヒースクリフがいれば、こんなことにはならなかったのに!)


 自分のものとも思えない感情が、溢れ出す。

 彼は自分の護衛。絶対的に守ってくれる存在という確信が、ヴィクトリアの中にはある。

 もがいているうちに、ふっと、少しだけ口元を覆う手が浮いた。

 その瞬間、ヴィクトリアは力いっぱい叫んだ。


「ヒースクリフ、はここだ! 助けて!」

「おいっ」


 焦った男に、もう一度口を抑え込まれる。「よほど痛い目を見たいらしいな」と耳元で押し殺した低音で脅迫されるも、ヴィクトリアは無我夢中でもがいて逃げ出そうとした。

 そのとき、ふっと風が流れた。


「何をしている?」


 耳に馴染む、懐かしい声。

 ヴィクトリアを押さえつけている男の手の力が、緩む。

 素早く抜け出して、ヴィクトリアは目の前に立つ男の元へと走り込んだ。


「ヒースクリフ!」


 記憶の中の彼と寸分違わぬ、闇の中ですら光り輝くような金髪。

 騎士の正装で、華やかな出で立ちをしている。それが、人目を引く精悍な美貌を凛々しく引き立てていた。


(本当に来てくれた、ヒースクリフ! いつも「僕」を危険から守ってくれた、一番信頼できる相手で、親友で……!)


 アイスブルーの目を瞠っているヒースクリフを前に、ヴィクトリアの中には、自分のものではない「誰か」の記憶が溢れ出した。

 それはラルフの名で、このシルトン国の王子だったという記憶だ。

 生きた時代は、いまと同じ。

 ただし前世の「自分」にあたるラルフという王子は、ヴィクトリアが知る限りこの世界には存在していない。ラルフのときには弟であった十歳下の王子が「第一王子」となっている。


(これはなに? 前世の記憶? 前世の「僕」はこのシルトン国の王子で……。毒を盛られたタルトを口にして、死んだ……。あれは、あのとき婚約者であった公爵令嬢ナタリア・ベンジャミンが用意したもの。ナタリア嬢は……この世界にも存在している!)


 前世でなぜナタリアに殺されたのかはハッキリとわからないが、今生でのヴィクトリアは、身分も付き合う範囲も違うことから、関わりがほぼない。

 一方、現在の身の上である「ヴィクトリア・ブレナン」に関しては、ラルフのときに存在していたかどうかは思い出せなかった。

 ヴィクトリアの生年は、前回のラルフより二年ほど後。

 社交界デビューのタイミングを考えても、顔を合わせる機会はなかった可能性が高い。接点がなければ、記憶にないのは当然であり、以前の世界で存在していたかどうか、いまとなっては知りようもない。


 だが、誰よりもラルフのそばにいたヒースクリフ・ブルーイットのことは、いまこの瞬間の出会いにより、鮮やかに思い出していた。

 ヴィクトリアは、両腕を広げて目の前のヒースクリフにしっかりと抱きつき、今生での彼との体格差に驚きながら、その顔を見上げた。


「良かった、ずっと会いたかったんだ! 君のことだから、僕が死んだことをずっと気にかけているんじゃないかと思って!」


 ヒースクリフは、言葉もなく、ヴィクトリアを見下ろしている。明らかに、驚いていた。

 その表情を見て、ヴィクトリアもまた、大きく目を見開いた。

 己の失敗を、即座に悟る。


(そもそもこの世界には、ラルフがいませんからね! 元の世界だったら、ヒースクリフはラルフを守りきれなかったことについて、後追いしかねないほど心を痛めたのは間違いないです。でも、いまの「僕」はヴィクトリアで、ヒースクリフとは知り合いでもなく、初対面!)


 これまで出会うことはなかったが、ヒースクリフは侯爵家の次男なので、貴族の舞踏会に参加するのは何も不自然ではない。

 その場で、全く見ず知らずの相手に、事情のわからないことをまくしたてられて、困惑しているのだろう。

 しかも、感動の再会よろしく、ひしっと抱きつかれて。

 もしヒースクリフに訴えられたら、ヴィクトリアは破廉恥な娘として悪名が轟いてしまう。


「えっと……、あの、ごめんなさい。人違いかな、焦っていて、本当にすみません」


 人違いではないことは、誰よりわかっているヴィクトリアであったが、苦しい誤魔化しを口にしつつ、ヒースクリフの体にまわした腕を解いた。

 さりげなく、距離をおこうとする。

 その動きをじっと見ていたヒースクリフは、無言のままヴィクトリアの手首を掴んだ。しっかりとヴィクトリアと目を合わせて、口を開く。


「俺の名前を知っていた。人違いとは思わない。君は誰だ?」


 心を見透かすような、澄んだ瞳。

 懐かしさと、彼を置いて死んでしまった心残りが胸の中でせめぎあい、ヴィクトリアはもう一度「ヒースクリフ!」と、彼の名を呼びそうになる。その衝動を必死に堪えて、ただ見つめ返した。

 ふっと、ヒースクリフの視線が外れた。

 先程までヴィクトリアを拘束していた男が、形勢の不利を悟ったようで、場を離れようとしている。

 ヒースクリフは、さっとヴィクトリアの手を放すと、風のような動きで男の元まで一息に距離を詰め、腕を捻り上げて抵抗を封じた。


「何をする……っ」

「女性に暴力を働こうとしていたのを、見た。しかるべき処分を受けるように」

「未遂だ、何もしていない! 罪に問われるようなことは! だいたい、お前はどこの誰だ。見慣れない顔だが、どうやってこの舞踏会に紛れ込んでいる?」


 言われたヒースクリフは、実に落ち着いた口ぶりで答えた。


「正当な理由でここにいるが、お前の無駄話に付き合うつもりはない。行くぞ」


 そして、まだ何か喚く男を取り押さえたまま、ダンスホールへと歩き出す。

 ヴィクトリアの側を通り過ぎる際、ヒースクリフは物言いたげな視線をくれた。


(「君は誰だ?」の答えを知りたがっていますね。でも「前世での知り合い」と言うわけにもいきません。今生では、まったく無関係な間柄なわけでして)


 言えることが何もないヴィクトリアは、微笑を浮かべてお辞儀をする。


「助けてくださって、どうもありがとうございました。罪には問えないとその方は言っていますが、証言が必要なときはお呼びください。とても怖い思いをしました」


 ぺ、と男が床に唾を吐き捨てた。


「怖い思いがなんだ、余計なことを言えば『傷物』の噂が立つだけだぞ。勘ぐられたくなければ、黙っていろ。それが自分の将来のためだ」


 少し可愛いからって、お高くとまりやがって、という捨て台詞まで。

 さすがにこれはひどいと、ヴィクトリアが言い返そうとしたところで「そこまで」と明るい声が響いた。


「話は聞こえていたよ。そこの君は、ご令嬢に対して無体を働いた上に、脅迫までしている。その事実を、この私が証言できるよ」


 いつからそこにいたのか。

 姿を見せたのは、茶色の髪の実に品の良い、物腰柔らかな美青年だった。

 相手に向かい、ヒースクリフは目を細めてその名を呼んだ。


「エドガー殿下。どうもありがとうございます。ぜひ、あちらの護衛兵にその通りの証言をお願いします」


 ヴィクトリアは、その青年にも見覚えがあった。


(隣国オールドカースルの、王太子殿下! 懐かしい、前世では幼馴染だった……)


 目が合ったエドガーは、記憶にある通りの優しい笑みを浮かべて、ヴィクトリアに話しかけてきた。


「はじめまして。僕の護衛であるヒースクリフがあなたの窮地に間に合ったのなら、良かった」


 その横で、ヒースクリフはヴィクトリアに対して、やはり物言いたげな視線をくれていた。

 アイスブルーの瞳は、一途にあの問いの答えを求めているようだった。


 君は誰なんだ、と。

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