雨が止んだら

マカロニサラダ

第1話 カップル認定

     序章


 時期は、七月上旬。

 場所は、彼等以外誰も居ない、教室。


 時間は夕暮れが映える、放課後。

 いま彼の目の前には、自分の席に座って頬杖をついている少女がいた。


 彼は彼女に、こう語りかけるしかない。


「あのさ――篠塚って俺と付き合わない?」


「………」


 それが彼こと天井恋矢の、彼女に向けた第一声だ。


 彼女の名は――篠塚ココという。


 変わった部類に入るその名は、けれど現代では珍しくない。

 だからと言って恋矢には――告白の時になっても彼女を下の名で呼ぶ勇気はなかった。


 それでも恋矢は、今日までココと、友人として接してきたという実績を武器にする。

 半ばココに一目ぼれした恋矢は、まず外堀を埋める事から始めたのだ。


 さすがに女子同士で会話している時に、割り込む事は出来なかった。

 だが、ココが一人の時を見計らうと、恋矢は決まってココに話しかけた物だ。


 可能な限り自然を装うが、けれど何時も不自然になってしまう。

 大抵の事は器用にこなす恋矢だったが、こと恋愛に関しては不器用にならざるを得ない。


 それだけ真剣で、それだけココに嫌われたくなかった。


 一体なぜだろうと思いを馳せた時、篠塚ココは漸く口を開く。


「天井君って――下の名前なんだっけ?」


「……は?」


 思いもよらぬ事を問われ、恋矢の意識は引き戻される。


 今ココは、彼に下の名を問うた?

 一体、何の為に?


 彼としては僅かに混乱するばかりだが、ココは不思議そうに首を傾げている。


 些か、遠回しな告白だった?

 その所為でココには、彼の気持ちが伝わっていない?


 彼としては〝まさか〟という思いがあったが、ココに気にした様子はない。


「うん。

 だから、下の名前。

 確か、結構ロマンチックな名前だと思ったのだけど?」


「………」


 ロマンチックといえば、そうかもしれない。

 何せ〝恋の矢〟と書いて――〝恋矢〟なのだから。


 あの両親が何故よりにもよってこんな名にしたのか、恋矢にとっては大いなる謎だった。

 それと同じ位、彼にはココの意図が分からない。


 よもや〝名前で、付き合う男を選ぶ〟とでも言うのか?

 それこそ〝まさか〟と感じつつも、恋矢は事実だけを語る。


「俺の名前は――天井恋矢だ。

 で、お前の名前は――篠塚ココ」


「おー」


 その時、ココは何故か感心したかの様な声を上げた。

 やはり意味が分からない恋矢だったが、そんな彼に追い打ちがかかる。


「完璧な回答」


「……へ?」


「そっか。

 恋矢。

 それが、アナタの名だった。

 だったら、答えは一つね」


 クスリと笑う、篠塚ココ。


 それから彼女は――その返事を彼に告げたのだ。


     1 カップル認定


 篠塚ココは――一言で言うと美少女だ。


 それも、並みの美少女ではない。


 異人の血が混じっているのか、長い髪は鮮やかな黄金色である。

 肌は白く、背は百六十センチ丁度。


 金色の瞳は宝石の様に美しく、とにかく目力がある。

 人と接する時は常に笑顔で〝花笑む〟とはこういう事を言うのかと、周囲に思わせた。


 言うまでもなく、彼女の笑顔は、特に男子を魅了した。

 ココに恋い焦がれていた男子は、一人や二人ではない。


 同性である女子でさえ、ココが微笑むと空気が変わると感じる。

 ココとしては普通に接しているつもりなのだから、これも天性の物だろう。


 いや、そう自覚するが故に、ココは目立つ事を避けていた様に思える。

 余り自分から人に話しかけず、それでも応対の時は笑顔を欠かさない。


 地味とも言える立ち振る舞いをしていながら、この人気なのだ。

 そう悟った時、天井恋矢はただ焦るばかりだった。


 高校に入学してから三カ月で勝負を決しようとしたのも、その為だ。

 約九十日間は情報収集に励み、ココとの距離を縮める事に費やした。


 友人として普通に会話できる様になった所で――天井恋矢は勝負に出たのだ。

 実の所、恋矢もモテる部類の人間だ。


 彼自身は自覚していないが、中学時代は何人かの女子に憧れを抱かれていた。

 それでも恋矢には恋愛に意識を向ける余裕はなく、今まで異性と付き合った経験もない。


 その恋矢が一目惚れ(の様な物)をしたと言うのだから、周囲の人間も大いに驚いた。

 その内の一人である加賀敦が、不満そうに話しかけてくる。


「よー、天井。

 昨日は、お楽しみだったみたいじゃん」


「………」


 ホームルームが始まる前の、朝。

 学校に着くなり、敦は悪態めいた物をつく。


 恋矢はその原因を察して、眉間に皺を寄せた。


「誤解を招く様な、表現はよせ。

 俺のモットーは〝清く正しく〟なんだ。

 その俺を不浄なカテゴリーに当てはめるのは、止めろ」


 自身の黒髪を左手で押さえながら、応酬する恋矢。

 だが、敦も引き下がらない。


「いや、男子は男子として生まれた時点で、不浄だよ。

 四六時中肉欲に現を抜かし、女を抱く事しか考えない。

 おまえだけは違うと、一体誰が証明できる?」


「………」


 因みに、加賀敦は立派な女子だ。


 髪は短く、日焼けしている彼女は、如何にも健康そうに見えた。

 サバサバした性格である彼女は、実の所男子に密かな人気があった。


 けれど、加賀敦はこう言い切る。


「この私からしてそうなんだから、間違いない。

 私は生まれてきた性別を、間違えたのだ。

 その所為で、この様さ。

 私が本気だと知ると、大抵の女子は距離を置く。

 この不条理を、なんとする?」


 敦は己が百合である事を、公言して憚らない。

 男子に興味はなく、女子にしか食指が動かないのが、加賀敦だ。


 そんな彼女だからこそ、天井恋矢には一家言あった。


「俺に文句を言われても、困る。

 そういう事は、神様あたりに言ってくれ。

 俺に出来る事は、何もない。

 それとも、何か? 

 オマエは俺に、文句でもあるのか?」


「………」


 と、恋矢がそこまで言い切った所で、敦は露骨に顔をしかめる。

 その理由は、語るまでもないだろう。


「いや、文句なら腐る程あるよ。

 オマエ――私のココを寝取ったじゃん」


「いや、寝取ってねえから。

 普通に告白して――ОKもらっただけだから」


 敦の暴言は何時もの事なので、恋矢は淡々と対応する。

 その気取った様子が、敦の怒りに火をつけた。


「――クソ!

 畜生! 

 何でこんな朴念仁を、ココは選んだんだっ? 

 よりにもよってこんなチン■が小さそうな男を選ぶなんて、ココは人を見る目がない! 

 私なら絶対に、最高の快楽をココに提供できるのに!」


「アホか。

 どういう悔しがり方だ。

 こう言ったら身も蓋もないけど、完全な変態だろ?」


「余りにも冷静で、完璧な対応力っ? 

 女子がチン■とか言ってやっているんだから、もう少しドキドキしろよ!」


「………」


 そうだねー。

 オマエ以外の女子が口にしたら、驚くかもねー。


 恋矢としては、そう思うしかない。


「というか、耳が早いな? 

 なぜ俺とココの顛末を、知っている?」


 恋矢としては、そっちの方が大いに気になる。

 しかし、敦の答えは分かり切っていた。


「いや、だってココからスマホで連絡をもらったから。

〝私、今日から恋矢と付き合うから、敦ちゃんとの婚約は解消〟と哀しそうに語っていた」


「その哀しそうというのは、どう考えても嘘だろう? 

 後、勝手にココを婚約者にするな」


「いや、付き合う事を真っ先に知らせてくれたんだから、親友ではあるだろう?」


「………」


「………」


 無言で睨み合う、二人。

 やがてそれにも飽きたのか、敦は露骨な溜息をつく。


「……んで、どうやってあのココを籠絡したのさ? 

 私でもダメだったのに、何をどうしたらココを攻略してトゥルーエンドを迎えられるの?」


「ココを、エロゲーのヒロインみたいに言うな。

 俺は彼氏の権限を以って、これからココを汚そうとするやつは全力で排除するぜ?」


「質問の答えに、なっていないわねー。

 言っておくけど私は、そんな脅しに屈しないわよ。

 同性と言う立場を利用して、これからもガシガシ、ココに抱きつくつもりだから」


「………」


 それは事実なので、恋矢はやはり敦を敵視するしかない。

 けれど、敦がココを本当に大切に思っている事は知っているので、恋矢は折れた。


「別に。

 ただ下の名前を教えて〝これからは恋矢と呼んでいい?〟と訊かれただけ。

 俺が二つ返事でイエスと答えたら〝付き合っても構わない〟と言ってくれた」


「……は? 

 意味が分からない。

 ココは天井のチン■の大きさで、彼氏にするか選んだんじゃないって言うの?」


「だから、ココをアホの権化みたいに言うのは止めろ。

 そんな女子は、既に病的なレベルで心が荒んでいるだろう?」


 だが、確かに意味不明ではあるのだ。

 篠塚ココは恋矢の下の名前を知る事で、半ば付き合う事を決めた様だ。


 恋矢にはその意図が、未だに分からない。

 いや、初めての恋愛なのだから、分からない事だらけなのは当然か。


「まぁ、ココも変わった所があるからねー。

 つーか、アンタ、何時の間にかココの事、名前呼びしているじゃん」


「まあ、一応彼氏なんで」


「………」


 自慢する風でもなく、事実だけを語る様に恋矢は言う。

 お蔭で敦はもう一度顔をしかめたが、いい加減話を切り上げた。


「いえ、もういい。

 ココを寝取られたなら、私はココを寝取り返すまでよ。

 私は断じてキサマの様にスモールな男には――敗北を認めない」


「………」


 そのスモールというのは、やはり例の肉■の事なのだろう。

 いや、一々ツッコミを入れない恋矢は、賢明であり冷静と言えた。


「ただ、最後に忠告してやろう。

 ココって割と……あ、いえ、やっぱいいわ」


「……は?」


 あの加賀敦が、珍しく言葉を濁している。

 恋矢にとっては、その事の方が驚きだ。


 しかし、敦はその間に踵を返してしまう。


 恋矢は引き止め様としたが――既にホームルームの始まりを告げるチャイムが鳴っていた。

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