第23話、フェリスと世界の真実(後)


 すでに夜が近づいているのだろう。夕焼けを背にした女性の、明るい茶髪が風でふわりと舞い赤く燃えるように見えて思わず見惚れてしまう。


「えっと、怪我はなさそうね。う〜ん。言葉、通じてないのかな? こんなものしか無いけど……」


 女性は心配そうにしながらも何か用事でもあるようで、焦りながら持っていた鞄の中から、ふわふわの布と紙袋を取り出して、僕の手に押しつけてきた。


「私のお古で悪いんだけど、今日は寒いからマフラーとパンよ。ここのパンは最高なの。食べて! じゃ、私は行くわね」


 コツコツコツコツと小気味のいい靴音を立てて、走り去って行ってしまった。


 受け取った赤いマフラーは肌触りも良く暖かい。肩にかけるようにして巻くと、ほんのり花の香りがする。


「なんだこれ。今まで食べた中で一番美味しい!」


 香ばしい匂いのする紙袋に入っていたパンは、焼きたてのようで温かく、噛みしめると中のとろとろなクリームの甘みが口いっぱいに広がる。


「なんだ? なんで涙が出るんだろ」


 悲しいわけじゃない。つらいわけでもない。けど溢れ落ちる雫を止められない。


 久しぶりに感じた人の優しさ。


 あの女性にとっては、ただの気まぐれで施しだったのかもしれない。


「気まぐれでもいい……」


 風穴だらけだった僕の心の隙間を、ほんの少しとはいえ埋めてくれた。





 この世界に来てから数ヶ月が経った。少しずつだけど色々な事も分かってきた。ここは地球で日本という国で、僕の元いた世界ナリディーアとは別世界なのも理解できてきた。


 そして何より幸運だったのは、世界を渡ったおかげなのかスキルを授かった事。


『洗脳スキル』と『瞬間移動』


 どちらも使い方によっては何でも出来そうな優秀な高位スキル。


 その時、目の前に高級車が止まり秘書らしき人が車のドアを開けて「社長お疲れさまでした」と挨拶をした。車から出てきた初老の男性が社長なのだろう。


「使ってみようかな」


 社長と秘書と運転手を相手はじめて『洗脳』スキルを発動させてみた。


「お爺さま。ただいま帰りました」

「おぉ。おかえり無月元気そうだな」

「おかえりなさいませ。無月坊ちゃん」

「おかえりなさい無月様」


 思っていたよりも簡単に洗脳することができてしまった。僕は海外留学から帰ってきた社長の孫として生きることになった。


「ふふふ。僕の運も上向いてきたよね」


 偶然、目に止まっただけの社長。しかも大手ゲーム会社の社長だったのだ。僕にとって幸運だったのは、


「無月、異世界への存在は信じるか?」

「異世界ですか?」

「会社の連中には笑われるんだが、俺は信じてるんだよ」

「僕も信じてます」

「さすが俺の孫。夢がある。それでなゲームを入り口にして異世界に行けたら面白いとは思わないか?」

「面白そうだと思います」

「本題はここからだ。無月お前を異世界プロジェクトリーダーに指名しておいた。やってくれるか?」

「もちろんです。お爺さまのため全力で取り組みたいと思います」

「ふぉふぉふぉ。期待してるぞ」


 社長の方から異世界の話を聞いた時だろう。


「お爺さまの為なんかじゃない。自分の為だ」


 この生ぬるい環境は温かく居心地が良い。


 けど心の奥深くには、消えない昏い闇が広がっているのも自覚してる。


「復讐……したい。気持ちは、消えない!」


 地獄に落としたヤツラを許せるはずはない。





 本当に偶然、あの時の彼女を見つけた。マフラーはクリーニングして大切に保管してある。僕のお守りのようなものだ。


 何度か見かけるうちに、彼女のことを好きになっていった。こっそり家にまでついて行ったりもした。彼女の事なら、なんでも知りたいと思ったから。


「晴人! 待った?」

「いや、今来た所だ。マホロは、どの映画を観たいんだ?」

「そうねぇ。これはどうかな? 今期話題作って書いてあるし」


 でも知りたくなかったことまで、知ってしまう事になってしまった。彼女、マホロには結婚間近の彼氏がいたのだ。


 今日は映画を二人で見るつもりのようで、マホロが指差したロマンス映画のチケットを、晴人と呼ばれた彼氏が買ってきて手渡している。チケットを受け取ったマホロは、嬉しそうに微笑んで晴人の腕に腕を絡ませる。


 心の昏い闇が噴き出してしまいそうになって、その場から全力で走って家に帰り自室にこもった。


「マホロはあの時、僕を選んだはずだ。なのになんで僕を誘わないんだ!?」


 心配してくれたんだから、その後の僕の様子が気になって当然のはずなのに、マホロは探そうともしない。


「そっか。晴人が邪魔してるんだね」


 黒い炎が心に灯る。


 暴走しそうになる心を抑えこみ、とりあえずまずはマホロの父も洗脳で親友と思い込ませた。近づけば気がついてくれると思ったからだ。


「分かってるよ。マホロは少し鈍感で忘れっぽいだけなんだよね」


 抑えこんでいた、起こしちゃいけない心のケダモノが目を覚ます。


 マホロの母もまた洗脳で自殺するように仕組んで追い込んだ。


 ひとりぼっちになれば、僕を頼ってくれるはずだ。


 そう思っていた。


 けどマホロに気づく様子はない。





 紆余曲折があったものの、異世界プロジェクトは五年の月日を費やして、おおむね成功したと言える。


「ゲームを起動して眠りにつけば、異世界旅行が可能なはずなのですが、問題は……」


 スタッフが言い淀む気持ちは分かる。未知の体験、しかもある意味、人体実験のようなものだからだ。


「プレイヤー候補は僕にあてがある」

「分かりました。お任せします」


 実験でもなんでもない。失敗しても成功しても、僕には関係がない。


 晴人を、この世界から消す。


 とりあえず今は、それだけが目的なのだから。


 計画進行はスムーズが一番と言うわけで、その日のうちに洗脳を使って晴人を拉致してゲーム機に接続して起動スイッチを押した。瞬間、晴人の身体が光に包まれて、そして……。


「消えた……」


 成功したのか、失敗したのかは分からない。


 けど一番の目的は達成された。


 その後も状況が変わらないところが、しだいにマホロは僕を怪しむようになり、敵対するようになってしまった。そしてついに晴人を消したのが、僕だと気がつきはじめた。


「そろそろ限界か……」


 あっちの世界ナリディーアに放りこんだ晴人の様子も気になる。一度、ナリディーアに戻って時間をおくしかなさそうだな。


 そんな軽い考えで、今度は自分をゲーム機に接続して起動した。


 その日のうちに片道通行だと知ってしまった。





 戻れないと分かった僕は、まずナリディーアのユラ国の国王である両親を断罪した。次に転生していた晴人の家族も殺害した。龍王になった後では晴人にはスキルが効かないと、本能で分かっていたからだ。


 あと少し晴人を追いつめれば殺せる。はずだった。


 が、晴人が逃げ込んだメルガリス国境を越えることが僕には出来なかった。まるでバリアに弾かれるように隣国のメルガリスには入れなかった。


 理由は、考えるまでもなく『奴隷印』だ。この烙印はユラ国と、その周辺国までしか行くことが許されないから……。


「もう一度、マホロに会いたい!!」


 自由のない狭いナリディーア。


 僕の世界は更に狭い。


 息苦しい。





 それから何年か経った時、マホロがこのナリディーアに転生してきた事を知って僕は心の底から歓喜した。


「マホロの為に魔法陣の完成を急がなくてはね」




————————————




【これが我の知る全てだ】


 話を終えたアムリは毛繕いをはじめる。フェリスの過去が、これほど壮絶だとは思わなかった。



「マホロには知られたくなかったよ。同情なんてされたくないからね」


 いつの間にか意識を取り戻したフェリスが、ヨロヨロと立ち上がって、私たちを昏い瞳で見つめていた。


「同情なんてしないわ。だってフェリスの過去はフェリスだけのものなんだから、少しはあったかもしれない楽しい事も、地獄のようにツライ事も全部フェリスにしか分からない。本当のフェリスの思いを知らない私たちの言葉は同情と憐れみになる。そんな気持ちのこもってない言葉を言うつもりは一切無いわ」

「マホロは、やっぱり僕の太陽で光だね。愛してるよ」


 くずれおちそうなクシャクシャの笑顔を浮かべると、フェリスはいきなり走りだした。


「さよならマホロ」


 窓を乱暴にバァンッと開け放つと、フェリスは空へ飛びだした。


【まったく世話を焼かすな】


 アムリが身体を変化させると、翼を羽ばたかせ勢いよくフェリスの後を追う。

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