第2話 「死亡保険、寿司と上司とロケットランチャー」

 OL「地獄ロケラン」は本名ではない。

 本名はどうでもよかった。


 死後、VR世界へ自身を登録する際に好きな名前をつけることができる。

 適当に当時趣味で使っていたハンドルネームをつけた。

 

 生前、OLロケランは会社に絶望していた。

 生前も現在と同じようにOLをしていた。週5日、8時間、残業あり。

 日々理不尽な仕事を受け、クレームや雑談の電話をとり、無駄の多い社内コンペに強制参加させられた。

 終業時間間際に依頼される事務処理、期日の前日に提出される請求書や領収書。他人の社内コンペのパワーホイント作成のための残業。評価面談で昇給を願い、次の期で必ずと約束を取り付けた上司は異動。そもそも何を基準に評価されているのかもわからない状態で、新しく異動してきた上司に「業績が上がったら昇給するかもしれない。絶対ではない」と言われ、自分ががんばったところでどうにもならないのだと実感させられた。

 

 生前、OLロケランは世界に期待していた。

 生前は現在と同じように寿司を謳歌していた。週2日、夜。

 日々仕事帰りにスーパーの寿司コーナーで割引されているパック寿司を眺め、休日は回転寿司でレーンで回ってきた寿司をとり、時には回らない寿司も食べに行った。

 寿司はロケランにとって「生きる」ことだった。決してグルメで評論家というわけではない。

 ただ寿司が好き。ただただ好き。それだけで明日もがんばろうと思うことができた。


 ある日、ロケランの住む宮城県仙台市。


 朝目覚めて、布団の中から手探りでエアコンのリモコンを見つけ、暖房をつける。

 ある程度部屋があたたまったところで立ち上がり、カーテンを開ける。閉める。

 

「さっむ」

 

 雪景色、絶望だ。この日は大雪だった。

 きっと電車は止まっているだろう。こんな日、会社は休みでもいいじゃないか。

 現代人は働きすぎなのだ。ああ、今から「熱があるので休みます」と言おうか。

 いや、こんな大雪の日だ。熱があると言っても「え、雪で休みたいってことだよね」と察されるに違いない。ああ、なんで日本人は言葉の裏や空気なんて読むんだ。

 どうしても出社する気になれず、とりあえずお湯をわかす。

 マグカップにインスタントのデカフェコーヒー、カロリーオフの甘味料を適当に入れて、お湯を注ぐ。

 冷蔵庫をあけて、カルシウムと鉄分入りの低脂肪乳飲料を適当に注ぐ。

 カフェインのないcoffee、カロリーがない甘味料、乳脂肪オフの乳製品。ロケランはこれを「まがいもの」と呼んで愛している。

 ぐび、と飲むと少し目が覚めた。やる気が出ない朝はこれに限る。

 

「ぅし」

 自分を奮い立たせるべくかけ声をだす。

 

 部屋の中央に設置しているこたつに入り、化粧品を並べる。お気に入りのメーカーから、ドラッグストアで買ったプチプラ商品まで様々だ。

 鏡を眺めながら、まがいものを飲みながら化粧をしていく。

 化粧をしながら、昨日残してきた仕事のことが頭をよぎった。営業がおかしたミスを、本社にデータ修正してもいいか確認をしなければならない。きっと自分に「なぜそんなミスをしたのか」と聞くのだろう。知らんがな本人に聞いてくれ。

 ああ、やはり行きたくない。


 神様、どうか、会社に行かなくてもいいようにしてください。

 できれば、休んで家でお寿司の出前がとりたいです。


 うじうじと考えている間に化粧がおわり、まがいものも飲みほした。

 ファッションスーパーで買ったいつものシンプルな白いシャツを着てグレーのパンツを履き、ネイビーのカーディガンを羽織る。

 このシャツはそろそろ漂白しなければならないかもしれない。襟元が不安になってきた。

 肩下まで伸びた黒髪をひとつくくりにして、眼鏡をかける。


 そうこうしている間に出なければならない時間になり、いつもの黒いパンプスを履いて外に出る。


 道路に積もった雪は踏み固められており、路面は凍結していた。

 ロケランは急な坂が多くあるアパートに住んでいる。

 雪が降った際、道路の白線の上や金網はとてもよく滑る。

 ロケランが坂を下ろうとしたその瞬間、白線の上でずるっと足元が滑った。

 下り坂を降りる際につま先で足を踏ん張ろうとしたため、前のめりに転んでしまった。

 倒れるのを防ぐため手で支えようとしたものの手をくじいてしまい、肩から落ちた。

 凍結した坂をそのまま滑り落ち、途中で軌道修正をして道路の端の方でなんとか止まった。


 やれやれみっともない、誰も見ていなかったかな、と安心して周りを確認しながら立ち上がった場所は金網の上。

 ロケランは、また滑って、近くの電柱に頭をぶつけた。



 享年33歳。滑って転んで頭を打って死亡。


 

 ロケランは独り身だ。がん保険には入っていたけれど、死亡保険には入っていなかった。

 ただ、「VR死亡保険」に入っていた。

 

 VR死亡保険は「死後、VR世界で生前と同じ生活を送ることができる」と謳われており、ロケランは趣味で知り合った人に勧められて保険に入っていた。

 あまり聞いたことのない保険会社で、いわゆる「保険の営業か」と思ったものの、掛金が月1000円、登録するとグルメ券20000円分がもらえるというので、試しに入ってみていたものだった。

 身分証提示、住民票提出、住所確認、身元確認、ネットバンク確認、健康診断、脳の検査、面談。登録する際の手続きは大変だったけれど、かかる費用は全額キャッシュバック、グルメ券のためならと手続きを完了させた。

 



 どうやらロケランは電脳世界の中、自宅の布団で目覚めたようだった。

 大雪の日に滑って転んで頭を打ったところまでは覚えているが、そこからの記憶がない。


「えっこわい」


 まるで現実だった。

 VR、電脳世界をナメていた。

 頬をつねれば痛いし、布団から出られないぐらい気温は寒い。外をバイクが通り過ぎていく音が聞こえる。喉がかわいていて、寝起きに何か飲みたい。

 実は全て夢で、早く起きて出勤の準備をしなければならない気がしてきた。ヤバイ。

 が、その杞憂は一瞬で解消する。


 ロケランが布団から身を起こすと、すぐ近くに設置してあるこたつに、何者かが入っていた。


 黒子のような帽子? 布? を顔全体にかぶっており顔が見えない。

 服も黒子のような服を着て、なぜか背中に大きく鶴が刺繍された白と朱の陣羽織を羽織っている。現実世界にしては不審者としか言いようがない。


『ええ……侍? コスプレ?』


 まだロケランが起きたことに気づいておらず、こたつの中で「う〜さぶ……」と言って背中を丸めながらロケランが買って置いていたマンガを読んでいる。


 ロケランは一人暮らしで、こんな愉快な知人はいない。


 いや、待て。

 冷静に考えれば、死んで突然VR世界にきて戸惑う人は多いはずだ。彼?彼女?はそのナビゲーターなのではないだろうか?


 そう思うと、顔全体を隠した出で立ちや現実離れした身なりも納得できる気がする。

「黒子ですから、あなたの世界には干渉しませんよ、あくまでサポートするだけで、登場人物ではありませんよ。これは現実ではありませんよ。私を見ればわかりますよね?」といった風に。


 ロケランは勝手に納得し、安心して黒子に話しかけた。

 そもそも強盗の類であれば、こたつに入ってマンガを読んでいる筈がない。


「あのぅ、VR死亡保険の方……ですか?」


 黒子はびくっとして、ロケランを見た。

 目が合っている……ような気がする。

 次の瞬間、黒子はこたつからガバッと立ち上がると、布団から上半身を起こしたロケランの元にやってきて隣に座った。近い。


「やあやあやあ! 待っていたよおぉ!」


 その出で立ちからは想像もつかなかった大仰な手振りで感激を表現する。


「私はジョーシ! きみの上司になる者、ジョーシだ! 優秀な事務員がいると聞いて、スカウトしにすっ飛んできたのさ! いつ起きるかもわからない中、ここで見守りながら、じっと忍耐強く待っていた!」


 うわ、何言ってるか全然わからない。

 ロケランはひきつった笑いを浮かべながら、黒子の話を理解するため思考をめぐらせる。


 保険のサポートをしてくれる雰囲気はない。

 そしてどうやら求人の話をしているらしい。

 これは状況的にどちらかというと「ヤバイ人側」の方だ。


「あ、ごめんなさい。ちょっと死んだばっかりで保険のサポートの方と勘違いしてました。えっと、申し訳ないんですが、まだあらゆることがわからなくて。連絡先だけ頂いて、またご連絡してもいいですか?」


 やんわりと帰ってもらえないかと促すと、黒子はびっくりしたように両手を上げて、そのまま胸の前でちがうちがう、と振って見せた。


「そうか、そうだな! 安心してくれ! たしかに私は多忙の身だが、今日は一日きみのために出張申請をしてきたんだ。不安だろう? そうだろう! わかるよ。不安だ。だが安心してくれ! この、こたつの、上!」


 そう言うと、ジョーシはこたつの上に置いてあった冊子を持ってきた。

 その表紙には「VR死亡保険 説明書」と書いてある。


「説明書がある! そして! このVR世界の大ベテラン、私ジョーシがいる! わからないこと、不安なこと、一緒に楽しみながら知ろうじゃないか!」


 説明書があるのか。それはたしかに気になる。

 下手なことをして凍結、BANされたくない。

 ただ、この異様なテンションのジョーシと一緒ではゆっくり説明書も読んでいられない。できれば早いところお引き取り願って、しんみり死を嘆いたりした方がいい気がする。


「あのぅ……」


 その時、ロケランのおなかがぐぅ、と鳴いた。

 うう、恥ずかしい、おなかがすいた。

 それを聞いて、ジョーシはパン!と手を打って、人差し指を立てる。

 いちいちリアクションが大きい人だ。顔を隠しているから表情を表現するため、わざとオーバーリアクションにしているのだろうか。


「こぉれはいけない! そうそう、きみのために私が巻き寿司を作っておいたんだよ。かんぴょうと穴子はなかったからね、きゅうりとハムとたまごとツナだ。ええ? サンドイッチにしろって? もっともだ! やあ、失敗、失敗」


 寿司?


「冷蔵庫からとってきてお茶を沸かそう。さあ、立って。こたつに入ってゆっくり食べながら話そうじゃないか。そうそう、説明書の他にもね、こたつの上に契約書も置いてあったよ。準備している間に見てみるといい」


 促されて、言われるがまま立ち上がり、こたつに入る。

 ジョーシは台所に消えていった。


 ジョーシが言うとおり、こたつの上には「契約書」と書かれた冊子が置いてある。

 ただし、その「契約書」という文字よりも先に、ロケランの目に飛び込んできた文字があった。


『地獄 ロケラン 様』


「は?」



 - 続く -

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