私の髪は私から生えていなかった

@11277loxy

種と傍観者

 たん、たんたん、たん、たん。

 窓に木が当たる音が頭の中で渦を巻く。

 瞼を開いて薄暗くカビ臭い部屋に私はいる。体を起こすとベッドから埃が舞うのが見え、くしゃみを数回する。吸っても吸っても垂れてくる鼻水がすごくねばねばしている。

 至る所に蜘蛛の巣や鼠が開けたであろう穴、部屋の隅にはきのこまで生えている。

 ところで、私はなんだろう?ここはなんだろう?自分がなんなのかここがどこなのか分からない。もしかしてこれが記憶喪失というものなのか。私の手、初めて見る。白く細い腕に凹凸の少ない柔らかい手に細長い指。私の服、白いTシャツだけどすごくぼろぼろ。そして私の身体に合わないほど大きい。私の髪、とても長い、あまり手入れをしていないのか少し傷んでいる黒髪。

 私の長い髪を触っていると部屋の扉が開く。

 ……..。

 真っ黒いマスクを被った人がゆっくり私に近づいてきた。その人は聞こえないくらい小声でなにか、なにかずっとぼそぼそと言っている。



「飲み物」の一言だけ言い、マグカップを渡してきた。黒っぽい茶色。嗅いだことのない不気味な匂いを放つ飲み物は湯気をゆらゆらと立たせていた。

 マスクで顔が見れなかったが声で分かった。男の人。元気のない声で一言しか言わない奇妙な男の人。

「あの、わたし」

「今はこの部屋から出ないで」

 私の言葉を遮ってそれだけを言い部屋を出ていった黒マスク男。私は緊張にマグカップを震わせていた。

 怖い。純粋な気持ちだった。怖いという純粋な気持ちに長い時間ベッドからは出られなかった。


 やっと少し落ち着いてきた私はベッドから降りる。改めて見ると痩せ細った白い身体は病気持ちのようにも思える。

 一歩前へ足を踏み出す。腐敗しているのかすこし柔らかな感触と共に軋む音が鳴り響いた。おまけに床がほんの少し凹んだような気がした。

 部屋の扉の前まで忍足でたどり着いた。ゆっくり、慎重に扉に手をかける。建て付けが悪く重たい扉は歯軋りするように音を立てて開いた。

 部屋から出ると左に窓が付いた壁。強い風にがたがたと悲しげに産ぶ声をあげる窓。

 右には廊下が続き今の部屋の正面には半開きの扉があった。その部屋からは点滅するような光が廊下に漏れていた。

 私の微かな足音と心臓の音だけがやけに大きく聞こえる。部屋の中に何があるのか分からない事がすごく怖くて、呼吸もおかしく乱れる。そしてそっと覗いてみると、小さな台にドラム缶テレビを置いて無音で白黒の映画が付いていた。そのテレビの前にはふかふかそうな背もたれの高い椅子がテレビの方向を向いてたたずんでいた。

 カーテンが閉まり切っていて、映画を流しているテレビからの光しかこの部屋にはなかった。そして無音の映画からはテレビ独特のビーという奇音がする。

 誰もいない事に思わずため息をついた。その途端、椅子からボロボロの服を着た高身長の男が立ち上がった。ぬっとこちらに振り返った。

「消える」

 男がそう言ってゆっくりと部屋の外へと向かった。私は男に見られる前に椅子の後ろに急いで座り込んで隠れていた。背もたれが高いから男の視界には入らなかった。今思えば男が高身長な上に私と椅子までの距離は数m空いていたのによく見つからなかったものね。

 ゆっくりと進む男の姿をよく見ると、男の頭の形がおかしい。とても歪。目のすこし上、眉毛はあるけどおでこから上が無い。まだ横顔しか見えなかったけどおでこが無いからかむすっとした表情に見えてとても不気味な姿をしている。

 そして、私のお尻の下の床からギギッ!と軋む音が鳴る。軋むと同時に男の動きは止まる。

 見つかった。私は見つかった。死ぬ?殺される?怖い。

 身体ががくがくと震える。膝から下なんて感電したかのように震えている。手足は痺れて感覚なんて無くなっていた。

 男の高く立つ姿が怖い。男の長い手足と半分無い頭が怖い。男の顔が怖い。

 こんなにも呼吸も荒いのに、体も震えているのに男は何もなかったかのように、私を見向きもしないで背中を丸めて体をかがめて部屋から出ていった。

 なんで私を見なかったのか、なんで、なんで。頭の中はそれで埋まった。

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