第23話 合意の上のハーレムはセーフらしい
ヤエが前傾姿勢になり、刀の柄に手をかける。いわゆる居合の構えだ。
途端、空気が変わった。
「……ッ」
世界が凍りついたかのような錯覚。達人が武器を持つとここまで変わるのか、と戦慄する。
ヤエから感じる圧力がまるで違う。先ほどまでの状態を玩具の包丁とするなら、今は鋭利な殺人包丁。
「……、……」
余りにもステータスを上げすぎると、下げた時に落差で違和感が酷くなるのだが、やむを得ない。
死の気配を遠ざけるため、さらに武勇を引き上げる。
「あぁ……まだ、高まるのですね。本当に、なんて化け物」
歓喜に満ちた声を上げながらも、ヤエは構えた状態から動かない。
「相手が攻撃してきた場合に、先手を取って確実に敵を殺す居合術……刀の間合いに入れは斬り捨て御免、ってか」
「あらあら、ご存知でしたか。はい。ですから、異人さまが動かなければこのまま永遠に時が過ぎてしま――」
「言ったよな、全力で来いって」
「……、……」
ヤエの顔から笑みが消えた。
「あえて威圧することで刀を抜かせず済ませる“鞘の内”。相手の接近に反応して先打ちで斬り捨てる“後の先”。だけどそれじゃあ、守りに徹した相手や遠距離職は倒せない、そうだろ?」
「……そこまで知られていましたか」
言葉を口にした直後、ヤエが鯉口を切り――即座に上体を逸らして回避行動を取る。
次の瞬間、目の前を斬撃が通過し、そのまま後方にあった雑木林を一刀両断していた。
後ろを見やれば、そこには見晴らしが良くなった切り株の群れ。
認識可能範囲、半径2km以内の好きな場所に極大の斬撃を飛ばす――それがヤエ・シラカワの奥伝の技だった。
「凄いな……音よりも早く、音もなく飛ぶ極大斬撃、これほどとは」
「それを初見であっさり避ける方に凄いと言われましても……その、反応に困ってしまいます」
どうしましょう、と言わんばかりに頬に手を当ててため息を吐くヤエ。
「困りました……あまりにも力の差がありすぎて、羞恥心が湧き上がってしまいます。井の中の蛙でした、お恥ずかしい」
「いや、俺の力はチート、まぁ反則みたいなものだから気にしなくていい。ヤエは間違いなく世界最強の剣士だ」
敵部隊の将兵を軒並み負傷状態にすることで、部隊を行動不能に陥らせる飛ぶ斬撃。
それにより押し込まれて敗北した戦いがどれほどあったことか、と、原作ゲームをプレイしていたときの苦い思い出が蘇る。
「ということで、俺の配下になってくれるよな」
「ええ、異人さま……いえ、主様の元でなら、わたくしめはさらなる高みに至ることが出来るでしょうから」
と、そこまで言ってから、はたと気づいたかのように。
「そう言えば、まだ異人さまのお名前を伺っておりませんでした」
「そうか。俺の名前はユミリシス・フォン・ヴァッサーブラットだ。大陸西部にあるディアモント王国、ヴァッサーブラット領の領主をしてる」
「でぃあもんと王国……聞いたことのない国名ですね。しかし、なるほど。それほどの武を持ちながら領主を務めていらっしゃるとは……」
「内政に関しては秘書官に任せっきりだけどな」
そんな会話を交わしながら、ふと疑問に思ったことを尋ねてみる。
「そう言えば、俺が言及するまで飛ぶ斬撃を見せるつもりはない感じだったよな。やっぱり奥の手だからか?」
「ああ、いえ、それは……」
頬を薄紅に染めたヤエは、気恥ずかしそうに言葉を続けた。
「向き合ったときに感じた、心躍る感覚……お腹の奥が熱くなり、ただ貴方さましか見えなくなった情動。それが、余りにも心地良すぎて……」
永遠にこの時が続けば良いのにと思ってしまいました、と。
そう告げた横顔はまさしく恋する乙女といった顔つき、それでいて確かな“女”を感じさせる表情で。
思わず身体の芯が熱くなってしまい、慌てて智略を高めるのだった。
その後はヤエに紹介してもらった宿に一泊する流れになったのだが……。
「えっと……なんでヤエまで泊まってるんだ?」
敷いた布団の上で満開の花のような笑みを浮かべているヤエ。薄手の襦袢姿でばっちこいと言った様子だ。
「このように身体が昂ったのは初めてですから、責任を取って頂きませんと」
「……っ」
着物に押さえつけられていた大きな膨らみが見える。それでいて身体はスラリとしたラインを描いていて、足先までの脚線美も含めて美しい。
障子窓から差し込む月明かりに照らされたその姿は、余りにも色艶にあふれていた。
「服を着てくれ。俺にそんなつもりはない」
顔を背けながら、畳の上に落ちていた着物を突きつける。
「……盲の女を抱く事は出来ませんか?」
「いやそれはない」
「……っ」
即答するとヤエの頬が赤く染まった。その姿はとても魅力的なのだが、流される訳にはいかない。
「俺には操を立てた婚約者がいるんだ。だからヤエを抱く事は出来ない」
そして押し問答をする気もなかったので、早々に事実を告げる事にした。こう言えばヤエが引き下がる事は分かっていたからだ。
「そ、それは大変失礼を致しました」
ハッとした表情になったヤエはサッと胸元を閉じたあと、素早く着物を身に着けていく。
「申し訳ありません。主様に不貞を働かせてしまう所でございました。この非礼への罰はなんなりと……」
変わり身の速さは、ヤエにとって不貞というワードが禁忌だから。
そう、彼女は不貞を働いた主君のナニを斬り捨てて出奔するほどの浮気絶許ウーマンなのである。
「いや、気にしないでくれ。もし気にするなら、俺の大切な人たちを、領民を守るためにその力を遺憾なく振るってほしい」
「承知しました。この命に変えても、必ず」
「いや、命は大切にしてくれ。ヤエも俺の大切な家臣なんだから」
「ぁ……、は、はぃ……」
そんなやり取りこそあったものの、宿の食事も温泉も最高に心地良くて、差し引きで見ればとても充実した宿泊だった。
とくに味噌汁と米が美味しすぎて、和食を作れる料理人を雇おうと決意したのはここだけの話だ。
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