第6話 目覚め

 闇の中に光が差してきて、目が覚めた。


 視界は滲んでよく見えなかったが、私は建物の中にいて、ベッドに横になっているようだった。全身が痛んで動かなかったが、両手足が微かに動かせた。


 ……私はあの嵐の中、大河に蹴落とされて五体満足で生き残ったというのか。

 致命傷になるような傷など、いくらでも負っているはずだわ。ありえない。


「気がついたか?」


 音が籠もっていてよく聞こえなかったが、男の声でそう言われた。


「……だ、れ? わた、しは、どうなったの?」


 上手く口が動かなかった。

 首を傾けて、声の主を見やった。

 

 滲んでいた視界は、徐々に鮮明になっていった。

 フードを被っている男が見えた。黒く無造作な髪の間から、睨むような目を覗かせて私を見ていた。


「……っミラク……!!」


 瞬間、私は我を忘れた。動かなかった体は、所々から血を吹き出しながら動いた。目の前の男に掴み掛かった。


「助けてもらった礼もなしに何の真似だ?」


 より一層鋭い眼差しで睨まれた。首筋に衝撃がはしり、私は再び意識を失った。


  *


 次に目を覚ましたときは、視界ははっきりしていた。私はすべてを察した。

 

 木と草の匂いが漂う。

 森の奥の小さな、木造りの家。


 枕元に座って困ったような笑みを浮かべる少女。

 その後ろで壁に寄りかかって私を睨んでいる少年。

 

 二人とも黒い髪に赤い瞳をしている。

 血縁者だろう。


 ――ミラクじゃない。人違いだった。

 大河からどこかに流れ着いた瀕死の私を、介抱してくれた人に掴み掛かってしまったのだろう。

 

「……悪かったわね。私、混乱していて……」


 起き上がりながら言う。

 身体がかなり動く。……最初に目覚めたときからまた、何日か経ったようだ。


「仕方ないですよ。ラキは目つきが悪いから。悪い人に見えちゃいますよね」


 少女は、魔術師の象徴である帽子を被っていた。


 魔術師というのは、殲獣の身体またはその一部を用いてその魔法じみた力を行使する人々の総称だ。


「でもラキは根っからの悪い子ではないんですよ。大河の中で岩に打ち上がっていたあなたを助けて家に連れてきたのはラキなんです」


 それから私たちは話をした。


 少女は、ラナと名乗った。

 あの目つきの悪い少年はラキというらしい。

 

 少女の方が幼く見えたが二人は双子でしかも姉がラナで弟がラキだそうだ。


 二人とも被り物をしているのが印象的だ。ラキはフードをラナは帽子を被っていた。雰囲気も顔立ちもよく見たらラキとラナは似ていた。

 

 二人はまだ十四歳らしい。私より一つ歳下だ。

 改めて見てみるとミラクとラキは確かに雰囲気は似ているが、ラキとミラクは目の色も違う。ミラクの瞳は黄色いが、ラキは赤い。

 それにラキはミラクより幼く見える。


「二人は、この森でだけで暮らしているの?」

 

「はい。父もいたのですが、病で……。もう三年も前のことです」


 森の中でひっそりと双子だけで暮らしており、ここは大河の下流域に沿う森だそうだ。 

 

 私は大河の中流域を渡ろうとしたはずだ。

 ずいぶんと大河を流されてしまったみたいだ。


 視線を感じて目を遣る。ラキは壁にもたれて姉ラナと話す私を睨んでいる。


「なによ、あんた。……最初に目覚めたとき掴み掛かったことなら、謝ったじゃない」


 ラキは私の言葉には答えず、静かに目を閉じる。

 そして、その赤い瞳から私に向けていた敵意を取り去り、ラナに向き直る。

 私はその態度に業を煮やした。


「ちょっと何とか言ったらどうなのよ?」


 抗議をしたが、ラキは私の方は見ずにラナに向き合ったままだ。


「……そいつは、暴れ出しそうにはないな。ラナ、俺はもう行く」


 ラキは最後に私を一瞥すると部屋の扉へと踵を返した。


「あ、待ってよ! ラキ……あぁ行っちゃった」


 ラナはラキを止めようと手を伸ばしたが、ラキは構わず去った。もう、と頬を膨らませてから、ラナは私の方に向き直った。


「すみません、サキさん。ラキは愛想がなくって。こんなに傷だらけのあなたに、ひどいですよね」


 少女は優しく笑って言った。


「……そんなことないわ。助けてもらったのに私が掴みかかっちゃったんだから」


 最初に目を覚ましたときのことが頭に過ぎる。

 あの尖った目つきはミラクに似ていた。


 ――ミラク。


『お前との旅で心を動かされたことなど一度もない』


 ミラクの言葉が思い起こされた。


 ラキには命を助けてもらった。感謝しなくてはいけない。

 でも、ラキの顔を見ていたらミラクを思い出してしまう。


 正直あのラキという奴には顔を合わせたくない。


「サキさん……? どうかしましたか?」


「……なんでもないの。それより私は何日寝てたの? 私は都への旅の途中だったんだけれど」


 そう言うと、ラナは目を見開いた。

 私はおかしなことを言ったつもりはなかった。


「なによ?」


「何って……。そんな大怪我では行き倒れてしまいますよ。そもそも……帝国西部、それも大河下流域で亜種族の方が一人で歩いては危険ですよ」


 そこで気がついた。

 私は、外套を着ていなかった。


 吸血鬼族特有の黒い翼は、そのまま晒されていた。


 それはそうだ。あの嵐の中大河の激流に流されたら外套も流されるに決まっている。


 大河の下流域は西部でと特に人族が多く、亜種族が嫌われている地域だ。

 そんな場所で、私を助けたなんて信じがたかった。

 人に見られたらラキとラナにも危害が及んだかもしれないからだ。


「……私が吸血鬼族だって分かっていたのに、助けてくれたの?」


「はい。きっと大河を流されていたのにもサキさんが亜種族であることが関係しているんですよね」


 いいんですよ困ったときは助け合いですから、と。


 そう言ってラナは被っていた魔術師の象徴である帽子を取った。


 少女の頭には獣の耳があった。

 私は思わず息を呑んだ。

 

「……驚いたわ」


 驚いたが、それ以上に納得した。

 道理で室内なのにラキはフードを、ラナは帽子を被っていたわけだ。


 私が亜種族の混血でありながら、亜種属を嫌う者だった場合を考えての対策だったのだろう。


「ラキとラナは……獣族の混血なのね? 耳だけで、尻尾は生えていないみたいだから」


 二人は獣耳だったが、獣族の特徴的な目立つもふもふとした尻尾は見当たらなかった。


「はい。サキさんも混血ですよね? 吸血鬼族の翼はもっと大きかったと思いますから」


 ラナは目を伏せながら言う。


「そうよ」


「でも、私とラキとは違って吸血鬼族の特性は強いみたいですね?」


 私は答えなかった。

 意味がわからなかったからだ。


 私の吸血鬼族の特性として表れているのは、この翼くらいだ。純血の吸血鬼族はほぼ人血しか口にしないらしいが私は血なんて一度たりとも啜ったことはない。


 私は人族の村で、人族とまったく同じように育った。


「大河から助け出して、この家まで連れて来ているとき、いきなり噛みつかれたと思ったら吸血されたって……ラキが言っていましたよ」


 何のことか分かっていない様子の私に、ラナは説明を付け加えた。


「そんなこと……私はしていないわよ」


「……覚えていないんでしょうか? 負ぶって運んでいるとき昏睡していたみたいだったのに呻き声をあげたらしいです。急に首筋に噛みつかれたって」


「えっ」


 ラナは、嘘をついているわけではないようだった。


 しばらく血を吸ったらまた気を失ってしまったらしい。そうして致命傷になり得る傷だらけであった身体から、明らかに流れ出る血が減ったという。


 純血の吸血鬼族は回復力が高い。

 

 ――私の中に眠っていた吸血鬼の本能が瀕死の状態から回復するために生き血を求めたのかしら。


「だから、ラキはあんなに私のことを警戒していたのね……」


 亜種族への敵対意識が強い、大河下流域。 

 そこで暮らす獣族の混血の双子。


 ラキとラナには、ただならぬ絆があるはずに違いなかった。


 自我を失い吸血するような私を、大事な片割れの姉であるラナと二人きりにはできなかっただろう。


 ラキはバレているつもりはないだろうが、出て行ってからもラキの気配はこの部屋の前を動いていない。部屋の前に留まっていた。


「私が、吸血したなんて……信じがたいけど……本当なら弟のラキには悪いことをしたわね、ラナ」


「いいんです……。先ほども言いましたけど私達は森の奥で二人で、ひっそりと暮らしているんです。亜種族の帝国西部での生きづらさは……よく分かりますから……」


 ラナは視線を下げたまま言葉を紡いでいく。

 辛い記憶を思い出しているようだった。


 ラナの言い分はわかる。

 でも、私には引っかかることがあった。


「私は最西部の海沿いの村で育ったわ。そこでは、人族の子にも私にも生きづらさなんてなかった」


 私は西部に位置するシャトラント村で育ったが、村のみんなのことが好きだ。都で帝国軍に入ったら、村へは仕送りをしたいと思っている。


 ラナはしばらく言葉を詰まらせた後「素敵な……故郷だったんですね」と、少し掠れた声で言った。

 ラナは涙ぐんでいた。


「ラナ……」


 私も村を出てからは吸血鬼族の混血という理由でミラクに奇襲された。ミラクは人族の多い地域では、亜種族の体は生体死体問わず高く売れると言っていた。


 親もおらず二人だけで、森の奥で暮らしているラナやラキ。二人は亜種族の血を引くことを隠しながら苦労して生きてきたに違いない。


 ――ラキとラナは、このまま帝国西部でひっそりと息を潜めるように生きていくつもりなのかしら。……そんなの、私なら耐えられないわね。


 ラナは西部で亜種族が出歩くのは危険だと言った。ラキと二人でひっそりと暮らしていると言った。


 ……ラキとラナが平穏と安寧を望んでいるのだとしたら、命の恩人である二人の意思を私は尊重するべきなのかもしれない。

 

 ……でも、本当にそうかしら。


 もし二人が本当に平穏を望んでいるのなら……二人は吸血鬼族の翼をもつ私を助けることなんて、する必要はなかったはずだわ。


 そこまで考えて私は決意した。


「ラナ。私は、都へ旅をしているの。……まだ立ち止まるわけにはいかないし、立ち止まりたくない」


 シャトラント村で私が都へ旅立つことを決めたのは、外の世界で色々な経験をして、軍功を上げるため。そして村のみんなへ仕送りをして恩返しするためだった。


 今、ラナとラキの未来に希望はないのかもしれない。二人の未来は、閉ざされたものなのかもしれない。

 でも、二人は私を助けた。

 

 二人はきっと、何かを変えたくて私を助けたんだ。


「ラナ、ひっそり息を殺すように生きる必要なんかない。あなたも私と一緒に行こう。都へ」


 思いを言葉にして伝える。私は下を向いていたラナの両手を握って笑いかける。ラナはハッとして顔を上げ、私の目を見た。


「もちろん、ずっと扉の外で聞き耳を立てているラキもね」


 少し覚悟をして私は言った。ミラクに似たラキの顔を見ても殺気立たずにいられるだろうか。


 いや……きっと大丈夫。

 私は、この双子と一緒に都へ行きたい。

 確かに、そう思った。


 ギィっと扉が音を立てて開く。バツの悪そうな顔をしたラキが部屋に入ってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る