第9話

 ――――あれから一週間。


 僕とティア様は人の多い場所を巡り、観察し、シレンダさんを探していた。


 駅をはじめショッピングモールやゲーセンやボーリング場など、ティア様がテレビや情報誌で知った場所に行ってはシレンダさんを探す日々。まだシレンダさんの手掛かりは掴めないながら、僕はそんな生活を楽しんでいた。


「なあアルク、シレンダはどこにいるんだろうな?」


 秋空の下、背中に生やした翼を羽ばたかせ、ティア様を抱えながら飛ぶ僕に、ティア様が呑気な声で話しかけてきた。


「どこでしょうねー。これだけ人がいるし、けっこう大きな街なので、見つけるのは大変そうですけど」


「魔力は感じるか?」


「微かに感じますけど、上手く隠れてるみたいです。流石はシレンダさんです」


 ティア様の魔力。本来ならこの街の外れにいようが隠せぬほどのソレは、巧妙に希釈され、絶えず街全体に供給されている。


 注意深く探らないと気付かない。あまりに自然に街に溶け込んだ魔力は、本当に見事と言う他ない。実際僕も最初は気付かなかったほどだ。


 魔力の持ち主から溢れ出た、或いは魔法使用後に残される魔力残滓とは違い、この中からシレンダさんの位置を特定するのは骨が折れるだろう。


 ただそれは言い返せば、この街にシレンダさんが潜伏してるのは確定してるわけで、一応の手掛かりであることは間違いない。


(流石は長年ティア様に仕えたシレンダさん。この魔力操作の精度、ザルザルより上だな。というか今にして思えば、城に残されてた魔力残滓は意図的なものか。だけど何のために?)


 ますます分からなくなる。いつも静かで、だけど優しかったシレンダさんが何のためにこんなことをしてるのか見当が付かない。


「それにしても人間の知恵と遊戯には驚かされてばかりだ。シレンダを探すはずが、ついその場その場を楽しんでしまう」


「あははは、家の中が日に日に賑やかになってきてますしね」


 カスケードとメイの努力は、ぬいぐるみやお洒落な小物、それに甘いスイーツに錬成されている。


 二人と顔を合わす度にそのことを謝るが、二人は決まって「何百年も魔王として頑張ってきたティア様なんすよ。遠慮なく使ってくださいっす」「ティア様が喜ぶ顔が見れて私は幸せニャ」と笑顔で返してくる。正直頭が上がらないし良く出来すぎた家臣達だ。


「それはそうとアルク」


「え? はい、なんでしょう」


 急に真剣な声をかけられた。


「次はどこに遊び……じゃなくて、シレンダを探しに行く? わし的には遊園地とやらが怪しいと思うのだが」


 完全にこの世界を楽しんでる。それどころか満喫し尽くす気だ。


「それはまさか遊園地と動植物園が融合していると言う『のんほいっとパーク』のことですか?」


「知っていたか。流石アルクだ」


「それほどでも」


 だったら僕も楽しもう。そこにシレンダさんの手掛かりが無いとは限らないんだ。



 ――その夜。


「おーいアルク、風呂上がったぞー。…………ん? 何を描いておるのだ?」


 リビングの机で鉛筆を動かしていた僕に、上気した顔のティア様が話しかけていた。


 寝巻きに買ったピンクのパジャマ。タオルで髪の水分を拭き取る少女の姿からは、魔王だった頃の面影はない。


「えっと、やはり僕達だけでシレンダさんを探すのは難しいと思うので、ここ一週間、ティア様がお風呂に入ってる間に、少しづつシレンダさんの似顔絵を描いてたんです」


「ほう、それは名案だ。わしに見せてみろ」


「あ、ちょ、まだ途中なんですけど」


 ふわりと、甘い香りが鼻腔をくすぐった。


 僕の手元の紙を覗き込むティア様の頭は、僕と別物のシャンプーを使ってるように感じる。


「……アルク、お前こんな特技があったのか」


 そのまま顔を上げたティア様が、心底驚いた顔で僕を覗き込んできた。


「特技というか、まあ趣味みたいなものですね」


 途中とは言え、我ながら良く描けてると思う。


 流れるような黒く艶のある長髪。ティア様に劣らない美貌と、落ち着きのある涼しげな目元。シレンダさんの人格を表したような優しい雰囲気。僕の記憶の中のシレンダさんと瓜二つだと思う。


 しかしこれは才能なんかじゃなく、何百年と寝る前に絵を描き続けていた賜物だ。


「……そうか、その絵が完成したら街中に貼り付けるとしよう。きっとシレンダを見かけた者から報せが来るはずだ」


「そう言ってもらえて良かったです」


「ただその前に」


 ティア様が興味深そうに僕との距離を詰める。少し動いたら額が触れそうな距離だ。


「時間がかかってもいい。わしのことも描いてみよ!」


 無邪気に笑うティア様。その笑顔が眩しくて、僕も釣られて笑ってしまった。


「ふふっ、分かりました。ですがすぐには描けないので、気長に待ってて下さいよ?」


「うむ、わしは待つのが得意なのだ。それくらいわけはない」


 それは初耳だ。けど本人がそう言うのならそうなんだろう。


「ん……? 待つ……わしが……むむ?」


 しかし自分でそう言ったティア様は、ふと首を傾げてしまった。


「天井と睨めっこなんかしてどうしたんですか?」


「んー……思い出せん……わしは何を待っていたのだ?」


 ぶつぶつ呟きながら、どんどん体が傾いていくティア様。どうやら僕の声は届いてないらしい。


 そんなティア様に「ティアさまー、僕もお風呂もらいますねー」と告げ、僕は逃げるようにリビングを後にした。



「――――ふぅ」


 真っ白な浴室の天井を見上げ、ため息を吐く。


 慣れない土地、初めて知るこの世界に疲れているわけじゃない。確かに疲労はあるが、それは些細なものだ。


 それじゃどうしてため息が漏れたかと言うと、精神的な部分が原因だった。


(あんな近くでティア様の顔見たの初めてだ。危なかった……)


 思い出し、湯船に頭ごと沈む。自分如きが抱いてはいけない感情に、罪悪感が込み上げる。


(……やめろ、考えるな。自分の立場をわきまえろ)


 浮かれかけた気持ちは、すぐに途方もない後悔に変わる。


(そう言えばこのお湯、先にティア様が浸かってたのか…………)


 ――バキィッと渇いた音が浴室に響く。


 頬骨が砕け、湯船に真紅の血が落ちる。


「……死ね、死ねよクズ野郎!」


 構わず、潰れた右の顔面に何度も拳を叩き込む。


 歯が、血や皮膚が、潰れて飛び出した眼球が、湯船を真っ赤に染めていく。


 しかし忌み嫌われた、汚らしい吸血鬼の肉体は、ブクブクと醜い音と共に損傷した肉体を再生していった。


「クソッ! どうして、なんで死なないんだよッ‼︎ 気持ち悪いんだよお前ッッ‼︎‼︎」


 涙と鮮血でグチャグチャになった視界。


 喉を突いた絶望は、その叫びは、もはや僕自身制御できない声量になっていた。


 途端にドタバタと足音が聞こえ、「アルク⁉︎ いったいどうした⁉︎ 何かあったのかっ⁉︎」と今一番顔を合わせたくない人物を呼んでしまった。


「…………なんでもありません。気にしないで下さい」


「なんでもないわけあるか‼︎ 誰かに襲われたのか⁉︎ 開けるぞ⁉︎」


 ティア様のシルエットが浴室のドアに映る。念のため掛けておいたドアの鍵が、ガチャガチャと音を鳴らす。


「やめてください。本当になんでもないんです」


「吐くならもう少しまともな嘘を吐け! ええい、こうなったら無理やり……」


「――――お願いです魔王様。どうか、やめてください……」


「アル……ク……?」


 揺れていたドアが、ピタリと静かになった。


 それに畳み掛けるように、僕はツラツラと軽薄な口調で言葉を連ねる。


「実は今、テレビで観たアニメの真似をしてたんです。ほら、主人公の少年が同級生に虐められるやつ。そしたらつい熱が入っちゃって……あはは、騒いでごめんなさい」


 ティア様は動かない。姿が見えない僕を、この声色から真偽を探っているんだろう。


「それに、僕は今真っ裸なんですよ? まさか僕の裸を見たいんですか?」


「……本当に大丈夫、なんだな?」


「もちろんです。僕に構わず、ティア様は先に寝ててください」


 長い沈黙。しかし僕に譲る気がないと分かったのか、或いは下手くそな嘘を信じてくれたのか、ティア様はドアから離れた。


「………………分かった。先に寝る。おやすみアルク」


「はい、おやすみなさいティア様」


 ――――再び訪れた静寂。その中で、僕は自嘲気味に呟いた。



「……ごめんなさい、魔王様」

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