ちをつぐ

根ヶ地部 皆人

ちをつぐ

「俺が産まれて初めて話した言葉は『父上に首をお見せする』だったそうだ」

 継男つぐおがそう語ったのは、十年ぶりに会う私と、初対面の私の妻の前であった。


 故郷に骨を埋めるだろうと思っていた幼馴染がこの都会で職を探すことにしたと訪ねてきた時は、心底驚いたものだ。

 継男は故郷では名家めいかで通る家の一人息子だと紹介すると、妻が大げさに驚いてみせたのを覚えている。

 継男は苦笑して妻に言った。

「貴族だの大名だのって話じゃありません。ただの地主ってだけです。それだって戦後はGHQと国に土地を安く買いたたかれて、今じゃあ気位が高いだけの一般家庭ですよ」

 継男の唇が、苦笑を通り越してさらに苦々しげに曲がった。

「俺が産まれて初めて話した言葉は『父上に首をお見せする』だったそうだ」

「なんだい、そりゃあ」

 驚いた私に、一瞬だけ見せた暗い表情を打ち消して微笑んで言った。

「うちの家系には、たまにあるんだってさ。むかし自分の妻と不倫したんじゃないかと小作人を責め立てた御先祖に、その小作人が『あなたのお子様の御顔が、自分の潔白を証明するでしょう』と言って絶命したそうだ。それで産まれた子供がしゃべった言葉が『父上に首をお見せする』だったんだと」

 妻が眉をひそめて「それ、怖い話よね?」と言ったので、なけなしの知識を総動員して補足した。

「地主と産まれてきた子供の顔が似ているから、血は繋がってるって話だよね。六部殺りくぶごろしの変形ってわけじゃなさそうだ。正統性を疑われた子孫が作った言い伝えだろうか?」

 しかし継男は、俺のフォローも鼻で笑い飛ばした。

「知らん。そういうつまらん言い伝えだのしきたりだのがうっとうしい、って話だ。しかし家の人間以外に漏らすなと言われてたから黙ってたが、おまえがそんなに喜ぶんなら、もっと昔に話しとけばよかったなあ」

 それから継男の顔がまた苦々しげに歪んで、吐き捨てた。

「あんな家は、もういらないんだ。だから俺は結婚もしないし、子供も作らん」

 なにか声をかけようと、そう思ったことは覚えている。

 しかしなにを言ったかも、どういうやりとりがあったかも、なにも記憶していない。

 覚えているのは妻がとりなすように酒を持ってきたことと、酔いでおぼろになった視界に継男と談笑する妻の姿があったことだけである。


 継男が電車と接触して亡くなったと聞いたのは、それから三ヶ月ほど後のことである。

 私はもちろんショックを受けたが、それ以上に妻には衝撃だったように思われた。私から話を聞いた彼女は、トイレへ駆けこんでしばらく嘔吐を続けた。

 しかし後に、これは悪阻つわりであったことが判明する。

 待ち望んでいた妊娠が、幼馴染の不幸と重なったのはあまりに皮肉である。

 だが、そこから始まる多忙さが、私の悲しみを和らげてくれたのは間違いなかった。

 母体の検査、胎児の検査、実家への連絡、職場への根回し、家具の配置も変えねばならぬし、引っ越しの可能性すら検討にあがってくる。

 やいのやいのと言ってる間に、やあ先天性の病気はなさそうだとか、やあこれは男の子だとか、そういう情報が入ってきて、妻がついにあの問題に触れてしまった。

「この子の名前、どうしましょう」

「どうしようかなあ……」

 祖父母にあたる私たち夫婦の両親の名前をもらうという案も出たのだが、双方の家から「もうそんな時代じゃないんだから、おまえたちで考えなさい」と、ありがたくも厳しいお言葉を頂戴して悩みこんだ。

 解決策は、おずおずと妻が出した一言にあった。

「継男さんの名前をもらっては、どうでしょう」

「ああ、それはいいね」

 一文字もらって読み方を変え、継太けいたとすることで落着した。


 まさに怒涛のような日々だった。

 妊娠が分かってから出産までが急流下りだとすると、出産から始まる育児の日々は滝壺に落ちるようなものだ。乳を飲まない、熱が出た、夜に泣く、朝も泣く、昼も夕方でもいつだって泣く、おむつが濡れたら泣く、お腹が空いたら泣く、なにが無くても泣く、眠くても泣くいいから寝なさい寝てください。

 そんなこんなであっという間に日は過ぎる。

 かわいい我が子はむくむくと成長する。


 継太も生後二年を迎えたが、まだ歓声や笑い声を上げるばかりで言葉らしきものは口にしていない。

 男の子が話し始めるのは遅いというが、そろそろ「パパ」なり「ママ」なりと口にするのではないかと期待して、もう半年もたってしまった。

 テレビの中のヒーローに「あうあう」とあやふやな激励を上げていた我が家の小さなお殿様が、ヒーローに向かって焼き立てのアンパンが投げられた瞬間、不意に私を見上げて笑顔で言った。

「ちちうえにくびをおみせする」

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