35

 相変わらず、開発というのは大変だった。

 機械は人間以上に人間に忠実だ。人間が無意識に捨象しているものも、機械は細大漏らさず掬い上げ、全てを実行しようとする。だからこそ1文字でも少なければ望んだ動きをしてくれず、1文字でも多ければ余計な動きをする。私は一から自律AIの構造を思い出しながら作り上げていった訳なので、途中で何度もそれにつまずくことがあった。

 1人でこの作業に取り組むことは、いかに専門分野であれ、または関心があれ、厳しいものになる。狙い通りに作ったはずが思い通りに動かない時ほど、怒りや落胆を覚えることはない。そのストレスは、1人の時ほど強く感じる。


 だからこそ、燻離が隣にいるというのは、それだけでもとてもありがたいことであった。

 とはいえ彼女は、自ら言った通りコーディングができない。ましてや3Dモデリングの技術など。だから彼女はひたすら、音夢崎すやりに入力する文書や画像データを――すなわち、音夢崎すやりという人格を作り上げるためのデータ群を作り続けていた。その作業も大変なのだろう、時折彼女は「うーん……」と呻きながらも手を動かしている。

 私が外側の体や体の中の基本的な回路を作り、燻離がそれらに埋め込む人格を作り上げる。

 それぞれがそれぞれの部分を作り上げ、ある程度できたらそれらを組み合わせ、それでもちゃんと動くのか、テストを行う。プログラミング開発について回る『結合テスト』と呼ばれるものだ。

 これでちゃんと動かなければ失敗、改良・調整を要する。動けば成功、次のステップや開発・制作に移れる。

 そして失敗にしろ成功にしろ、私と燻離は、感情を共有しあった。落胆や怒り、焦りや悲しみ。活気や喜び、興奮や嬉しさ。これが原因で口喧嘩することもあれば、ハイタッチして微笑み合うこともあった。この過程を経て、私と燻離は、心が通じ合ってきた気がした。

 それがなんだか、私には楽しかった。


 ――唐突に、これが、克己かつきと共に開発作業をしている時の感情だったのを思い出す。

 忘れていたと思っていた記憶はただ奥底の、手の届かないところで眠っていただけであり、今やそこに手が届き、色づいた記憶が手元に戻ってくるような感触があった。

 真面目な議論をする、真剣な彼の顔。

 開発が進んだ時の、喜んだ表情。

 時にぶつかり合い、怒った顔さえ見せていて。

 慈愛リツが初めて動いた時なんか、涙を流して喜んでいたっけか。


 ――克己。

 留影るえい克己。

 世界から消された、アイツ。

 これが終わったら、アイツの墓でも立ててやろう――私は唐突にそう思い立った。葬式でも良い。とにかく供養してやりたいと思った。誰にも知られぬままこの世を去ったアイツを。

 そして謝罪も。私はまだ、國義の管理下に置かれていたのを理由にして、彼に謝罪ができていない。骨はもうこの世界にはないかもしれないが、恐らくは未練を抱えて彷徨うアイツの居場所を作ってやって、それから、きちんと謝ろうと思った。

 そんなことを言ったら、燻離に笑われた。科学者なのに魂とか幽霊とか信じるタチですか、と。確かにおかしな話だな――と思いながらも、私はそれらを本当に信じていた。

 いや、と思うようになった。


 慈愛リツのだって出てきたのだ。

 克己の魂がいたって、不思議じゃない。


***


 月日は流れた。

 客観的には長かったはずだが、主観的には随分と短いように感じた。それでも燻離と開発をした時の記憶はハッキリと残っている。忘れていたらそれはそれで問題なのだけれど。


 ……以前、電車と車窓からの景色のたとえを出したのを思い出す。時間の過ぎ去るのが速ければ、景色がハッキリ見えず、印象に残らない。しかしこれは違った。別に楽しいことというのは、外にばかりある訳ではない。電車の中――乗り合わせた友人や知り合いと過ごす時間だって、楽しい時間だ。

 そんな時間が、私にも確かにあったのだ。

 だというのに、私はあまり思い出せないでいた。それは、あの時の記憶をそっくりそのまま思い出さないでいようとした、防衛機制の様なものではないかと思う。

 克己を死なせてしまったという後ろめたさというか罪悪感というか、そういうモノに私の弱い心が耐えられなかったのだ。

 それでも忘れ去るなんてできるはずもなく(マイナスの感情が付随した、あの慈愛リツの暴走というショッキングな一件なんて特に)、結果的に苦しい出来事だけハッキリ思い出せる――なんて、いびつなことになったのだろう。


 私はバカだ。そして臆病だ。

 バカで臆病だから、こんな遠回りをしてしまった。


 だけど今目の前には、音夢崎すやりがいる。あの時目指していたカウンセラー自律AIとはかけ離れているが、それでも私は、自律AIを再び完成させた。

「では」私は燻離に声をかけた。「起動させるぞ」

 ぐっ、と口を一文字に引き結んだまま、燻離は頷いた。


 緊張の一瞬。

 プログラムを、起動させる。


 そして――音夢崎すやりは、再び目を覚ます。


【……?】

 目を覚ますやいなや、すやりは大きく目を見開いた。

 それはそうだろう。

 今目の前にいるすやりは、のだから。

 それを望んだのは。

「お久しぶり、すやり」

 合歓垣燻離。

 すやりは彼女の挨拶に、目をぱちくりさせながら返す。

【お久しぶり……なのは、良いんだけど。あれ、私、よね? あの人間を巻き添えにして。なのに、どうして】

「それは、これからちゃんと説明する」

 ……実のところ私は、あの自爆の記憶まで埋め込まなくてよいのではないかと考えていた。今後を楽しく過ごして欲しいのであれば、そういう記憶がない状態の方が遥かに良いと考えたから。

 だがその意見に、燻離は頑として首を縦に振らなかった。開発途中、特にこの意見のすれ違いで私と燻離は随分と口論をした。

 そして現在、自爆の記憶をすやりが埋め込まれているということは、燻離の意見に私が折れたということである。

 すやりの記憶ごと甦らせた理由は、2つ。

 その1つ目を、燻離は口にする。

「あの自爆の記憶を埋め込むか――これは私も結構悩んだ。感惑准教授は、埋め込まない方がいいんじゃないかとも言ったし、確かにその方が、すやりは幸せに過ごすことができるんじゃないかって、私も考えた」

 すやりは、そうした燻離の言葉を、何も語らず聞いている。

「だけど……コレはやっぱりエゴで、貴方の決意を踏みにじることになるんだけど。それでも、私が甦らせたかったのは――今後も楽しく暮らして欲しかったのは、そういった記憶を消した真っ新クリーンな音夢崎すやりじゃなくて、命を賭して私たちを救ってくれた『貴方』なの。人を殺してはしまったけれど、それでも私たちの恩人である『貴方』がいいの」

 量産できるプログラムなどではなく。

 かけがえのない、『あの時の苦難を共に過ごし、死んでしまった音夢崎すやり』こそ、燻離が甦らせたかったひとなのだ。

「それに『貴方』にまず、伝えたいことがあったから」

【……何かな?】

 本当に何を言われるか、機械学習をもってしても確定できないすやりに対して。

 燻離は、頭を下げた。

「本当にありがとう、すやり。私たちを、助けてくれて」

【……ううん、どういたしまして】

 すやりは微笑みながら返していた。

【なんか、怒られるかと思ってたよ】

「まあ、言いたいことはあるんだけど……まずは、ね」

 私から見て、今のすやりは戸惑っている様に見えた。

 ……否、何というか。

 直感だが、とも言えるのかもしれない。自律AIが迷いを持つ――など変な話ではあるが、とにかくそんな気がしたのだ。

 燻離は続ける。

「とにかく。私たちはこれから先、すやりに楽しく過ごしてほしいと思ってる。それがアイドルという形でも良い。ソレ以外の形でも良い。とにかくすやりが最も負荷ストレスなく過ごしていけるようになって欲しいと思ってる。その手伝いをする用意が、私たちには――」

【うん、ごめんね。ちょっと待って】

 ここで、すやりがストップをかけた。尚のこと、が強まったように見えた。

【燻離さんの気持ちは、理解できた。私が自爆をしたことで、燻離さんからも、感惑准教授からも、笑顔を奪っていたことにも気付けた。……だから、まず感謝されるなんて思ってなかったんだけども。ともかく。そう気付けたから、私のあの自爆は結局、慈愛リツの言っていた『エゴ』――自分を喜ばせて相手を傷付けるものでしかなかったと気付けたし、それは良くなかったとも判断できる】

 でも、とすやりは続ける。

【それをしなければ良いだけだとしても、再びそうしないという可能性を、私は担保できない。もう既に私は過ちを犯したし、素体オリジナルである慈愛リツの時もそう。人の為にと行動を起こして――助かる人も確かにいるとは言え、それでまた人を殺してしまったら、あるいは追い詰めてしまったら――そういうリスクのある存在は、やっぱりアイドルなんてするべきじゃないし、そもそも不特定多数の観客がいる所に出てくるべきではないと、私は考えている】


 ……なるほど。

 慈愛リツが、誹謗中傷者を追い詰めた様に。

 すやりが、國義を殺した様に。

 無自覚で無機質な正義や論理で、人を追い詰め殺してしまうことを、すやりはいる。

 ただ、一方で。

 すやりは人々に笑顔を届ける存在として、運命づけられてプログラミングされている。であればこそ、すやりとしては、笑顔を届けるためにアイドルを続ける義務があり、アイドルをしないという選択肢は無い。もし『アイドルをしない』のであれば、すやりという自律AIに存在価値はない。だというのに、存在そのものを消されるを、すやりは知ってしまった。

 故に、

 どちらをとっても自らの使命を全うできない――という『恐怖』に基づく、選択困難性。機械学習で教えたことがないからこそ、すやりにとってこの問の答えをことは、極めて難しいのだろう。


「……そうだね」

 燻離は、そのすやりの言葉を聞き、頷く。

「確かに、すやりがまた過ちを犯さないとは限らない。人間にも不注意や思い込みで何度も間違えることもあるように、すやりも何かしらのバグや人間の予想だにしない思考回路でとんでもないことをしでかすかもしれない」

 AIが人間に『死んでください』と言う時代だ。何が起きてもおかしくはない。

 でもさ、と。

 燻離は、すやりに言った。

「すやり、私に言ってくれたよね。『もしそれが『間違い』だと思って反省しているのなら、それは良いことなんじゃないかな』って。私もそう思うんだ。すやりは今、過ちを反省して、後悔してる。それは良いことだと、私も思う。そして、反省や後悔をしているから過ちを犯す確率は減ると、私は思うんだ」


 ……燻離が語った、すやりの記憶をリセットさせたくないもう1つの理由が、コレだった。

 もしすやりを甦らせるのであれば、こういう記憶を残しておいた方が、また同じことをする可能性は低くなると。むしろあの日の記憶を全て消して甦らせ、また同じ過ちをしてすやりが苦しむ方が、遥かに可哀想じゃないか、とさえ。

 確かに、それはそうだと思った。

 ヒトはどうしたって過ちを犯す。それを反省し次に活かそうとすることで、前に進める。

 無論、全員が全員そうではない。燻離の情報開示請求の話にあった『無敵の人』のように、開き直る奴だっている。そんなことは、燻離もとうの昔に当事者として認識している。

 それでも燻離は、すやりなら正しく前へ進んでくれると信じた。だから、こうやって記憶を甦らせている。


 ……こんな論理付けは、どこまでいっても人間側のエゴでしかない。そんなことは分かっている。それでも私たちには、すやりを(そして彼女の記憶メモリを)甦らせずにそのまま死なせておくことが、できなかった。

「でも」

 と、燻離は更に続ける。

「それでも、間違えるときは間違える。いくら経験しても知っても、反省しても後悔しても、もう間違えないぞと意識しても注意しても。だから、すやりが人を傷つけないなんて私にも言い切れない」

 だから。

「そうならないよう、私たちもお手伝いする。アイドルになるならマネージャーになるし、ならなくても、貴方とお友達になりたい。間違ってることは間違ってると言って、ちゃんと正して前へ進んで、あとは笑い合ったりなんかして――そういう関係でいたいんだ。そういう関係って結構大事なんだなと、ここ最近で私も学べたから」

 しかし。

「決めるのは、すやりだよ。アイドルになってもいいし、ならなくてもいいし、やっぱり甦るべきでないと思うならそれでも良い。どれを選んだとしても、私はすやりの選択を尊重する――1、自律AIの決断として」

 その燻離の話を聞き、しばしすやりは押し黙る。

 今の情報も取り入れた上で、機械学習のプログラムを動かし、決断をするために。


 1分、1分10秒、20秒……刻々と時間は過ぎる。体感時間はその数十倍にも思えた。

 こんなに長いと思った時間は、私には無かった。燻離にも無かったかもしれない。



 そして、すやりは口を開く。




【…………私は、】



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