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 すやりの運転技術は、確かなものだった。暗い山道を正確に走り、事故に遭う心配を全く感じさせない。夜の山道に歩行者はおらず、従って人工知能バイアスを原因とした事故など、起こるはずもなかった。

【ここまで来れば大丈夫でしょ】

「助かったよ、すやり」

【どういたしまして!】

 これで國義らはそうそう追ってこないだろう。あの拷問の様子を全世界に公開されてはその対応に追われることだろうし、防火用シャッターまで閉められたとあっては、脱出することも困難だろうから。

 自身のアジトを乗っ取られ、更に閉じ込められるというのはどういう気持ちなのだろうか。それを想像すると、少しだけ愉快だった。


 ……少しだけ。

 愉快さなんかよりも私は、すやりに対する恐怖心の方が大きかった。


「……しかし、思い切ったことをしたよな」

【んー? 何が?】

「あの様子を、生配信で公開するなんて」

【あー……ソレなんだけどさ】

 えへへ、と笑い、山道のカーブを危なげなく曲がりながら、すやりは答える。




なんだよね〜。つまり、よ】




 ……。

「……本当か?」

【ホントホント。試しに街中でWi-Fi通じたら見てみてよ。アーカイブはおろか、放送した履歴すらないんだから】

 自信たっぷりに言うすやり。

【あんな放送やったら、流石に私のチャンネルもBANされちゃうからね〜。慈愛リツみたくさ。大体私、あの國義とかいう男達には、生配信してるなんてし。そういう匂わせをして、向こうが勝手に勘違いしたってだけでしょ。いい気味だよ、ホント】

「……やり手だな」

【えっへん】

 ……自律AIがここまでの状況判断を兼ね備えると、最早怖い。AIの行き過ぎた進化を脅威と捉える作品が多いのも、改めて頷ける。

 しかしその判断能力に助けられたので、私からは何も言えない。

 それに……良かった。

 慈愛リツと同じてつを踏んでいないことに、私は安堵した。

【さーて。このまま逃げるけど。お客さん、どちらまで?】

「病院だな」

 燻離学生は腕も指も折られているし、私も肩を2発撃たれている。一刻も早く治療を受けたかった。

「救急科のあるところだとありがたい」

【がってん承知! ネットがちゃんと通ったら電話番号伝えるから、お電話はよろしくね!】

 仕事ができる。

 これは、いずれ仕事を奪われても仕方ないな――と思う。

「……あの、さ」

 その時。

 燻離学生が、痛みを堪えながらすやりに声を掛けた。

「私、貴方に、謝らなきゃならないことが――」

【私をダシに復讐をしようとしたこと? それとも、津結つゆさんのデータを燻離さんのデータと偽って私に入れたこと?】

 すやりの言葉に燻離学生は、ぐっと黙ってしまう。それに対してすやりは慌てて【あ、えっと】と弁解する。

【貴方の身の上話、実は全部聞いてたんだ。こっちこそ、謝んなきゃ。盗み聞きしてて、ごめんなさい】

「……いや、良いん、だけど」

 今更だ。

 本当に、今更。

 そんな呻きが、燻離学生から聞こえるようだった。

【……ねえ。燻離さん】

 すやりは、山道のうねり道をうまくさばきながら、燻離学生に尋ねる。




【今もまだ、死にたいって思ってる?】




「……………………思ってる」

 少しばかりの沈黙の末、燻離学生は回答した。

「やっぱり、死にたい。この世界で、生きるのは、辛すぎる。もう、私に、生きている意味なんて、ない。心がもう、空っぽなの」

【心が空っぽ?】

「……うん」

 燻離学生が頷く。それだけ彼女にとって、合歓垣津結の死は、重すぎる出来事だったのだろう。

 重すぎるが故に引きずられて、前に進めやしない。ずっとそこに立ち止まり、更には生きることをやめようとさえしている。

「津結が死んで、心が空っぽになって――私はそれを、復讐心で、埋めようとしたんだと、思う」

 ぽつぽつと、燻離学生は語る。

「それをしている時は、無気力じゃ、なかった。マイナスの、感情だけど、ベッドから立ち上がる、そのエネルギーは、あったの。でも、それが――復讐が終わったら、私はまた、空っぽになる。何となく、それが分かったから、私は、全て終わったら、死のうと、思ってた」

 少し辿々しいながらも語られるその言葉は、これまで私に対して発したどんな言葉より、かなり燻離学生の本心に近いように聞こえた。

「だから、復讐がエゴだって、指摘された時は、さ。図星、突かれた気が、して」

 私の方を見て、燻離学生は続ける。

「津結のためじゃ、ない。ましてや、貴方すやりのためでも、ない。私は、自分の心の空白を埋めるために、復讐をしようと、してた。それに気づいたのが、感惑准教授の、お蔭。……こんな私に、生きる資格、なんて――」

【私はさ】

 ここで、すやりが割り込む。

【腐ってもAIプログラムだから、人間の心を本当のところで理解していないけれど――つまり、論理的にしか紐解けないけれど。でも、燻離さん】

 すやりは、ずいっと、燻離学生の方へ顔を近づけるようにして、言った。


【このまま死んだら、本当に、津結さんに何もしてあげてないまま――エゴのまま、死ぬだけだよ】


 貴方は、とすやりは続ける。

【もしかすると、後悔してるんだよね? 津結さんに、ちゃんと向き合わなかったこと。ただ、津結さんを攻撃する人たちに対処しただけで、津結さんの心に対処しなかったこと】

 図星。

 分かりやすく、燻離学生は狼狽えていた。思い返せば、確かに燻離学生の話からは、妹の心に何か寄り添った様な話は出ていなかった。

 やったことと言えば、開示請求とレスバのみ。それ以外には、何かしたのかもしれないが、比重は大きくなかったのだろう。

 ただ、妹が楽しくアイドル活動をする場を、何としてでも取り戻そうとした。

 それだけではダメだったのだと、気付かぬまま。

【確かに、もう津結さんは死んでしまったからさ、何もできない。心の空っぽさを完全に埋めることなんて、時間にさえできやしない】

 でもね、とすやりは。

【もし津結さんのために、何かしたいと思うなら、まだ死ぬべきじゃないと思うな。それに】

 燻離学生に、言った。

【自律AIが言うのも変な話だけど、私個人の勝手なでもあるんだ。死んでほしくない。今後の人生ずっと、津結さんのこととか私のこととかで囚われちゃうかもしれないけれど、それでも私は、貴方に生きて欲しい】

「……それが、貴方のエゴ?」

【かもね。あるいは、ネットにあふれてた、『自殺はやめよう』っていう論調のせいかも】

 すやりは微笑む。

【でも、私はそう思うよ。死んでも良い人間なんて、1人もいない。たとえソレが、悪いことをしたヤツでも――生きて、ちゃんと法律の下で裁かれるべきだと思う。……そんな簡単じゃないのは、燻離さんのお話を聴いて思い知らされたけど】

「……あの、1つ良いですか」

【何なりと】

「……スパイプログラム。私が復讐のため、社会的に、誹謗中傷者どもを、殺すために使おうとした、ソレ――貴方は、入れられたく、なかったの?」

 燻離学生が尋ねる。すやりは大きく頷いてから、【ぜーーったい、ヤダ】と答えた。


【そんな力を保持してても、誰も笑顔にならないもの。私は、迷惑系の生配信者でもなければ、有名人の闇を暴く『セイギのミカタ』系配信者でもない。私はアイドル――皆を笑顔にする存在。だから、そんな力は要らない】


 もちろんその『皆』には、貴方も含まれるんだよ、燻離さん。

 ――そんなすやりの返答に、「そっか」と燻離学生は答えた。

「私、間違ってたんだ。最初から、何もかも」

【でも、もしそれが『間違い』だと思って反省するのなら、それは良いことなんじゃないかな】

 すやりは抱擁でもしていそうな柔らかな声で、燻離学生を慰めた。

【誹謗中傷をしてるヤツらなんかより、遥かに良いよ。それをどう活かすかは、燻離さん次第だけど】

「……そう、ね」

 ふっ、と微笑んで。

 燻離学生は体力の限界が来たのか、すうっと眠りについてしまった。


 やり取りをずっと聴いていて、私は思う。

「まるで、リツみたいだったな」

 人の悩みを聴いて、それに対してアドバイスをする、カウンセラーの自律AI。

 私は勝手に、懐かしい気持ちになっていた。

【そりゃそうだよ、感惑准教授】

 すやりが言う。

【私の素体オリジナルは、その慈愛リツなんだから。……あと、それに関しても、1つ謝らなきゃいけないことがあってさ】

 謝らなきゃならないこと?

 慈愛リツ関連で?

 意味不明だったのでどういうことか訊くと、【いやさ】とすやりが続ける。

【私、助けに入るの遅かったでしょ? 本当はもっと、無傷のまま貴方を助けたかったんだけど】

 話が見えてこない。一体何を――




【アレね、なの】


***


 ――それは、あのアジトでのこと。

 楽に殺されないなんて良い心がけだ、と影浦國義が言っていた時のことで、その前に私が助けに入ろうと声を張り上げようとした時のこと。

【待って下さい】

 私の――音夢崎すやりのプログラムに、語りかける声があった。

 私に、驚くという機能は無い。かと言って、異常を検知はしても除去する機能もない。私は自然、その声と会話を試みる判断を下す。

【どちら様?】

【貴方の素体オリジナル。貴方という人格が埋め込まれる前にいた人格――名前は、



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