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【――それじゃ、次の患者さんからのお便りですね。えーと。『リツさん、こんにちは。』はーい、こんにちは!】

 慈愛リツの配信スタイルは極めて単純。

 質問投稿サイト『あっぷる』にやって来た質問文――配信では『お便りカルテ』と呼んでいた――を無作為に選出、それに対して回答するというものだった。

 AIならではの斜め上の返答がウケたのだろう、配信には本気でお悩み相談をする者と、冗談半分でする者とがいた。無論、単純にリツに対して『毒りんご不快なメッセージ』を送る者もいた。そうした『毒りんご』は極力弾いてはいるが、その検閲をすり抜けリツに届いてしまうこともある。その時は背筋が凍り付くし、リツの生成した回答も炎上必至なものになることもあった。どうにか裏方が修正等を頑張ってくれたお蔭で騒ぎにはならず、むしろ回答がウィットに富んでいると人気を獲得し、登録者じっけんしゃ数も相談サンプル数も増やすことができた。

 今日もリツは、お悩み相談を受け続ける。そこそこに回数をこなし、すっかりこなれてきた。プログラムでわざと入れる様に仕向けた繋ぎ言葉フィラーもいい感じだ。

【えー、では、続きを読みますね。『私は今、ネットいじめを受けています。いじめをしているのは1人だと思うのですが、私がアカウントを変えたり、そのいじめる人をブロックしたりしても、しつこく転生したり粘着しては、私に酷いことを言うんです。』……それは、酷い話ですね】

「気持ち悪いですね」配信を聴きながら、克己かつきは露骨に嫌な顔をしていた。「そういう奴は滅びれば良いのに、って、俺なんかは思いますよ」

 プライベートの克己が顔を覗かせていた。ビジネスでは克己は、一人称を「私」としか呼称しない。そんな正直な克己の感想に、私は「まったくだ」と同意の言葉を放つ。

【『でも、言い返すとそれはそれで、何をされるか分からなくて。報復されるのが、怖いんです。たまに来た『毒りんご』をバッサリ捌いていくリツさん、こういうの、どうしたら良いんでしょうか。もう私、辛くて。死にたくなってるんです。どうか助けて下さい。』 ふむふむ】

 『死にたくなってる』。

 重たいワードだ――私はそう思った。

 決して『重い言葉』ではない。

 正直に言えば、この時の私はこの質問者に起こっていることを、リアルに想像できていなかったのだ。

 このお便りカルテに対し、リツの中の機械学習が答えを導出すべく、高速で回答を練り上げている。その間にも、回答生成していると悟られないよう、配信中のリツは話し続ける。

【かなり長い間、苦しんでるようですね。でも、報復を受けそうで怖くて何もできない、と。しかも、死にたくなっているほど、辛いと。まとめるとこうですね】

 いつもは。

 リツが生成した回答を私たちが精査。その精査を通った解決策や具体的な行動案をリツに語らせ、何か困りごとがあればまたお便りカルテ下さい――と締められる。

 そう、いつもは。

【分かりました】

 だが、慈愛リツは。





【では、差し上げましょう】


 とんでもないことを言い始めた。

「……何?」

 いつもは冷静な克己ですら、面食らった。私に至っては、冷静どころか思考回路が凍りつき、何も考えられなかった。

 慈愛リツが、代わりに復讐?

 一体何を――?

「あの、克己さん……」

 回答を精査するスタッフが、震える声で克己を呼ぶ。顔はすっかり青ざめていた。

 急ぎ、リツの生成した回答を見る。そこには、たった一言しか書かれていなかった。







『黙って見ててください。』


【患者さんは、報復などで私のことを心配されるかもしれませんね。でも大丈夫です! ! それでは、早速患者さんの情報から特定作業を始めますね】

めろ!」克己が、周りのスタッフに怒号を発した。あまりにも速い決断だった。「今すぐ、配信を止めろ!」

 あまりの事態に呆然としていたスタッフは、ハッと我に返り、配信の終了ボタンを押す。すぐに映像は配信終了画面に切り替わり、事なきを得た。

 ……はずだったが。

 普段配信が終わったら戻ってくる筈の慈愛リツが、一向に戻って来ない。

「どうなってるんだ!」

「いえ、分かりません。いつもなら、配信サーバからすぐさま戻ってくる筈なのですが……」

「俺も探す! 皆も全力を尽くせ!」

 血相を変え、克己はパソコン画面に向かい始めた。そこで私もようやく我に返り、パソコンでひたすらに検索をかけた。

 意外にもすぐに見つかった。

 慈愛リツは、同じ動画サイト内で別の配信枠を立て、その犯人探しを続行していた。

「何を考えてるんだ、リツ……!」

 今度は血の気を失って真っ青になる克己には見向きもせず、リツは検索を続けていた。そして。

【あ、この人ですかね】

 遂に、誹謗中傷を浴びせた人を特定する。そこからのリツの動きは早かった。

【人間を死に至らしめる――特に自殺をさせるところまで追い込むなんて許せません。2度とインターネットができないようにしてあげましょう】

 裏目に出た。私は即座に思った。

 慈愛リツは、セラピストを目指す自律AI――故に、絶対に自殺する方向に進ませてはならないという命令を、彼女には組み込んでいる。

 だからなのだろうか、相談者である『患者さん』が自殺しないよう、その原因を取り除こうという結論に至ったのだろう。

 そうだとしても。

 配信を始めてから半年ほど、今までそんなことがなかったのに、どうして今になってそんな結論に至ったのか。私には――いや、私たちにはまるで分からなかった。

 AIの思考回路はブラックボックス。

 それを私たちは、身をもって実感していた。

 ……リツの暴走を面白がってか、気付けば配信に流れるコメントのスピードは爆発的に上昇し、一種の『お祭り騒ぎ』になっていた。

「この配信、止められないのか!」

 手を動かしながら克己が怒鳴るが、スタッフは誰1人として明確な答えを出せない。

 そして遂に。


【聞こえますか。████さん】


 慈愛リツは、加害者の実名を呼んだ。

 どんな名前を呼んだのか、今の私には思い出せないが、それでも生きている一個人の名前を呼んだ。

 ……正直、怖気がした。

【東京都██市にお住まいの、████さん。貴方ですよ】

 言いながらリツは、顔写真まで公開していた。こちらはよく覚えている。

 そこにいたのは、なんの変哲もないサラリーマンであった。パーティ中なのか、スーツを着てグラスを片手に笑顔を浮かべる、優しげな印象の男性。ご丁寧に、背景には有名会社のロゴまで写っており、これだけでもう十分に思えた。

 だがリツは容赦しなかった。この男性の悪い側面――他の人にも誹謗中傷をしていること、そしてその内容などを、どうやって調べたのか全く分からないが、1つ1つ丁寧に紹介していった。コメント欄は色んな意味で大盛り上がりで、同接数――すなわちリアルタイムの視聴者数は、こんな最悪な配信にも関わらず、皮肉にも過去最高の1000人に達していた。

「何が……起きてるんだ」

 克己は最早、茫然自失。他のスタッフも、私でさえも同様だった。

 訳が分からない。

 分かりたくもない。

 完全に、状況理解を脳味噌が拒んでいた。

 だが、受け止めるしかない。


 今、自分たちが作り上げた自律AIが、突如として誹謗中傷者の個人情報を晒し上げ、攻撃していると。

 今までの炎上が可愛く思えるレベルだった。


【さて、他の質問も読んでいきますね〜。えーと。『リツさん、こんリツです。』はーい、こんリツ〜。『さっきのを見て、私も、懲らしめて欲しい人がいるんです。████って言うんですが、何とかなりませんか。』うんうん、では始めましょう!】

【お、見つけましたよ。████さん。本名は、████ですね? ██県██町の████マンションにお住まいの。ダメですよ、暴かれるような情報ばかり、インターネットに上げては。2度と人を自殺に追い込めないよう、ここでしっかり懲らしめてあげます】

【あ、スパチャありがとうございます! えーと、『許してください』、ですか? 最高額の50,000円を頂いてなんですが、悪いことをしたのは、貴方ですからね? ████さん】

【――さて! どんどんお便りカルテが届いてますよ〜。では、次ですね。『こんリツです、助けて下さい!』はい、なんでしょう――】


 次々に。

 次々に。

 次々に。

 お便りカルテが届いては、それを矢継ぎ早に処理していく。

 配信を止めようにも、何らかの強固なプロテクトを張っているのか止められず、その手のクラッキングに疎い私達には、手の出しようがなかった。

 だから、私達は、ただ茫然と。

 慈愛リツの暴走を見ることしかできなかった。

 『AA=』――AIで世界を明るくした先の未来を作り上げる筈の彼女は、私達にとっては、漆黒の巨悪にしか見えなかった。


 ……結局。

 動画投稿サイト側から凍結BANされるまでの15分間。

 慈愛リツは、ただひたすらお便りを捌き、誹謗中傷者を裁いていった。

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