12

***


 ――けたたましく鳴り響く目覚ましの音を、乱暴に叩いて止めた。

 また、嫌な夢を見たな。

 寝覚めは最悪だ。

 薄目を開けて時計を見る。時刻は午前9時。確か3時に寝たから、まあまあ睡眠時間はとれてる方か。

「……」

 ベッドから起き上がる。体が重い。思わず溜息をつく。

 悪夢を毎日毎日見ているわけだし、まあこんなコンディションになるのは仕方ない……なんて、割り切れるワケないけど。

 なんとか体を持ち上げ、ベッドから出る。思えば最近、ようやくベッドから出られるようになった気がする。

 多分、すやり開発の件があるからだ。

 彼女がいるから私はまだ動けるし、生きていける。

 これが終わったら、どうせ、死ぬのに――


 ピリリリリリリリリリリ


「うわっ!?」

 ……ビックリした。

 目覚まし時計が、けたたましく鳴り響いていた。スヌーズ機能がONになってるんだ。

 ……この、やろう。

 驚かせやがって!

 私は、目覚まし時計を乱暴に叩いて止めた。その勢いが強すぎたのか、目覚まし時計は吹き飛んでしまい、床に叩きつけられる。

「……」

 床に落ちた目覚まし時計をぼうっと見る。頑丈だから、壊れてはいない。ただただ音もなく、デジタルな数字を動かし時を進め続けてる。

 ……いつからだろうか。

 新しい1日を告げる目覚ましの音に、不快さだけでなく陰鬱さも感じるようになったのは。


「……今日、死のうかな」


 はっと、口をつぐんだ。

 何を言っているんだ。

 今じゃない、今じゃ。

 まだ、私にはやらないといけないことがある。

 正気に戻れ――頬を2、3回叩き、目覚まし時計を元の位置に戻し、寝間着から普段着に着替えた。

 部屋を出て、左へ。には、今も向きたくない。……向き合いたくない。

 そっぽを向いて階段を下り、リビングに向かう。テーブルの上には、ラップのかかった皿。葉物野菜と、焼いたハムと、目玉焼きが閉じ込められてる。作ってから時間がたっているのか、ラップには水滴がの様にボツボツとついてた。

「おはよ、クーちゃん」

 台所で洗い物を丁度終えたらしいお母さん。もう20歳を超えてるのに、いまだに燻離わたしを『クーちゃん』と呼ぶ、お母さん。手首に包帯を巻いてグロい傷痕を残している、お母さん。

 その顔には、表情と呼べるものがなかった。笑顔も、暗い顔も、とにかく何の表情もない。まさしく虚無からっぽだ――まるで表情という表情を出し切ってしまったかのように。

 うちに抱える暗澹あんたんたる気持ちを隠しながら、私は「おはよ」と返した。それを聞いたお母さんは、リビングから出て行ってしまった。多分自室に戻ったんだろう。ここ最近はいつもそうだ。無理もない。


 ……死ななきゃいいな。

 ま、それも時間の問題か――私が死ねば、きっとお母さんも死ぬだろうし。

 お父さんには、申し訳ないけれど。

 ……お父さんは、私たちが死んだら、やっぱり死ぬのかな。


 ぐにゃり、とゴムのような感触のするハムを齧りながら、そう思った。

 私も、もう限界が近い。

 それでもこんな風に動いていられるのは、ひとえに音夢崎すやりのお蔭だった。

 皮肉なものだ。こんな形で、Vアイドルに生かされるなんて。

 普通は、生きる希望を与えてもらって、それで生かされることもあるのに。生きる希望もないまま、それでもVアイドルに生かされている。

 ……いや、こんなの、まだか。

 『生かされている』なんて、そんな積極的プラスなものではない。決して。

「……」

 溜息。

 朝食はどうにか食べ終えた。結局今日も、なんの味も感じられなかった。


***


 わが家の洗面台は、風呂場にある。

 その事実が、より私の心を重くする。

 この家にはもう至る所に、死の臭いが染みついてしまった――そう、この風呂場も。

 ……ああ、もう。思い出したくない。

 乱暴に、冷水で顔をこする。そうしている間は、冷たさですべてを忘れることができた。

 けれど、顔を上げた先にある大きな洗面台の鏡――そこに映る私の顔が、一瞬にして暗い現実を思い出させる。

 殴って鏡を割ってしまおうか。そう思っても、二重の意味でできなかった。

 ……こんなんで、自殺なんてできるのかな。

 首をくくることも、手首を切ることさえも、怖いのに。

 きっと、屋上の端に立っても、電車のホームの端に立っても、一歩踏み出すことなんてできやしない。

 想像するのだって、恐ろしい。

「……それでも」

 私はきっと、自殺する。

 こんな世界で、もう私が生きていけるわけがないし。

 何より。


 


 タオルを手に取った。すっかり顔を拭くのを忘れていて、顔から垂れた水滴で洗面台が濡れていた。習慣的かつ事務的な動きでそれらをぬぐう。

 洗濯用の衣類が入ったカゴにタオルを放り込む。2階の自室に戻り、ささっと化粧をする。誰に見せるわけでもないから、本当に簡単に、だ。これも習慣だった。

 鞄を手に取る。中には、あの准教授を黙らせる資料――そのコピーを潜ませている。原本は、あのフリー記者が持ってる。報酬は高くついたけど、腕は確かだ。私は彼を信頼していた。

 ……今日もまた、あの准教授の元に向かう。監視目的で、もうあの研究室には既に数回通っていた。これも習慣になったのか、と思うと溜息が出る。

 ……あれから。

 すやりのアカウントであの告知をしてから、もうそろそろ1か月になる。

 あの准教授の腕は確かで、すやりはすっかり人間抜きでもアイドルとしてやっていけるようになっていた。ここに関してはひと安心――まあ論文や研究成果を見て、いけると確信していたから当たり前なんだけど。むしろ、ちゃんとやってくれなきゃ困っていたところだ。

 そろそろ、終幕フィナーレは近い。

 私の人生にとっても、あいつらにとっても。

 ……運が良ければ、すやりにとっては、良き日々の始まりが近いのかもしれない。

「……きっと、そうなったらいいよね」

 そう呟いて、自室を出る。また左を努めて向いて、階下の玄関へ。

 しんと静まり返った、居心地の悪い家を背にする。誰も返事を返さないと分かっていても、私は習慣的に声を出す。

「行ってきます」

 そしてドアノブに手をかけ――














『行ってらっしゃい!』


「っ!?」

 ……思わず、振り向いた。

 しかし、そこには誰もいない。

「……は、はは」

 ヤバいな。

 とうとう幻聴まで聞こえるようになっちゃったらしい。

 やっぱ、もう限界か。

 でも、すべてが終わるまで、なんとかもってほしい。

 頑張れ、私の心と体。

 頑張れ。

 そうやって鞭を打つように激励してから、玄関のドアを閉め、鍵をかける。

 見上げた空には、どんよりと世界に沈み込む様な、鈍色にびいろの雲。それに圧搾プレスされそうな感覚を覚えながら、大学へのみちを急ぐ。




(Seg.)

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