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 ――瞬間、空気が冷える感覚がした。

 音夢崎すやりのライブアーカイブから響く明るい声が、不気味なまでに研究室内に冴え渡っている。


 自殺。


 確かに彼女は――合歓垣ねむがき燻離くゆり学生はそう言った。聞き違えようがない。

 だが、くだらないと切り捨てることを許さない、想像の斜め上の回答に、思わず聞き返してしまった。

「……何だって?」

 彼女は、私の間抜けな質問に、律儀に丁寧に答えてくれた。

「自殺です、自殺。アイドルの腸に糞便が無い様に、Vアイドルに『中の人』はいない。私は、音夢崎すやりを究極で完璧なアイドルにしたいんです――文字通り、人間を超越した偶像アイドルに」

「……」

 私は、この狂気性に固まりながらも、この時点で大きく2つ、違和感を直感した。

 『中の人』とはすなわち、Vアイドルの歌唱や身体の動きを担当する生身の人間のことだ。その『中の人』さえいなければ――外面だけで自律してしまえば、確かに人間を超越し得る。

 むしろ、人間でなくなる、と言っても良いだろう。

 しかし、あまりに論理が飛躍している。

 何を思って、或いは何を経験してその結論に至ったのか、彼女の言葉から抜け落ちている。

 まあ、彼女の外見――目の下のクマやボサボサの髪の毛、荒れた肌などから、何となく想像はつくのだが。彼女の口から真実が暴かれない限りは、その論理は地に足がつかないまま――まさしく、空論のままだ。

 これが1つ目。そして2つ目は。

 録画アーカイブ内の音夢崎すやりと、目の前の燻離学生とのイメージが、何をどうやっても私の中で一致しない――ということ。一番重要な、声さえも違うように聞こえる。音夢崎すやりより低いし、一度酒やけでも起こしたのかの様に少し掠れ気味だ。

 ……まあ、何にせよ。

 やはりこの依頼は受けられない、と考えていた。流石に、自殺幇助ほうじょの片棒を担がされるなんて御免だ。元々私の抱えていた『制作に協力したくない』という感情が増幅されたに過ぎない。

「帰ってくれ」

 だから私は、突き放すように燻離学生にそう言った。

 だが。

「帰りませんよ」

 燻離学生は、バッサリと私の言葉を切り捨てる。

「良いですか。貴方が答えるべきはただ1つです、感惑かんわく准教授。私の依頼を受ける、ということだけ」

「……答えるとでも」

 私は激昂するフリをして、せめてもの抵抗を試みる。

「自殺幇助を、私がするとでも思っているのか!」

 対する燻離学生は、嫌な笑みを浮かべた。


「思ってようと思ってまいと、よ」


「……何だと?」

 思わず聞き返す私に、嫌な笑みを浮かべたまま、燻離学生は続ける。

「言った通りです――貴方なら。いえ、。かつて、自律AIを作ったことのある、思態感惑准教授」

「……何、を」

 何を。

 この学生。

 私がかつて、自律AIを作ったことがあるなんて、一言も言っていない!

 どころか、知るはずがないのだ――、そんな事実を。

「私の……何を知ってるんだ、君はッ!」

「知りたいですか?」

 そう言って燻離学生は、鞄の中からファイル冊子を取り出した。

 訳も分からず戸惑っていると、燻離学生はファイルの1ページ目を開けた。ヒラヒラしたクリアポケットの中に入っていたのは――とある、1枚の写真。


 料亭に入る私と、1姿


 私は、思わずのけ反りそうになった。

 何故、この写真を持っている。

 入手できるはずなど、ないというのに!

「この人、知ってますよね?」

 私の額には、うっすらと汗が浮かんでいた。それを垂れ流さない様に注意しながら、「……誰だコイツは」とシラを切る。

AA=エーエーイコール株式会社、社長の留影るえい克己かつき。AIで未来を明るくする会社の社長さんですよ。知らないはずないでしょう?」

「……知らない」

 それでも私は白を切る。

 そう。私は彼を――克己を知っている。

 いや。

 世間ではもう、克己を知らないはずだ。

 なのに、何故。

「その顔は知ってる顔ですよ。嘘が下手ですね」

「そちらこそ嘘が下手だな」私は即座に反論した。「今どき、写真なんて偽造できる。フェイク画像ってやつだ」

「必死ですねえ」しかし燻離学生は攻勢を崩さない。「でも、これだけじゃないですよ」

 燻離学生は、ファイルのページを次々繰る。

 そこには、証拠が雁首揃って並んでいた。

 名も知らぬ記者の、取材メモコピー。信憑性に欠けるし何とでも言えるから、これはそれほど驚かなかった。

 だが、問題はそこからだ。次に出て来たのは、あるバーチャル配信者の配信のスクリーンショット。画像内に表示される動画タイトルには、『慈愛リツ』と明確に書かれている。動画の投稿日は、2022年8月14日。その日付は忘れもしない――この配信者の、最後の配信日。そしてこの配信の動画は、もうネット上のどこにも存在していない。

 果ては、部外秘とされた資料の表紙――そこには『完全自律AI開発計画【確定版】』の文字と、慈愛リツのアバター姿、そして私や克己の名前を含む、関係者一同の名前。その名前は、私の記憶と完全に合致していたし、計画書の見た目も、完璧に一致していた。


 全て、私にとって、残骸。

 最早苦い記憶となった欠片かけら達を、燻離学生は突き付けてきた。


「……こんな、もの、どこで」

 私は思わず尋ねた。もう、事実を認めてしまったようなものだ。それでも、私は知りたかった。

 これらは全て、最早手に入る筈のないものだ。なのにどうして、一介の一般人が持っているのか。

「教えません。ただ、有り金を全てはたいたということだけ」

 まだありますよ、と。

 燻離学生は追い討ちをかけてきた。

「有り金を叩いたお蔭で、その先まで知ることができてます。貴方が失墜した経緯も顛末てんまつも――今の貴方が何の研究をしているのかも、全て」

 ……くらり、と眩暈がした。

 怖気さえも。

 一体何が、彼女をここまで突き動かすのか。

 その原動力は恐らく、1つ目の違和感――飛躍した論理の中に隠されているのだろうが、本人が明かしていない以上、私に分かる筈もなかった。

「貴方に拒否権はありません」

 燻離学生は、証拠という何よりの凶器を突きつけ、私に迫る。


「今、ここで。私の自殺を手伝うと答えて下さい」


 ――実質上、詰みであった。

 もし私がここで断れば、彼女は秘密を全てバラすだろう。そうなれば計画は即座に、人知れず中止するしかなくなる――そして私も、今度こそ終わりだ。

 破滅する……だけでは済まないかもしれない。

 殺される。

 それも、どんな殺され方をするか分からないからタチが悪い。

 だが持ち帰って回答を延期する、という道も今閉ざされた。『今、ここで答えろ』との要求は、その意味も内包している。

 ……結局、この時の私にできることはただ一つで。

「……分かった。請け負おう」

 依頼を受け入れることだけだった。

 それでも、私は彼女の依頼を取り下げさせるのを諦めた訳ではなかった。まだこの世から消えたくはないし、自律AIなんてもう作りたくなかったから。

 だが、頓挫させるための方策が浮かばない。

 故に依頼を一旦受け入れ、反撃方法を考える猶予を得たに過ぎない。

 きっと何か、道筋があるはずだと願いながら。


 私は自席に座り、机向かいの椅子を燻離学生に勧める。

「……早速、要件を聞こうじゃないか。君の言う、『完璧で究極なアイドル』を目指す為に」

「ありがとうございます」

 燻離学生は礼を言ってから、地獄めいたファイルを鞄へしまい、席に着く。





(Intro END.)


(Seg.)

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