天国への荷物
月波結
第1話 18歳の決断
ずーっと、白い砂浜が続いている。
波打ち際は、濡れたところと乾いたところがまるで塗り分けられたかのように分かれている。
とぼとぼと、その線上を歩く。
誰もいないかと思ったのに、気が付くと前に、誰かがいる。
きっと同胞だ!
走っていって一緒に歩こうかと思う。
そうだ、急いで追いかけて――。
その考えは一瞬でかき消される。
同胞なら共に歩くのはやめた方がいい。どうせすぐに別れることになるんだから。
望みは捨ててひとりで歩く。
白い足を波が洗う。
――どこまで歩いたら楽になれるんだろう?
ゴールのわからない砂浜を、ひとり、歩いていく。
◇
恵夢、いつまで寝てるの?
恵夢!
「恵夢ちゃん! いい朝よ、おはよう」
「おはようございます」
寝ぼけた頭でぼんやりどこかの風景を思い出す。どこか、ツートーンのところ。セピア色ではなかったけど。
そして、ママの声。
このところ聞いてない。ママがわたしを起こす声。懐かしい⋯⋯。
「今日はよく晴れてるから暖かくなると思うわよ」
窓の外を見ると、そこにはガラス天井のような水色の空が広がっていた。夏空のような強い色ではない、弱々しい青。うっすら、吹き流すように白い雲が浮かんでいる。
「今朝の朝食はパンですって。パンと卵、サラダとソーセージ、ヨーグルト。育ち盛りなのにこれだけじゃ足りないわよねぇ」
ボランティアの佐藤さんは不満そうに口を尖らせた。でも実はわたしは今朝のメニューを知っていた。咲夜、卵とパンをチョイスしたからだ。
まして育ち盛りだなんて笑ってしまう。どちらかと言うともうゴールに近いわたしたちに育ち盛りという言葉は似合わない気がした。
「髪の毛、伸びたわね」
「お陰様で」
わたしには悪性腫瘍がある。余命は3年だ。告知されてからここにやって来た。
ここは、病院経営の緩和センターだ。
◇
高齢化社会の生み出した新しい問題――尊厳死。
人間らしく生きていけないのに、ベッドの中で生きていくことを余儀なくされていた人たちを救う法案が可決された。
その中のひとつに、特定の条件に当てはまる者は緩和ケアを受けるために社会生活からリタイアしてもいいという選択肢が生まれた。例えば18歳以上で成人していて、余命の短い難病の人。
わたしは家族の反対を押し切ってそれを選んだ。
入退院を繰り返す生活にうんざりしてしまっていたからだ。
緩和ケアに入ってしまえば、もしもの時の無理な延命措置もなくなる。
――家族は、特にママは最後まで反対した。今までわたしのためにいちばん犠牲になってきたのはママなのに。
わたしは引き止めるその手を振り切って、ここに来た。ここがわたしの
18になったわたしは、ひとり、ここにいる。
◇
「佐藤さん、お願いがあるんだけど」
「何かしら?」
「今日、散歩に付き添ってくれないかな?」
佐藤さんは花が咲くように顔をパッと輝かせた。
「行きましょう! 恵夢ちゃんの方から誘ってくるなんて珍しいわね! ずっと部屋にいるより、きっといいことがあるわよ」
「うん、ちょっと冷たい空気が吸いたくなったの」
「そうね、冬の空気も時には気持ちいいわよ。厚着しなくちゃダメよ。今日あたり、丁度紅葉、見頃だと思うわよ」
40代だと言う佐藤さんは目尻にシワを浮かべて、うれしそうに笑う。
「さぁ、ご飯にしましょう。わたしの分も持ってきたの。一緒に食べましょうよ」
「うん、うれしい」
今現在、投薬治療しか行っていないわたしは日常生活でそれほど困ることはないのだけど、こういう好意はやっぱりうれしい。甘んじて受け取る。
ここには食堂もあって、そこに行くとメニューも豊富なのだけど⋯⋯どうしても人の中に入る気になれない。
ひとりでの食事はさみしいけど、ひとりがいちばん楽だった。誰かに気を遣って、もしくは哀れまれて生きるのはたくさんだ。わたしはいつか、ひとりで旅立つんだから――。
◇
「きゃっ!」
「うわっ、ごめん!」
急いで歩いてきた誰かとぶつかって、尻もちをつく。ツイてない。ぶつかってきたヤツの顔を見てやる。
その人は男性で、明るい色の髪と瞳、わたしたち特有の白い肌をしていた。サラリとした髪が、わたしに屈んで手を差し伸べた時、重力に逆らわずに揺れた。
「急いでたからって言い訳にならないよな。本当にごめん。痛いところはない?」
「今のところ」
「なにかあったら俺のせいだって言って。じゃあ急ぐから、ごめん!」
あ、ちょっと⋯⋯と名前も言わずに行ってしまう。そそっかしくてせっかちな人だ。朝からとんだ目に遭った。
「あら、遼くんじゃない」
佐藤さんは厚手のカーディガンを着て現れた。
「知り合い?」
「ここで遼くんのことを知らない人はそうそういないわよ。
「へぇ、そうなんだ」と相槌を打つ。
どっちにしてもわたしには関係ない。ここで友達を作るつもりもないし、いらない情報だった。
それより、色づく紅葉が散りゆく様を見たい。自然の命が失われる冬を間近に見たいという気持ちでいっぱいだった。
ここはいつも管理が行き届いていて、枯れそうになった花瓶も、浮かんできた熱帯魚もすべて命が失われる前に処理される。
自然の中にしか『死』がない。
「日差しが暖かくてよかったわねぇ。今日はこっちに行きましょう」
佐藤さんの選んだのは下の池に向かうコースだった。自然林に囲まれた池が、坂を下るとある。紅葉を見るには絶好の場所だった。
「足元気をつけてね」
外を歩くのは久しぶり。完璧に舗装されたとは言い難い小道は、足裏に凹凸を感じさせる。昨日の雨で濡れた落ち葉がそこここにあって、踏んでしまうと転ぶから、と注意を受ける。
わたしたちは腕を組むようにしてどんどん日陰の道を歩いていった。木漏れ日が美しい。
「あら、先客ね」
池を眺めるために設置されたベンチのひとつに男女の姿が見える。すぐ隣に座るには気が引ける。
「遼くんじゃない! 隣の人、綺麗な人ね。これじゃ泣く子がたくさん出ちゃうわ」
わたしは特に興味はなかったけど、佐藤さんの言葉に釣られてそっちを見た。『遼くん』と呼ばれる彼はうれしそうになにかを喋っていた。黒髪の長い色白の女性はルージュの色が映えて、いっそう美人に見えた。彼女は聞き手に回っている。
「そうか、遼くんが特定の女の子と付き合わないのはそういう理由だったわけね」
それはどうかな、と思う。
ここにいて特定の相手と付き合うのは十分な覚悟が必要だ。彼がいかに明るくて前向きだと言っても、それは同じような気がする。
少しするとふたりは上に向かう小道を歩いていった。遼くんは佐藤さんに手を振って。
「あら、ここにいるの知ってたのね。いやだ、あの子ったら」
佐藤さんはころころ笑った。
次の更新予定
2024年11月30日 22:00
天国への荷物 月波結 @musubi-me
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