第36話

 冗談で言ったつもりだった。「俺も一緒に行っていい?」なんて、軽く聞いてみただけだったのに。

 まさか本当に「いいよ」って言われるとは思わなかった。


 だから、雄也と一緒に大阪に戻れるなんて夢にも思わなかった。

 しかも、今日の会話で新幹線の時間まで決まってしまうなんて……

 その展開の早さに、正直まだ頭が追いついていない。


 でも、心の奥底では嬉しさがじわじわと広がっている。


 さっきのことが頭から離れない。

 雄也が俺の目を見て「綺麗だね」って言ったあの瞬間。あれはどういう意味だったんだろう。俺の目が綺麗? 本気でそう思ってくれたのか、それともただの社交辞令?


 でも、雄也の目だってクリクリしていて可愛いのに。自分のことを棚に上げて、どうしてそんなことを言ってくるのか。あの一言が、妙に胸の中に残っている。


 そんなことを考えながら、俺は絨毯の上に寝転がった。ふわふわしていて、なんだか雄也の匂いがするこの絨毯は、俺を手放してくれない。いつまでもここに横になっていたい気分だった。


「あー、早く八月にならないかなぁー」


 心の中で呟いたつもりが、気づけば声に出していた。


「なにー? 楽しみなの?」


 雄也が意地悪そうな目を向けてくる。

 その目が俺の弱点。少しSっ気のある彼の目が、俺はたまらなく好きだ。その目に見つめられると、胸が妙にざわつく。


「楽しみだよー。雄也と出かけるなんて」


 素直にそう答えると、雄也は「ならいいけど」と言ってスマホに目を落とした。彼は何かを調べているようだが、その画面に夢中になりすぎている様子が気になった。


「ねー、何見てんの?」


 何気なくそう尋ねると、雄也が少し焦ったように顔を上げた。


「な、何も見てねぇし」


 その反応があまりにも怪しくて、思わず笑ってしまう。

 

「嘘じゃん。俺にも見せて」


「だ、だめ!」


 雄也が必死にスマホを隠そうとするのを見て、余計に気になってしまう。

 彼の手から、するりと簡単にスマホを奪い取ると、画面に表示されていた文字を見て、思わず吹き出した。


『関西 デートスポット』


「なにこれー! なんでこんなの調べてんの?」


 俺が笑いながら尋ねると、雄也は顔を真っ赤にしながら言い訳を始めた。


「う、うるさい。なんか陸人と行けるとこないかなとか思って調べただけ。で、デートってのは、勝手に出てきたんだよ……」


「ほんと?」


「ほ、ほんと……」


 その返答に、思わず口元が緩む。


「可愛い」


 そう言うと、雄也はさらに顔を赤くして「う、うるさい! 返して!」と怒ったように言う。その姿がまた愛らしくて、思わず笑いが止まらなかった。


「はい」


 そう言ってスマホを返すと、雄也は恥ずかしそうにこちらを見てきた。その視線が妙に刺さって、俺は胸がじんと熱くなるのを感じた。


(あー、なんでこんなに可愛いんだよ)


 心の中でそう呟きながら、ふと胸の奥にあるもどかしい感情が広がる。


 早く、雄也にこの想いを伝えたい――その気持ちが膨らむ一方で、もし嫌がられたらどうしようという不安も同じくらい押し寄せてくる。


 彼が楽しそうにしている姿を見ているだけで十分だと思う一方で、それだけでは足りないとも思ってしまう。この矛盾だらけの気持ちが、俺をどんどん苦しくさせる。


 この歯痒くてもどかしいジレンマが、どうにかなってくれたらいいのに……


 そんな独り言が胸の中に静かに響いた。雄也がふと目を向けてきたけれど、俺はそれに気づかないふりをして、再び視線を絨毯へ落とした。

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