第24話

「おお!」


 雄也の友達らしき女子大生だ。どこかで見たことがある気がする。


「こちらは、もしかして例の?」


「そうそう。話してたでしょ」


(例の?)


「話の通り、やっぱりすごいイケメンだ」


「えっと・・・・・・」


 俺が戸惑っていると、その女子大生はにっこりと笑いながら自己紹介を始めた。名前は未来というらしい。どうやら、雄也と同じバイト先で働いているらしい。

 あのカフェで、雄也と再会したときに隣にいた子だと、ようやく思い出した。その時はただの雄也のバイト仲間だと思っていたけど、今、こうして再び顔を合わせると、なんだか妙に気になってしまう。

 雄也のことを少しでも知っている人が、目の前にいるというだけで、何だか緊張してしまった。


「どうぞ、宜しくお願いします!」


 元気に挨拶されて、一瞬気後れしてしまった。


「あ、宜しくお願いします」


 どうやら、俺らと同じ講義を受けているらしい。


「じゃあ、一緒に受けよ」


 雄也が提案した。正直、俺は雄也と二人きりで過ごしたかった。二人だけの時間が欲しかった。でも、まぁ仕方ないか、と自分に言い聞かせていた。

 とは言っても、さっきから雄也と未来がずっと二人で話しているのを見ていると、どうしても気になって仕方がなかった。俺はその後ろを歩きながら、二人の会話に耳を傾けていた。どうやら、バイトの話をしているようだった。楽しそうに笑いながら話す雄也の顔を見ると、胸の中に何かモヤモヤしたものが湧き上がってくる。それが嫉妬だということは分かっていたけれど、どうしようもなかった。

 教室に入ると、雄也は真ん中の席に座り、俺は左側、未来は右側に座った。講義が始まると、俺は無意識に本を開いて、時間が早く過ぎるのを待った。

 しかし、目の前では、雄也が楽しそうに小さな声で未来と話している。その光景を見るたびに、心の中で何度も葛藤していた。


(もしかして、俺と話すより、未来と話している方が楽しいのかな・・・・・・?)


 なんて考えが頭をよぎる。

 だって、雄也は俺にそんなふうに笑わないし、こんなに楽しそうに会話していない気がする。そう思うと、ますます胸が苦しくなる。

 講義中、話す内容が全く頭に入ってこなかった。ただただ、目の前の二人に意識を奪われて、頭の中はぐるぐると嫉妬と不安でいっぱいだった。未来と雄也の会話に割り込むことができればいいのにと思ったけど、どうしていいか分からず、ただじっと我慢しているしかなかった。

 結局、講義は何も身にならず、ただ時間だけが過ぎていった。

 そして、講義が終わると、あっという間に教室が賑やかになり、俺はそのまま立ち上がった。雄也と未来が一緒に話しているのを横目で見ながら、心の中で何度も深呼吸をして、気持ちを落ち着けようとしたけれど、どうしてもその不安は消えることがなかった。


「俺、先帰る。また明日」


 俺は冷静になれなかった。この二人が楽しそうに話しているのを黙って見ているのが耐えられなかった。雄也の笑顔が、未来との会話の中で輝いているのを見るたびに、胸が締めつけられるような気持ちになった。どうしてもその光景を受け入れられなくて、ただただ焦るばかりだった。

 早くこの場を離れたい、それだけが頭の中をぐるぐる回っていた。

 講義が終わった瞬間、すぐにでもこの教室を出て行きたかった。でも、どこかで自分が子供じみたことをしているような気もして、足が動かない。

 けど、体は無意識に動いていた。


「え、もう帰んの?」


「うん。用事あるから」


 もちろん用事なんてない。けど、咄嗟に言ってしまう。完全に嫉妬している。


(嫉妬なんてしないと思ってたのに・・・・・・)


 そそくさと教室を出て、足早に歩きながら、自分でもどうしてこんなことをしているのか分からなかった。心の中でぐるぐると不安や嫉妬が渦巻いて、ただただその場から離れたくて仕方がなかった。

 学校を出ると、思わず立ち止まった。周囲の喧騒を耳にしながら、何故か怒りが湧いてきた。雄也と未来が話しているのを見ているうちに、次第に自分の感情が手に負えなくなった。それだけならまだしも、嫉妬している自分に腹が立ってきた。

 俺は雄也を独占したいのか、ただ彼の気持ちに自信が持てないだけなのか、混乱していた。

 バスに乗らず、歩いて駅を目指すことにした。昔から、腹が立ったらじっとしていられない。

 イヤホンを耳に入れ、好きな音楽を聴きながら気を紛らわせようとする。お気に入りのプレイリストをランダム再生にして、流れたのはチャイコフスキーの《弦楽セレナーデ》だった。イ短調の和音が力強く響き渡り、その音に包まれることで少しだけ気持ちが落ち着いていくのを感じた。


(今の俺にぴったりだな・・・・・・)


 明るくも切ない旋律が耳に響く中、俺は歩き続けた。太陽の光は容赦なく降り注ぎ、アスファルトから立ち上る熱気が、体にまとわりつくように絡みつく。湿気が空気を重くし、心地よい風はどこにもない。

 こんな日に歩くなんて無謀だったかもしれない。思わず、バスに乗ればよかったと後悔の念が湧き上がる。

 足元のアスファルトに視線を落とし、ただただ足音と、耳元で鳴る音楽だけが支配する静けさの中、歩き続ける。だが、第二楽章が始まると、甘美なメロディがその一瞬を優しく包み込んでくれた。温かい手が俺をそっと撫でてくれているかのようだ。誰も歩いていない道路に、静寂の中でワルツの旋律が響く。

 たまにすれ違うのは、犬の散歩をしているおじいさんたちだけ。それでも、歩く足音とワルツの音色が心に染み込み、ひとときの慰めとなった。

 しかし、誰もいない道をひとり歩く寂しさは、どうしても拭えなかった。ゆっくりと、けれど確実に駅に向かって足を運ぶその道のりが、いつまでたっても終わらないように感じられた。足元に焦りが募るのと同時に、胸の内に渦巻く感情もますます強くなる。

 無意識に早足で歩いていたことに気づくと、息が上がりそうになる自分を感じ、ふと立ち止まりたくなるけれど、それでも足は進んでいく。

 赤信号が、ようやく青に変わる。信号を渡るために一歩踏み出すと、突然、右腕に引っ張られる感触があった。驚いて振り返ると、そこにいたのは見覚えのある人物だった。心臓が一瞬、跳ね上がる。

 不審者だと思ったわけではない。しかし、その動きは一瞬、混乱を呼び起こした。

 だが、その目の前に立っていたのは、苦しそうに息を整える雄也だった。

 まるで風のように、翔け寄ってきた雄也。肩で息をしながら、額に滴る汗をぬぐいもせず、立っている。彼の顔には、走り続けた後の疲労が見て取れるが、それでもどこか、溢れるような優しさをその目に宿している。


「陸人・・・・・・」


 息を切らしながら、雄也は少し苦しそうに言った。

 俺を見つけたときの顔は、少し焦っていて、怒っていて、それでもどこか安心したようにも見えた。

 必死に俺を追いかけてきたようなその姿に、胸の奥で何かがこみ上げてくる。突然の出来事に心が乱れる。それでも、彼が目の前にいるだけで、全てが少しだけ軽くなる気がした。


「え? なんで?」


「なんでじゃねぇよ。俺、陸人のことずっと追いかけて来たんだよ。勝手に帰んなよ」


「ご、ごめん。でもあの子と楽しそうにしてたから、先に帰った・・・・・・」


「それは・・・・・・ごめん。俺も悪かった。けど、俺、陸人と帰りたかった」


 雄也の言葉に、胸が締め付けられるように痛くなる。どうしてこんなにも、彼の一言で心が揺れるのか自分でも分からない。涙がこぼれそうになったけれど、必死に堪えた。

 密かに思い続けていたその人に、こんな風に心を動かされるなんて。

 きっと、誰だってこうなるのだろうか。彼が少しでも俺を気にかけてくれている、そんな小さな一言が、こんなにも大きな意味を持つなんて思わなかった。

 それが嬉しくて、また少しだけ涙がこぼれそうになる自分を感じながら、俺はその場に立ち尽くしていた。


「雄也・・・・・・」


「俺、陸人の隣にいたい・・・・・・ほら、俺らちょっと離れてたけど、幼馴染で親友だろ?」


(そうだよな。俺ら幼馴染の親友だよな)


 親友止まりの悲しさが込み上げるよりも、隣にいたいって言う言葉が胸を打って気持ちが高ぶり、無意識のうちに雄也を抱きしめていた。 

 彼の温もりが伝わるその瞬間、背の低い雄也は、まるで俺に守られるように体を委ねて、ひっそりと隠れるようにその腕の中に収まった。

 周囲には誰もいない、静かな空間が二人だけのものになった。胸が締め付けられるような感情がこみ上げてきて、ただ彼のぬくもりに包まれたくて、何も言わずそのまま抱きしめ続けていた。心が静かに満たされていくような、不思議な感覚。


「ちょ・・・・・・陸人・・・・・・」


「ごめん、俺、嫉妬してた・・・・・・」


「な、なんでだよ!」


 雄也が照れくさそうに俺を押し退けた。


「ほ、ほら! 行くぞ!」


 雄也は、力強く踏み出すように大きな一歩を踏み出す。

 俺は、その隣に何の苦もなく、自然に雄也に追いついた。

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