青を翔ける

倉津野陸斗

月馳せ

こだま

 初めて東京の地に足を踏み入れる日、胸の内に芽生える期待と不安に揺れていた。今年の四月から大学生になる。 

 大阪から遥か離れた東京で新しい生活を始めるのだ。


 父の「東京の方が将来のためになる」という言葉に押され、旅立つ決意をしたものの、心の奥にはまだどこかぬぐえない寂しさが潜んでいる。


 新大阪駅からこだま号。


 各駅停車のグリーン車に一人、ふわりと落ち着かない心を抱えて座り込む。


 表向きは「早めに予約すれば安くグリーン車にも乗れるから」と自分に言い聞かせたが、実際のところ、のぞみ号であれば二時間半で東京に着いてしまう。


 家族や友達と別れたばかりで、胸に去来する感傷がまだ冷めやらぬ間に新しい世界に飛び込むのは、彼には少し無理があった。


 ゆっくりと言っても、凄まじい速度で大阪を離れるこだま号は、佐野雄也を優しく抱えて東京へ向かっている。


 窓からは、雪化粧を纏った富士山がちらりと見える。


 新富士駅が近づくと、その荘厳で堂々たる姿が彼の目に映り込み、広がる雪の美しさにふと心が洗われるようだった。揺れる車窓の景色に、まだあどけない心を落ち着かせようとしていると、不意に通路から小さな声が聞こえてきた。


「お客様、お飲み物をお持ちしましたよ」


「あ! すいません。ありがとうございます」


 さっきモバイルオーダーで注文した水を持ってきてもらったのだ。すっかり忘れていた。現金で支払い、領収書を渡された。客室乗務員の女性は一礼し、元の居場所へと帰っていく。


 ペットボトルのキャップを開けると、オルゴールかグロッケンシュピールのような軽快なメロディと車内アナウンスが流れた。


『まもなく新富士です。お出口は左側です。新富士を出ますと、次は三島に停まります』


「はあ。もう新富士か・・・・・・」


 英語のアナウンスが流れ始めた。続々と降りる準備をする人が増える。ほとんどが外国人だ。富士山は外国人観光客からも絶大な人気があるようだ。


 新富士を出て、三島、熱海へとアナウンスだけを聞いていると、いつの間にか眠っていたようだ。


『まもなく終点東京です。中央線、山手線、京浜東北線、東北・高崎・常磐線、総武線、京葉線、東北・上越・北陸新幹線と地下鉄線はお乗り換えです。お降りのときは足元にご注意ください。今日も新幹線をご利用くださいまして、ありがとうございました』


 感謝と別れのアナウンスが遠くから聞こえてきた。あまりの乗り換え路線の多さに、それらを理解するのに数秒かかり、急いで降りる準備をする。こだま号だからか、東京駅に着く頃には、この車両の乗客は十人程度だった。


「はあ。もう東京か」


 見送ってくれた家族の「頑張れよ」という言葉が、笑顔とともに、心の中でこだまする。


 中央線に乗り換え、立川駅で降り立った。都心に近づくほど家賃は上がり、八王子も高い相場というイメージだったため、その中間に位置する立川を選んだ。


 見知らぬ街の駅を出て、少し冷たい春の風を浴びながら、雄也の胸にはほんのわずかな高揚感が漂っていた。


 こうして始まろうとする大学生活と下宿生活。その先に待つ出会いなど、この時の雄也は夢にも思っていなかった。

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