行方不明者

「ところで田原さん、先程天井から落ちたご遺体を調べさせていただけませんか?」


「調べるって、何を?」


「体の中を、です。怪異の主食は気ですが、中には気を得る為に生き物を捕食する個体もいるんです。

 何か欠けている臓器があれば、この事象を起こしている怪異の目的が、人間を餌にすること、ということになります。

 相手は異次元の生き物ですから、表面に異常がなくても内側が荒らされているケースは多々あるんですよ」


「調べるのは構わんが……」

中島はチラッと田原の顔を見た

「長くなるか?」


「まだ、何とも」


「田原。先帰っていいぞ」

「え? でも、中島さん……」


「梅さんが待ってるだろ。早く帰ってやれ」


「ま、まだ、たぶん大丈夫です。ここに来る前、夕飯を食べさせてきましたし……」


「ご家族の具合がよくないんですか?」


 逢が心配そうな視線を田原に向けると、田原はバツが悪そうな顔をした。


「もう何年も、ほとんど寝たきりなんです。それどころか、最近は認知症も進んできてて。でも二人暮らしなので、俺が看るしかなくて……。こんな時にすみません」


 田原は申し訳なさそうに俯いてしまった。


 その様子を見て、逢は直感した。

 きっと彼は、すぐにでも祖母の元へ帰りたいと思っているに違いない。遺体は今のところ大野家の周りで降っているが、そのうち他の場所にも降り始めるかもしれない。祖母が動けないのであれば、遺体の下敷きになってしまうんじゃないかと、不安でしょうがないはずだ。


「ご家族を優先なさってください。いいですよね? 四辻さん」

「もちろん。構わないよ」


「本当に、すみません。お言葉に甘えさせていただきます。では、もう少ししたら……」


 逢と四辻が頷くのを見届けると、中島は次に大野を見た。


「大野さんは帰った方がいいんじゃないか? 自分の家のことだから、心配なのは分かるが」


 その鋭い視線には、「一般人は帰れ」という強い意志が込められているようだった。


「えっと……」


 大野は視線で四辻に助け舟を求めた。


「すみませんが、大野さんはもう少しだけ捜査にご協力をお願いします」


 その言葉に、大野はほっと胸を撫で下ろした。


 一連の流れを見た中島は呆れた顔を四辻に向けた。


「そんなんでいいのか?」


「新しい情報が得られるかもしれませんし、この後ご自宅を見せていただこうかと思っていまして」



 四辻と逢はゴム手袋をして、遺体収納袋を開けた。中島は四辻達を監視するように傍に立っている。


「ご遺体は田畑一郎さん。この間米寿のお祝いをしたばかりだったのに、持病を拗らせて入院しちまった。具合は良くならず、病院で家族に看取られたらしい。攫われたのは、家に帰る途中だったようだ」


「遺体は走行中の車から消えた、ということですね。そういえば、先日支部で保護した方の名字も田畑でした。親戚でしょうか?」


「ああ、そういやそんな事もあったな。その日はこっちも忙しくしてたから忘れてたよ。あんたの言う通り、親族だよ」


 中島の言う通り、四辻と逢が支部の保護施設で取り憑かれた田畑を発見した日は、村で四人の遺体が降った為、警察と機関は大忙しだった。


 四辻が中島に相槌を打つ横で、逢は被害者の着ている装束を寛げ終えた。


「首の骨の骨折と頭の外傷は、さっき頭から畳に落とされたせいだと思います。四肢は欠けていないし、眼球も無事。すみません四辻さん、鞄からポータブルエコーを出してもらえますか?」


「ちょっと待ってね」


 逢はタブレット型の超音波画像診断装置を受け取ると、プローブを握って走査した。


「肝臓、胆嚢、膵臓、脾臓、腎臓、心臓に食い破られた跡なし。その他エコー上観察できる臓器も無事です。肺と脳は保留にして、解剖の前にCTとMRIへ回します」


「ありがとう。でもおそらく、この遺体も無事だよ」


「やっぱり、怪異が遺体を攫ったのは食料にする為じゃないんですね?」


「そう思う。もし怪異が食べる為に持ち帰っているなら、中島さん達が遺体を回収しても無関心なのはおかしい」


 逢は遺体に付いたゼリーを拭き、服装を整えてから遺体収納袋を閉めた。


「他にはどんな可能性があるんでしょう?」


「穢れを広げる為、という可能性もある。でも今のところ、この怪異の目的は、遺体を盗むことだった可能性が高いかな?」


「『遺体を盗んだ』だと?」

 突然、中島が四辻の腕を掴んだ。


「犯人は村人を攫って殺し、天井からぶら下げたんじゃないのか!?」


「最初は、僕もその可能性を考えました。しかし、今日出た検死の結果は、このように」


 佐藤千代子——老衰

 伊藤史昭、伊藤祥子、田畑勇——車の正面衝突による事故死

 田口剛——心臓発作


「死因はバラバラで、共通点がありません。それに問題の怪異が殺人に使うのは落下物。現段階では、全員の死に怪異が関わったとは考えにくいです」


 四辻は一度言葉を区切り、「それからもう一つ、これも機関の統計による話ですが」と前置きして、


「遺体が腐っていなかったのは、保管されていた場所が異界だったからでしょう。行方不明になった人間が、数年後に歳を取らずに見つかるケースはよくあるんです。統計的に、怪異が潜む空間、つまり異界に流れる時間が、こちら側と違う場合に起こりやすいようです。今回もそのケースだと思います」


「剛は……殺されたんじゃなかったのか……」

 中島は力が抜けたように、四辻を掴んだ手を放した。


「ご友人でしたか」

「ああ。俺も、もう若くないってことだな……」


 苦笑すると、中島は怪異の目的についての説明を求めた。直ぐに四辻は頷く。


「おそらく、怪異に共通する性質が関係しています。例外はありますが、怪異の主食はこの世の生き物の気です。気は、生き物の感情によって放出されます。


 怪異は強い感情に引き寄せられるようにして異界から現れ、生き物に取り憑いて気を食らいます。さらに怪異は、取り憑いた生き物が常にその気を発するように、環境を整えようとするんです。


 つまり怪異は、取り憑いた生き物の願望を叶えようとするんですよ。その為に事象を発生させるんです」


「……怪異には、この騒ぎを起こす動機があったってことか」


「その通りです。しかし、ある条件下では気が得られません。そうなると、怪異は無造作に生き物を襲い始めます――恐怖心を抱かせて、気を食べる為です。


 では以上の点を踏まえ、今回の事象を整理してみましょう。


 まず、怪異を招くのは、生き物の強い感情です。次に怪異は取り憑いた生き物の願望を叶える為、行動を開始します。これが、怪異が事象を起こす動機です。


 天井下り事象の怪異が最初に何をしたか、思い出してみてください」


「……遺体を盗んだ?」


「ええ。つまり怪異の目的は、天井下り事象の前に起こった神隠し——を盗む事——だったんですよ。そしてこれが、怪異に事象を起こさせた生き物の願いでもあります」


「遺体を盗みたがった奴がいるって事か? じゃあ、せっかく盗んだ遺体を降らせたのはなぜだ」


「おそらくこの怪異は、取り憑いた人間の願望を叶えてやったのに、気を得ることができなかったんです。さらに遺体が盗まれた時点では、神隠しを本当に信じる人間達はいなかったのでしょう」


「……たしかに、俺も含めて村の奴等が慌て始めたのは、天井から遺体が降った後だったな」


「誰も神隠しを怖がらないんじゃ、恐怖から放出される気は得られない。盗んだ直後なら恐怖する人はいたかもしれませんが、時間が経てば恐怖は薄れます。

 持ち帰った5人の遺体を隠し続けるのにも、労力がいります。そのため餌に困った怪異は、非常に分かり易い怪奇現象を起こしたんです」


「怪異は、村人を怖がらせる為に遺体を降らせたのか……」


「ですが、あくまで仮説です。違和感だらけなので、これから詰めて修正していきます」


「あ、ちょっと待ってください」


 四辻の言葉をメモしていた逢は、少し前のページをめくって見せた。


「おみとしさまは、村の中に怪異が入り込むのを許さないんですよね? 村人が異界から怪異を招いたとしても、おみとしさまがいる限り、怪異は村の中に入れないんじゃないですか?」


 その後に(なぜか四辻さんは入れちゃったけど)と口を滑らせそうになった逢は口を押えた。


「いい質問だね」

 四辻はノートを眺め、ニッコリ笑った。


「実は捜査を経て、その矛盾を解消できる仮説を思いついたんだ。生きていたら、きっと太田捜査官もこの答えに辿り着いていたはずだよ」

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