発生現場

 逢は髪をまとめてヘルメットの中にしまいこんだ。次に保護ゴーグルで目を覆い、手袋、マスクを装着すると、先頭に立って歩き始めた。その次に中島、田原の順で立ち入り禁止のテープを潜り、玄関の前で足を止める。


「どうした?」


 中島が怪訝な顔を逢に向けた。

 戸を開けようとした逢が、手を止めたからだ。


(今、何か動いたような?)


 逢は玄関の曇りガラスを凝視した。しかし、ガラスの向こうには暗闇が広がるばかりで、音も聞こえない。


「行きたくない……」

 ぼやく田原は、中の気配に気付いていない。彼を小突いた中島も気配は感じなかったようだ。


(気のせい、だといいんだけど……)


 玄関を開けると、日光によって暖められたむわっとした悪臭が家の中から漂って来た。

 逢も警察官達も思わず鼻と口を押えた。マスクが気休めにしかならない程の酷い匂いだった。


 玄関から中に入ると、正面は突き当り。廊下は左右に分かれている。左には明り取り窓があるはずなのだが、日が落ちた今は用を成さない。家の中は闇に呑まれていた。


「遺体がぶら下がっているのは、右の廊下の突き当りにある左側の部屋だ」


 中島に言われ、懐中電灯で廊下を照らした逢は、息を呑んだ。


「これは……」


 家の廊下は赤茶色に汚れている。以前ここに落ちた血だらけの遺体を、中島が運んだ時についたものらしい。さらに、どこからか入り込んだ小動物の死骸や糞までもが散乱している。


「土足で失礼します!」


 空き家の中は、玄関から遠ざかるほど暗い。一歩踏み出すたびに、ギシギシ、ミシミシと床が嫌な音を立てた。


 背中を伝う冷たい汗に気付かないフリをして、逢は二人に話しかけた。


「加藤捜査官を発見してくださったのは、田原さん達ですか?」


「はい。その時二人は、大野さんの家を調べていたみたいです。約束の時間を過ぎても二人が家から出てこなかったので、大野さんから連絡が来て、俺と中島さんで探しに行きました」


「そういや、家具が落ちたのは、あの時が初めてだったな……。箪笥の横に若いのが倒れてたんだ。その時もう一人の方は見つからなかったが、箪笥が血塗れだったのが気になった。発見した遺体の様子からしても、下敷きになったんだろうな……」


 『若いの』は加藤、『もう一人』は太田の事だろう。

 逢は立ち止まると、二人の証言をノートに書き記した。


「おい、今じゃなくてもいいだろ」

「すみません。でも、忘れてからじゃ書けないので……」


 苛立ちを隠さない中島に申し訳なく思いながらも、逢はペンを走らせた。


「家具が天井からぶら下がれば、二人は落下を警戒したはず。それなのに、どうして下敷きになったんだろう……」


「知らん」

 逢の独り言に中島は律儀にも返事をした。


「今のところ、落下で分かる事と言えば、村人が消えてから落ちてくるまでに、随分と時間に差がある事くらいかな」


「まあな。最初はひと月かかった」


 逢の呟きに答えるように、中島はひと月前の事件の詳細を話し始めた。


「ひと月前、村で5人の行方不明者が出た。最初に消えたのは、佐藤千代子って認知症の婆さんだった。村中探しても見つからなかったもんで、川に流されたって話になった。


 次に正面衝突した無人の軽トラと軽自動車が見つかって、その日の内に乗っていた3人が失踪したことが分かった。


 最後は田口剛……俺の幼馴染だ。あの日は飲みに行く約束をしたんだが、時間を過ぎても来ねぇもんで、電話をかけた。でも、あいつは出なかった。


 嫌な予感がして家に行ったら、真っ暗で、鍵もかかっていなかった。この辺じゃ鍵をかける家の方が珍しいが、あいつは財布を忘れても、戸締りだけはしっかりする奴でな。さすがにおかしいと思った。家中探して呼びかけても……見つけられなかった」


「正面衝突の事故が起きた時から、『変わったことはないか』って、俺と中島さんで手分けして村中の家を回ったんです。でも、結局5人を見つけることはできませんでした……」


「そんなことが続いたもんで、村じゃ神隠しだって噂が流れた。馬鹿馬鹿しいって思ってたんだよ。でも……そしたら三日前、天井から死んだ千代子さんが降ってきた。……田口もな」


 逢は中島の声が沈んでいて、底に怒りを滲ませているのに気付いた。彼が照魔機関を好ましく思っていないのは、誰の手も借りずに自分の手で事件を解決して、友人の仇を討ちたい気持ちがあるからだと思った。


 ノートを書き終わると、逢は足元に散らばる小動物の糞や死骸に注意しながら歩みを進めた。


 ふと、『注意すべきは下より上だよ』という四辻の言葉を思い出し、慌てて天井に視線を向ける。懐中電灯で照らせば、天井のシミさえ血の跡のように思えてきた。


 探しているのは遺体だ。でも、もしこの光の先に死者の顔を見つけてしまったら、悲鳴を上げずにいられるだろうか……。


「そこで廊下は終わりだ」中島の懐中電灯が経年劣化で変色した襖を照らした。「その襖を、開けてもらえるか?」


 襖は隙間なく閉ざされていた。


「中島さんはさっきここに来られた時、わざわざ襖を閉じてから帰ったんですか?」


「ああ。閉じた襖が開いていたり、中から音が聞こえたその時は……家の中にいるって、目印になると思ってな」


「『いる』って、何がです?」


 暗闇の中では中島の顔は見えなかった。ただ、ぼんやりと人影が見えるだけだ。


「『いる』んだよ、昔からこの村には」

「……」


 逢は意を決して襖に手をかけると、勢いよく開け放ち、中を照らした。


 何もいない。


 家具すらない、空っぽの四畳半部屋があるだけだ。


「中島さん。遺体は、どこに?」

「おかしいな。さっき、部屋の真ん中でぶら下がってるのを見たんだが……。中に入って探して良いか?」


「あ、あたしが行きます。怪異がいるかもしれませんから」


 逢はもう一度部屋の中を照らした。

 部屋の中心の床には、赤茶色の染みが付いている。おそらく、以前遺体が落ちた場所なのだろう。その真上を照らす。穴も染みもない。廊下の天井と同じで、木目があるだけだ。


 逢は慎重に、部屋の中へと一歩踏み出した。



 ——ドサッ。


 逢は後ろに引っ張られ、危うく尻餅をつくところだった。しかし、引っ張られていなければ、下敷きになっていたことだろう。


 懐中電灯を向けると、真っ先に落下物の正体に気付いた田原が悲鳴をあげ、尻餅をついた。


 逢めがけて降ってきたのは、探していた遺体だった。

 勢いよく落ちたため、首がおかしな方へ曲がって頭から血を流していた。


 中島は額に汗を浮かべ、逢を後ろに引っ張って受け止めた青年に視線を向けた。


 その青年は、鋭い琥珀の目で天井と遺体を観察した後、

 「危なかったねぇ」

 と、皮肉的な口調で逢に話しかけた。


「た、助かりました……四辻さん」

「間に合ってよかったよ」


 逢が申し訳なさそうに項垂れると、四辻は苦笑した。


 青年がもう一人の捜査官、四辻だと分かって安心したのか、中島は思い出したように遺体収納袋を広げ始めた。田原も中島を手伝い、二人で協力して遺体を外へ運び出してく。


 手慣れている、と逢は思った。既に何体もの遺体を回収したあとだから、慣れているのは当然かもしれないが、淡々と作業を行う様子にうすら寒さを覚えた。


「四辻さん、おみとしさまの影響は?」


「何ともないよ。対策が効いたのかもしれないけど、頭の中に入ってきたおみとしさまを説得できた」


「せ、説得できたんですか?」


「捜査で得た情報のおかげでね、おみとしさまの認識を狂わせるのに成功した。『お前の縄張りを荒らす悪いモノを貰ってやる』って死に物狂いで訴えたら何とかなったよ」


「よかった……。もう、びっくりさせないでください。さっきは心臓止まるかと思いましたよ!」


「僕もね。あんなに全力で走ったのは久しぶりだよ」


「……先走ってすみませんでした」


「そうだね。この村では、できるだけ一緒に行動しよう。村人に騙されて、襲われる危険もあるから」


 驚いた逢が四辻を見上げると、「可能性の話だよ」と、四辻は笑った。


「さて、捜査を始めよう。協力してくれるよね?」

「もちろんです!」


 四辻は頷くと部屋に足を踏み入れ、死体が落ちた場所から天井を見上げた。


「穴はないね。遺体は天井をすり抜けているのかな? 怪異の能力ははっきりしないけど、わざと君を狙って遺体を落としたのは確かだ。太田捜査官を箪笥で潰した時みたいにね……。今はどこかに隠れているけど、僕達が村にいる限り、また襲って来るはずだ」

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