2.「真実の愛」とは(ウォーラー家)
ウォーラー伯爵家の嫡男グレイグが遊学から帰った日は、一家総出で無事の帰還を喜んだ。婚約者のアイラ・ボールドウィンも一緒に、港まで出迎えに行った。
その時の仲睦まじい二人を、家族一同微笑ましく見たものだ。
半年後にはボールドウィン伯爵家のアイラとの結婚式だ。
アイラを迎えるために、忙しくも楽しく支度をしていた一家は、一か月後にグレイグの突然の宣言を受けて驚愕した。
「アイラとは婚約解消します」
ウォーラー家の誰もが、一瞬意味を飲み込めなかった。
夕食の席でのことだった。
家族全員が固まった。いやな沈黙が支配した。
沈黙を破ったのはグレイグの十四歳の妹、ダニエラだった。
「お兄様、そのご冗談は全く笑えませんわ」
「冗談ではない!!」
グレイグはダン!!とテーブルを拳で叩いた。
「私は本気だ。アイラとは結婚できない」
目が座っている。
「私は真実の愛をみつけたんだ!!」
家族全員が、「グレイグは乱心したか」とぞっとした。
いち早く正気に戻ったのは父親のトニオだった。
「お前とアイラ嬢の結婚は五か月後だ。こんな直前で掌返しとは、許されまいよ。一体何があったんだ」
「そうですよ」
母親のデボラが泣きそうになりながら言う。
「結婚式の準備は、こちらもあちらもすっかり調っているのですよ。それを一体どうするつもりですか」
グレイグは不気味なほど落ち着いていた。
その様子に、七歳の末っ子で次男のオースティンが怯えたようにダニエラのドレスを握る。
「ご心配はいりません。結婚式は予定通り、五か月後に執り行えばいいのです」
落ち着き払って言うグレイグ。
「この子は!!」
デボラは半ば金切り声だ。
「そんな冗談は笑えないと、ダニエラも言ったでしょう!何を考えてそんな悪趣味な冗談を言うのです!」
「ですから冗談ではありません」
再び沈黙が支配した。
「私は運命の相手、真実の愛の相手と結婚します」
不気味な沈黙は続く。
「こちらの用意はそのまま使えばいいのです」
堂々と言い切るグレイグ。
「そんな問題ではありません!!」
デボラはもはや金切り声を上げた。
「あちらはどうするのです!?アイラは?アイラはどうするのですか!?」
必死な母親デボラと対照的に、グレイグは落ち着き払っていた。
「もちろん、こちらから慰謝料は支払います。あちらの支度も買い取ってもいいのです。そうだ!」
グレイグの顔がぱっと明るくなる。
「買い取りましょう。彼女の支度は全く手つかずですから、ちょうどいい。アイラの支度品ならば一級品ですから」
話を勝手に決めていくグレイグに、トニオの激しい言葉が飛んだ。
「そういう問題ではない!!」
「そうです!今更アイラと婚約を解消したら、アイラはどうなるのです?婚約者に捨てられた令嬢はどうなるか、あなたもわかっているはずです!」
「私の意志は変わりません」
頑としてグレイグが言う。
「彼女と結婚できないならば、誰とも結婚しません!」
デボラはすでに呼吸が苦しくなり、気が遠くなりかけたがぐっと耐えた。
「それで…」
これだけは聞かねばならない。
「それでその"真実の愛"とやらのお相手はどこの令嬢なのです?」
絞りだすように問うた。
「令嬢?」
グレイグは鼻で笑った。
「どこの貴族令嬢よりも愛らしく、優しく、美しい人です。みんなも知っていますよ」
グレイグはうっとりとした顔で言った。
「だからどこの誰なのです!?」
デボラは取り乱すまいと必死だったが、激しい調子で問うてしまった。
グレイグは食堂の入り口辺りに目を向けた。そして徐に言った。
「あそこにいる、フィル・スノウです」
カシャーンと何かが床に落ちた音がした。フィルの手から、金属製のトレイが落下したのだ。
家族も、そこにいた使用人達も、全員がフィルに視線を向けた。
フィル・スノウはダニエラ付きの侍女だ。
フィルは真っ青な顔色で、目を大きく見開いて震えていた。
「ああ、怯えないで、フィル。全てのことから私が守ってあげるから」
グレイグがフィルに近寄ろうと立ち上がった。
「待ちなさい!」
トニオが制する。
立ち上がってフィルの方に体を向けて問うた。
「フィル・スノウ、君はグレイグの求婚を受け入れたのか?」
フィルはもがくように震えながら、首を振った。
「そんな恐れ多いことをわたくしがお受けするはずがございません。何もかも初耳でございます」
フィルは怯え切っていた。息が浅くなり、答える言葉も小さかった。
「さて、どういうことだ?グレイグ」
トニオはグレイグに問うた。
「まずは家族の了承が欲しかったのです。フィルは素晴らしい女性です」
グレイグはうっとりと言った。
「フィルが素晴らしい人で、優しくて美しいのはみんな知っているわ」
ダニエラが口を挟む。
「でも今のフィルの様子では、お兄様の一人合点ではないのかしら?フィルの様子は喜んでいるようには見えないわ」
「黙れ!ダニエラ!」
強い口調でグレイグが決めつける。
「お前は嫁ぐ時にフィルを連れていきたいから、そんな我儘を言うのだろう!!」
「我儘ですって?呆れた」
ダニエラは呆れかえった。
「静かに」
トニオが言った。
「フィル、君を責めるつもりは毛頭ないのだよ」
優しくフィルに言った。
「もしも私達がグレイグと君の結婚に了承を与えて、グレイグが君に求婚したら、君はそれを受け入れるつもりなのかね?」
震えていたフィルはしゃんと体を起こした。そしてはっきりと言った。
「どんなことがあっても、そのお申し出は承服致しかねます!」
家族全員が思った。
「グレイグの真実の愛とはなんなのだろう」
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