その結婚、承服致しかねます

チャイムン

1.「真実の愛」とは(アイラ)

「アイラ、君との婚約を解消したい。私は真実の愛をみつけたんだ」


 青天の霹靂だった。


 アイラ・ボールドウィンは十七歳、結婚を五か月後に控えたその日、婚約者のグレイグ・ウォーラーから婚約解消を求められた。


 グレイグが近隣の国々を遊学して帰国した一か月後だった。


 アイラとグレイグの婚約は家同士が決めたものとは言え、この十年間問題なく婚約者としてすごしていた。

 今になって婚約解消とはあまりにもひどいではないかとも思うし、「真実の愛」とはなんだろうとも思う。

 二人の貴族の結婚は、基本的に家同士の結びつきが重要視される。この婚約は伯爵家同士の「似つかわしい結びつき」であったはずだ。


「真実の愛とは?」

「心から求める魂の片割れだ」


 アイラは少し考え込んでしまった。

 この人、こんなにぼやけた方だったかしら?

 二年前に遊学への旅立ちの日、涙ながらにお別れした時はとても凛々しく好もしく感じたのに。

 あの時、グレイグ様は言ったではないか。


「心配しないで、アイラ。二年後には君の元に戻ってくる。その半年後には、晴れて君は私のものだし、私は君のものだ。手紙を書くよ」


 手紙は贈り物と共に誠実に繁く届き、旅先での出来事やアイラへの愛の言葉が連ねられていた。


 それに一か月前の帰国の際、港で出迎えた時には、グレイグはアイラを抱き上げるように抱きしめて

「やっと君の元へ帰ってきたよ。半年後の結婚式まで待ちきれないよ、愛しいアイラ」

 とキスしたというのに。


 この一か月で何があったのかしら?


 アイラが訝しんでいる間も、グレイグは「真実の愛」とやらを、滔滔と説明していたらしい。

 端々が耳に残った。


「身分違い」とか、「苦難を共に乗り越える」とか、「真実の愛の前に恐れる物はない」とか。


 アイラはこの一か月にあったことを思い返していた。

 グレイグが帰国してから三日後に、王宮の夜会へ出席した。

 その折に国王陛下や王妃殿下や王太子殿下から、親しく帰還の祝いのお言葉をいただいた。

 王家にはお年頃の姫君はいらっしゃらないから、それではないだろう。

 それにその夜は、グレイグは相変わらずアイラに優しく接した。ダンスの後のバルコニーでキスを交わしたし、「愛しているよ、アイラ」と囁いたのだ。


 翌日は花束と愛の言葉を綴ったカードが届いた。


 一週間後にはベルラン大公家の夜会があった。

 グレイグにエスコートされて行ったが、ベルラン大公家にも年頃の娘はいない。すでに二人の公女様達は嫁がれている。

 大公夫人のエルトリア様は現在四十八歳だが、大層艶やかで美しく妖艶な方だが、まさか大公夫人となにかあったわけではあるまい。


 その夜はグレイグ様は少し沈み込んでいるように思えた。

 話も上の空で、反応が薄かった。


 ダンス中も、あの熱い眼差しでアイラを見ることはなかったのには気づいていた。


 家まで送ってくれた時、キスは唇をそれて頬をかすっただけだった。


 何かあったとすればその前の一週間の出来事だ。


「グレイグ様」

 まだ一人語りを続けるグレイグをアイラは遮った。

「わたくし達の結婚は五か月後です」

「その結婚はなしだ。婚約を解消して欲しいと言っているだろう」

 グレイグは少しイライラとした口調で答えた。

 アイラは引かなかった。


「式の直前で婚約を解消される女がどうなるか、おわかりなのでしょうか?」

 グレイグはぐっと黙ったがすぐに言った。

「君ほど魅力的な女性ならば、次がすぐに決まるさ」

「そんな簡単なことではございません」

 アイラはなおも言った。


「今あなたと婚約が解消になれば、今まで用意してきたお支度はどうなりますか?」

「それは次の人と…」

「なんてものわかりがお悪いのでしょう。わたくしの立場はどうなるのです?」

 グレイグは黙ってしまった。

 その口元は引き結ばれて、頑として引かない意思が感じられた。


「わたくしは十七歳です。今から結婚相手を探すなど、遅すぎます。結婚式直前で捨てられた、傷物の女になります。そんな女の行く末がどうなるかは、ご存じのはずでしょう?」

 グレイグは黙ったままだ。

「傷物の女になれば、結婚はできなくなる可能性が大きくなります。一生結婚とは無縁で、実家で肩身の狭いオールドメイドの居候として養ってもらうか、修道女になるか、または年の離れた方の後妻にもらわれるか…」

 自分で言っていて、感情が昂って思わずアイラの目から涙がこぼれた。


 一体なぜ?

 たった一か月前までは、なにもかもが順調に進んでいると思えたのに。


「それでも私は真実の愛をみつけてしまったんだ。もう彼女しか考えられない。彼女しか愛せないんだ」


 愛ですって?

 今までさんざん、紙の上でも言葉でも、アイラに愛を語ってきたではないか。


「健気で美しくて慈愛に満ちた、天使のような彼女しか考えられない」


 アイラの心が白々と冷えていった。


「それで…」

 アイラは静かに尋ねた。

「それで、その真実の愛を捧げた方はどなたですの?」

 グレイグはきっと顔を上げて言った。

「決して害さないと誓ってくれるか?」


 なんてこと。

 グレイグ様はわたくしを、そんな低俗な女だと思っていらっしゃるのね。


「誓います」

 アイラは侮辱された悔しさを堪えて答えた。


「フィルだ。フィル・スノウ」

「フィル・スノウ?」

 知らない名前だ。


「やはり君の目には止まりもしなかったんだね」

 責めるように言うグレイグ。


「フィルは妹のダニエラの侍女だ」

「なんですって?」

 真実の愛の相手が侍女?それは許されないことだわ。伯爵家の嫡男が庶民と、それも侍女と結婚なんて。


「ではグレイグ様は、ウォーラー伯爵を継ぐことを放棄なさるの?」

「私はフィルと結婚して、全ての障害を乗り越える!」


 グレイグの目は座っていた。


 呆然とするアイラを尻目に、グレイグ様は去って行った。


 アイラの疑問は言葉にならずに燻った。

「グレイグ様の真実の愛とはなんですか?」

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