4-2

 カイはディスプレイに映し出されたキャロルの姿を見て、しばらく沈黙していた。

 彼の心の中で複雑な感情が渦巻いていた。窮地を救ってくれた恩人が、まさかキャロルだったとは。

 彼女は唐突に何度も現れ、そのたびに『ご主人様』と呼んできた。

 その距離感があまりにも近すぎて、カイは彼女の存在を避けるようにしていたのだ。理解出来ない相手には、恐怖心を覚えるものだ。

 キャロルは画面の向こうで、以前と変わらず活発で明るい笑顔を浮かべていた。

 その笑顔が今の状況にまったくそぐわないことに、カイはわずかな苛立ちを感じたが、目の前の事実を受け入れるほかはなかった。


「……キャロル、助けてくれたことには感謝する。だが、なんで俺の居場所が分かったんだ?」


 何にしたってタイミングが良過ぎる。

 それに、なぜ自分の居場所をキャロルが分かったのか。救援信号を見て駆け付けたにせよ、同じ星系に偶々居たなど考えにくい。

 カイが問いかけると、キャロルは悪戯っぽく笑って答えた。


『ふふ、ご主人様、私を誰だと思ってるの? 私はフローラお姉様と同じ特殊部隊SPEC OPS出身よ。あの頃の技術があれば、ご主人様の位置なんて簡単に分かっちゃうんだから』


 カイは眉をひそめ、疑念を深めた。

 確かに連邦特殊作戦軍で培われた技術であれば、民間船の位置の特定はそう難しくはない。

 予め何かしらのビーコンをハードないし、ソフト面で仕込むだけで隣の帝国へ行っても追跡は可能だろう。

 しかし、キャロルと出会ってからというもの、一度たりとも彼女を白鯨号に乗せた事はない。

 一体、いつビーコンを仕込んだのか……。そんな疑念がカイの頭の中で渦巻いていた。


『ご主人様ったら、ほんと色々なところへ行くよね。とんでもなく端っこの宙域に居たり、ブラックホールの近くに行ったり。追いかけるの大変だったんだから!』


 キャロルの声にはいつものように、何の疑念もなく、ただまっすぐな愛情が込められていた。

 その響きはあまりにも無邪気で、かえってカイを不安にさせた。彼女は一体なぜ、これほどまでに自分に執着しているのか。

 そして、何より彼女の口ぶりから、カイの行動が全て筒抜けであることが分かり、背筋に冷たいものが走った。


 だが、今はその不安に囚われている場合ではなかった。

 白鯨号は深刻なダメージを負っており、現状では動かすことすらできないのだ。

 今回はキャロルという乱入者のお陰で海賊を撃退する事が出来た。

 しかし、逆に言えばキャロルが来なければ、星系警備隊が駆け付けるまで何とか持たせるしか手段は無かったということでもある。

 目的地の大型宇宙ステーションまでは、あと僅かではある。が、すぐに次の海賊がやって来るとも限らない。

 カイはそうした今の状況を冷静に分析し、僅かに悩んだ末、決断を下した。


「まあ、色々納得は行かないが分かった。救援のついでと言っちゃなんだけども、大型宇宙ステーションまで護衛を頼めないか?」


 カイにとって苦渋の決断だった。

 しかし、その操縦技術は文句なしの一級品であることは、すでに証明されている。実力としては何ら申し分は無い。

 諸々の事情を差し引けば、彼女は実に優秀な護衛役といえた。

 さらに、理由は分からないがキャロルは自分に好意を寄せてくれている。ならば、護衛費だって割安で済むじゃない。

 そんな打算も大いに含まれていた。

 

『もちろんよ、ご主人様!』


 キャロルは楽しそうに笑いながら答えた。

 その明るさにカイは少しばかり戸惑いを感じたが、今は彼女の力を借りるしかないと腹をくくった。


「まずは、そのILCを格納する。ちなみに、艦名は何になる?」

『この子はナイトフォール! ドッキング申請したよー』


 カイはディスプレイに映る彼女の艦、インペリアル・ライト・カヴァリー――ナイトフォールをじっと見つめた。

 この艦は、大セレスティアル帝国を本拠とするグダワン社製の小型戦闘艦で、機動性と火力を両立させた軽量戦闘艦だ。

 3つの中型ハードポイントを備え、帝国軍では正式に採用されているほどの信頼性を持つ。そのため、この連邦領域でも時折目にすることがある。

 キャロルのナイトフォールは、その本来の性能をさらに引き出すために、レールガンとレーザー砲を搭載し、非常に高い火力のセッティングが施されている。小型艦にもかかわらず、その破壊力は侮れない。

 

 カイはキャロルからのドッキング申請を確認し、軽く息をつくと、オベリスクの第2ハンガーのハッチを開放する。ディスプレイ上でハッチがゆっくりと動き始め、内部の格納庫が露わになった。


「ナイトフォールの収容を許可する。」

『ありがとう、ご主人様! すぐに行くからねー!』


 通信越しにキャロルの明るい声が返ってくる。

 カイは複雑な気持ちを抱きながら、ディスプレイに映し出された彼女の艦がオベリスクの第2ハンガーへと滑らかに接近する様子を見守っていた。

 ナイトフォールは小型戦闘艦ながらも、その鋭いフォルムと洗練されたデザインが目を引く。補強された装甲に映り込む光が、まるで研ぎ澄まされた刃のように煌めいていた。


 数分後、ナイトフォールは第2ハンガー内に無事収容され、ハッチが再び閉じられた。

 カイは操作パネルを確認し、安全システムが正常に作動していることを確認すると、軽く頷いた。


「フローラ、キャロルを迎えに行ってくれ」

「承知しました、カイ様」


 フローラは小さく頷き、ブリッジを後にした。

 カイはその場に残り、ディスプレイ越しにナイトフォールを再び見つめた。

 この艦が今後の旅にどのような影響を与えるかは未知数だが、キャロルの存在がまた一波乱を引き起こすことを感じずにはいられなかった。


 数分後、再びブリッジの扉が開く。

 入って来たのはフローラだけだったことに、カイは訝しんだ。

 

「あれ、キャロルはどうした?」

「彼女は……準備があるそうです。カイ様に最高の状態で会いたいと言って、服装や髪型まで整えている最中だとか」


 カイは眉をひそめた。

 今この状況で、わざわざそんなことをする必要があるのか。

 そんな疑問が彼の顔には浮き出ていた。

 それを見てフローラは苦笑しつつ肩をすくめた。

 

「彼女は任務中でも、常に完璧でありたいという気持ちが強かったですから。カイ様に会うとなれば、それはさらに強くなるでしょうね」

「任務中にそんな余裕があったの?」


 カイは半ば呆れつつつぶやいた。


「そうですわね、戦闘中でも、鏡で自分の姿を確認するほどですわ。自己満足かと思いきや、実際に結果を出していたので誰も文句を言えませんでしたけど」


 カイは深いため息をつき、再びディスプレイに視線を戻した。

 

「やっぱり変わってるよなあ」

「ええ、ですがその徹底ぶりが彼女の強みでもありますわ。カイ様に対する執着の理由は不明ですが、その性格がある限り、しばらくは手放さないでしょうね」


 カイとフローラがそんな雑談をしていると、ブリッジの扉が再び開く。

 軽やかな足音が響き、キャロルが勢いよく駆け込んできた。桃色の髪がふわりと揺れ、その整った顔立ちは一瞬カイを圧倒させた。

 パイロットスーツ越しでも分かる見事なプロポーションは、あらゆる状況を忘れさせるかのようだった。キャロルの胸はフローラよりは少し控えめだが、それでも十分に存在感があり、その姿は挑発的ですらあった。


「ご主人様! やっと会えた! 本当にもう、ずっと会いたかったんだから!」


 カイはその異常なまでの勢いに一瞬たじろいだが、冷静さを保とうと必死に構えた。

 キャロルは彼の腕にしがみつこうとしたが、カイはさりげなく身をかわした。それでも彼女は笑顔を崩さない。


「あ、ああ。まずは、改めて礼を言わせてもら。ありがとう、本当に助かった」


 カイは改めてキャロルに向き直すと、先ほどのキャロルの行為に感謝を示した。

 その言葉を聞いたキャロルの瞳は、異様なまでに輝いていた。その視線はカイを捉えて放さない。

 そして、次の瞬間、彼女はカイにぐっと近づき、その顔を両手で掴んだ。


「ご主人様……そんな事言われたら私、もう我慢できないよ」


 言うや否や、キャロルはカイの顔を両手でしっかりと掴むと、ためらうことなく彼の唇に自分の唇を押し付けた。

 カイは驚きで全身が硬直したが、すぐに反応し、彼女を引き剥がそうとした。

 だが、キャロルの力は想像以上に強く、カイは一歩も引かせることができない。


「んッ!?……んううぅー!」


 カイは必死に抵抗するが、キャロルの腕は彼の体を鉄のようにがっちりと抱きしめていた。

 彼女の舌が強引にカイの口内に侵入し、激しく絡みつく。

 唇が深く重なり合い、息苦しささえ感じるほどの強引さだった。キャロルの体はカイに密着し、その執着がまるで全身から伝わってくるかのように圧倒的だった。

 その様子を見ていたフローラが、静かに溜息をつく。

 彼女は冷静に二人に歩み寄ると、軽い調子で言った。


「もういい加減にしておきなさい、キャロル。死んじゃいますわよ」


 そう言うと、フローラはキャロルの肩に手をかけ、一瞬で二人を引き剥がした。

 フローラの力は見かけによらず強力で、キャロルもフローラの指示に従うように手を放すしかなかった。

 キャロルは一瞬だけ不満そうに唇を尖らせたが、すぐに明るい笑顔を取り戻した。


「んぁ……あ、ごめんなさい。やっと、こうしてお話出来たから……すごく嬉しくて」


 フローラは再び溜息をつき、カイにちらりと目をやる。

 カイは必死に息を整えながら、ようやくキャロルから解放された。彼女の力がこれほどまでに強いとは予想していなかったこともあり、軽いショックを受けつつ、ため息をついた。


「し、死ぬかと思った。フローラ、GoodJobグッジョブ

 

 カイは口を拭いながら、引き剥がしてくれたフローラに軽く感謝した。

 その様子にキャロルは一瞬不満そうな表情を浮かべたが、すぐに再び明るい笑顔を見せた。

 

「ご主人様、私、やっとこうして話せて本当に嬉しいの。だって、いつもすぐ逃げちゃうんだもの」


 キャロルは、カイに向けた明るい笑顔を崩さない。

 その目には、まだ熱い思いが宿っているように見えた。


 カイはキャロルの視線を避けるように、少し身を引いて椅子に腰掛けた。

 先ほどの出来事が頭に残っており、彼女との距離をどう取ればいいか考えあぐねていた。

 彼女の言動があまりに予測不能で、カイには対応しきれなかった。


「あー、話せたのはよかったが、もう少し落ち着いてくれ。俺が死ぬところだった」


 カイは苦笑いを浮かべながら言ったが、心の中にはまだ彼女への疑念が残っていた。

 なぜ彼女はこれほどまでに自分に執着するのか。これまでの出会いは確かに奇妙だったが、それ以上に何かを隠しているような気がしてならない。

 キャロルは軽く首をかしげながら、カイに一歩近づいた。

 彼女の表情は変わらないが、彼女の背後にある思惑が読み取れない。


「ご主人様、私、ずっとこうしてあなたのそばにいたいの。どんなことがあっても、ね」


 その言葉にカイは戸惑い、答えに窮した。

 彼女の瞳には確かな決意が見える。だが、その決意の理由が全くわからない。


「キャロル……お前は一体、何を考えているんだ?」


 カイは静かに問いかけたが、キャロルはその答えをはぐらかすかのように笑って、言葉を紡いだ。


「ご主人様……そう、本当に忘れちゃってるんだ。なら、思い出してくれるまで待つね!」


 キャロルはその場から離れ、フローラに軽く挨拶をしながらブリッジを後にした。

 フローラはキャロルの後ろ姿を見送り、ふとカイに視線を戻した。


「カイ様、キャロルは普通の兵士とは違いますわ。彼女は、稼働2年で冷凍処置されて私の部隊から脱落した経緯があります。

処置に至った理由は残念ながら、公開されておりませんが、貴重な隊員を凍結するには相応の理由が存在しますわ。これからも何かあるかもしれませんが、どうかお気をつけて」


 カイはフローラの言葉に頷きながら、考え込んだ。

 キャロルの言動にはまだ多くの謎が残っている。だが、今はその謎を深追いすることはできない。

 大型宇宙ステーションへの到着が目前に迫っており、彼にはまず現実の問題に向き合う必要があった。

 


 

 ◇◇◇


 

 

 その後、驚くほど平穏な時間が過ぎていった。

 キャロルの行動にカイは警戒を解けずにいたが、彼女は特に問題を起こすこともなく、大人しく待機していた。時折、艦内で顔を合わせることはあったが、軽く挨拶するだけでキャロルはそれ以上何かをすることは無かった。

 そうして、ついにカイたちは目的地である大型宇宙ステーションのあるタウロン星系に到達した。

 目の前には星輪ステラリング型ステーション『アストリア』の壮大な姿が広がっていた。まるで宇宙に浮かぶ都市のようなそのステーションは、幾層にも重なる円形の構造物が無数の艦船を受け入れていた。ドッキングベイがびっしりと並び、白と青の光が外壁を照らしている。


 カイはディスプレイ越しにその巨大なステーションを見つめ、安堵と共に息を吐いた。

 長い旅路の果てに、ようやく安全な場所にたどり着いたが、白鯨号は深刻な損傷を負っており、修理が急務だった。


「さあて、修理にはどれくらいかかることやら……」


 カイは手慣れた手付きでステーションへ入港申請を出していた。

 前回の酷使で痛んだ白鯨号の修理費用がどれだけかかるか、考えるだけで頭が痛くなりそうだった。

 そんなカイを見て、フローラは冷静な表情で答えた。

 カイはあえて考えないようにしているのか、それとも完全に忘れているのか。それを確かめる様に。


「だいぶ痛んでおりますし、最悪の事も覚悟する必要がありますわよ」


 彼女の言葉には現実的な厳しさが滲んでいた。

 白鯨号がどれほど耐えてきたかは、他ならないカイ自身が良く知っている。

 フローラのその言葉を受け、カイは静かに考えを巡らせていた。

 その時、キャロルがブリッジに姿を見せた。明るい笑顔を浮かべ、軽やかな足取りで近づいてくる。


「え、ご主人様の船、そんなにダメージが酷いの?」


 キャロルは何気なくカイに尋ねる。


「ああ、実はかなり悪い。まあ、運用からだいぶ経過しているから、もう限界なのかもなあ」


 そう、ダメージが酷い。

 カイが手に入れた当初から、色々と手を入れる必要があったし、今までも幾度となく修理を重ねてきている。

 そして、前回エクリプス・オパールの採掘でだいぶ無理をさせた為に、白鯨号の船としての寿命は限界に近づいていた。

 やはり、ここで白鯨号は乗り換える時が来たのかもしれない。

 カイはブリッジのディスプレイに目を戻し、今はステーションへの無事な入港が最優先だと気持ちを切り替えた。その時、ステーション側から通信が入った。


『こちらアストリア管理局。オベリスクの入港許可を確認しました。母艦用ドッキング・ベイへの案内を開始しますが、利用料は20万クレジットとなります』


 カイはその高額な費用に絶句した。

 聞き間違いかと思ったが、ディスプレイには請求額がはっきりと表示されており、間違いではなかった。


「に、20万クレジット!? おいおい、高すぎるだろ」


 白鯨号のような小型船であれば、数千クレジットで済んでいた。

 しかし、全長300メートルを超す小型母艦に該当するオベリスクは、ただ停泊するだけでも高価な利用料を請求される。

 何せ汎用型のドッキング・ベイには収まらず、かといってそれ以上の大きさの艦艇はそう多くは無い。

 必然的に母艦クラスが停泊できる専用のドッキング・ベイは使用料を高額にしなければ、採算が取れないということになる。

 まさか、自分が母艦を保有することになるとは夢にも思っていなかったカイは、ここへ来て初めて知ったのだった。

 フローラはそんなカイに気軽な口調で助言を与えた。


「必要な出費だと思ってくださいませ」

「お、お金ないなら私が出そうか? こう見えても、パリルティーランクだからお金は持ってるよ」


 カイはしばらく考え込んだ。

 高額な使用料に腹は立ったが、今の状況では他に選択肢はない。

 彼は深く息を吐き、決断を下す。


「はあー……分かった。専用ベイを使わせてもらう」

『承りました。お客様のご利用は、L1001番ポートになります。案内に従い、進んでください』


 ステーションの巨大なドッキング・ベイが開かれ、オベリスクがゆっくりとアストリアに吸い込まれていく。

 白と青の光がオベリスクを包み込み、まるで異質な場所に足を踏み入れるような感覚が広がる。

 カイは外に広がる広大な発着場を見つめながら、内心にわずかな不安を抱いていた。この場所が何か予期せぬ事態を引き寄せるような気がしてならなかった。

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