あの夜の過ちから
誤魔化
第1話 殿下の恋
大陸一大きな帝国の王城、その最上階に位置する王族専用の執務室で、均等に、美しく、そして大量に積み上げられた書類の山の中から、美貌の皇子が顔をあげる。
「なあアルノル、頼みがあるんだが」
普段ならその書類の量を1日で捌かねばならないことに辟易として、何ともつまらなそうな表情をしている所だが、今日に限っては何故か、そんなこと気にもならないとでも言うように、新しい玩具を手に入れた童のごとき表情を浮かべている。
そんなライナス殿下に話しかけられた側近のアルノルは、相手が高貴な身の上であるにも関わらず、面倒臭そうな気配を感じたことを隠しもせずに、胡乱げな視線を向けて短く返した。
「…何です?」
冷たい側近の態度には目もくれず、皇子は熱の籠った眼差しで宙を見た。
「探して欲しい人がいるんだ」
「…は、?」
アルノルは首を傾げる。目の前の人物が特定の人物に興味を示すことなど今までに一度も無かった。だと言うのにこの男の浮かれよう。その探し人はどれだけ素晴らしい能力を持った人間なのだろうか。
「有名な学者ですか、…いや、道化師?…あ、魔法使いでもお探しですか」
この世界には魔法など存在しないが、激務のストレスゆえに少々意地悪く質問する。
「…先日の仮面舞踏会で出会った男なのだがな」
口元を手で覆いながら話す皇子の続いた言葉に、アルノルは再び沈黙した。
「……」
「背は、大体お前と同じ位だったかな、部屋自体が暗くてよく見えなかったのだが、髪色は明るめで、年も俺とそれほど変わらないくらいだ。恐らく」
酷く曖昧な表現で、本人も自信無さげに説明するが、どうせ仮面を付けていて分からないことだらけなのだろう。
「分かる特徴はそれだけですか」
「ああ、…あと、きっと顔も美しいと思う」
「憶測なら必要ありません」
終始浮かれた顔で落ち着きのない様子の皇子に、アルノルはぴしゃりと返す。
「理由を伺っても?」
「…いや、まあ、なんだ、その…惚れた…んだ」
「……は?」
反射で辺りを見回し、この部屋の中に自分たち以外に人がいないことを確認した後、死んだ目で、酷く低い声を出し、頭が痛いな、と眉間をグリグリと揉む。
「何処の家の者ですか」
「だから、それをこれから見つける」
「あー、……や、え?………男って言いました?」
「言ったな」
本人は相当浮かれているのか、イカれているのか、困惑するこちらの頭痛を更に倍増させるような、脳天気な表情を浮かべている。
「正気ですか」
「…本気だ」
「推奨致し兼ねます」
「それでも、本気なんだ」
しかしこうも真摯な面で懇願されては、アルノルとて断れない。まあ元々身分的にも断れないのだが。
「…皇后陛下が卒倒する未来が目に浮かびます」
「…俺もそれは想像した」
想像した上でなのか。帝国の皇子が男を選ぶ道の険しさは想像を遥かに絶する。例え愛人に収めておくにしても王族としては厳しい戦いになるだろう。しかしそれもこの男は考慮した上で言っているらしい。
アルノルは大きく深くため息を吐いた。臣下としてはあるまじき行為だが、仕方のないことだと自分を慰める。
「かしこまりました。すぐに探させるよう通達します」
「…いや、それは駄目だ。これはお前への頼みだと言っただろう。…そもそもその仮面舞踏会自体、あまり大声で言えるような物でも無くてな…。いや、合法ではあるんだが。まあ、つまり、秘密裏に頼む」
「そんな無茶な」
人探しなど、専門外でしかないというのに。再び眉間を抑え、ため息を吐き出す。
「アルノル…、お前は俺の臣下である前に友人だろう。親友の恋路を応援すると思って、ここは1つ、協力してくれないか」
「私は皇帝陛下の臣下です」
「厳しいな」
「それに、友人として言うなら尚更だライナス、俺は心底お前を止めたい」
一瞬だけ、昔のように口調を崩す。
「…だが惚れてしまったんだ、頼むよ」
「……はぁ、……善処はしますが、くれぐれも期待はしないようにお願いします。出来るなら待ってる間にちゃんと時間をかけて考えておいてください」
「感謝する!」
明らかに、今まで見てきた十数年間とは違う、幸せそうな表情を浮かべる。
しかし、友人で、仕える主でもあるライナスの初恋に微笑ましく思えればいいのだが、それが出来ないほどアルノルの胸中はとある懸念で占めていた。
まさか、とは思いつつも、思い切って尋ねる。
「念の為、確認なんですが…、その男と寝ましたか?」
「…?、…ああ」
返ってきたのは、照れを含んだ明らかな肯定。
アルノルは決壊しつつある表情をなんとか取り繕って、書類を端に束ね、扉に歩いて行き、終始顔を伏せながら退出の礼をする。
「……頭痛が酷いので、今日はお先に失礼します」
「そ、そうか…急にすまなかったな。よく休めよ」
「…はい」
最後はライナスの顔も見ず、静かに扉を閉めた。
◇ ◇
アルノルはとにかく足を動かした。
廊下ですれ違う者には優雅に挨拶を返しつつも、足早に歩いていく様子は不思議に思われているだろうが、そんなものは気にもならないほどに、盛大に焦っている。
恐らく、記憶にある中で一番と言っても過言ではないほどに焦っている。とにかく、焦っている。
今この瞬間だけは、自分が鋼鉄だと揶揄されるほどに表情が乏しい性質で助かったと思う。
(…言えないだろ!流石に!)
ほぼ走っている状態に近かったからか、すぐに自身が割り当てられている仮眠室に辿り着いた。勢いよく扉を開けて、すぐに入って鍵を閉め、その場でうずくまる。
「マジかぁぁぁぁぁぁぁぁ…」
流石に言えなかった。
敬愛すべき殿下と仮面舞踏会の夜に寝た相手が、自分であったなどとは。
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