第46話

【封印のダンジョン B10F】



 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚を不規則に封印されながら、ジッパ、クリム、コーラル、ラーナたちはダンジョンを放浪するモンスターたちとの戦闘を最小限に抑えながら、奥へと進み、ようやく【封印のダンジョン】最深部に到達することとなった。


 その間でついに食料も底をつき、ダンジョン潜行期間が延びるにつれ、パーティー全体の身体と精神の限界も少しずつ近づいて来ていた。


「ここで……最後なの?」

「うん。もうひと踏ん張りだよ。頑張ろう」


 ダンジョンで“魔粒子”に長時間触れ続けることは、それ自体が紛れもない毒であり、1フロアに長く滞在することで、死神が発生するという噂もそこから来ていると云われる。


 ダンジョン経験豊富なジッパから見ても、今の状況は絶望的だった。ダンジョンの難易度10でありながら、心身共に疲れ切った“地図無し”が三人と、小さな『竜族』が一匹。


 これでダンジョンの主とこれから戦火を交えなければならないのだから、酒場で大きな笑い話もいいところだ。


 ジッパ一人であれば、この苦難を乗り越えることは不可能では無い。しかし、彼は今誰よりも、このパーティーでのダンジョン到達を切に願っていた。


「あれは……」

「…………真っ赤なドラゴン」


 ラーナが指差す開けた空間の中心には、全長十メルラほどの真っ赤な鱗を纏った竜が寝息を立てながら、塒を巻いていた。


「驚いた……『竜族』のモンスターだなんて」

「ほう……我と同種ではないか。しかし……デカいな、えらく」とクリムが驚いた表情で翼をばたつかせ、コーラルも同様の表情を見せる。


「…………わたし……最後までっ、最後まで諦めずに来られたんだっ……」


 少し前まで疲れた表情を浮かべていたコーラルだったが、目の前に立ちふさがる最後の達成感を前に、瞳を滾らせているようだった。以前の恐怖が消えたわけではないだろうが、彼女の瞳にはそれに屈しない輝きが伴っているようにジッパには見えたのだ。


 ジッパは先頭に立つと、他のメンバーを制した。「みんな、準備はいい?」こくりと頷くメンバーを確認し、ジッパは勇敢な足取りで大きな寝息を立てる赤竜を見据えた。


 ――しかし、違う方面から、二つの団体が青年と同じく歩を進める。片方はジッパたちを追ってここまで辿り着いた、カイネル率いる『心許ない爪元』。


 もう一方は――サンドライト王国に忠誠を尽くすサンドライト王直属騎士団の二隊である。何がどうしてこのような状況になったのか、ジッパはその理由を未だ知らない。


「これは……一体」「ようやく追いついたぞ、ジッパ」「むむッ……ア、アレはッ!!」


 眠る赤竜を中央に聳え、三者は思いがけない邂逅を果たし、そして次の瞬間――王直属第一騎士団隊長である、『騎士(ナイト)』デイドラの大きな顎が、ばくりと開き、


「――パール姫様ァァッ!! ご無事で何よりです!! ここは大変危険でございますゆえ、どうぞこのデイドラの元へ! いえ、この自分めがそちらに向かわせて頂きますッ!!」


 全身を使った身振りで、デイドラは少し離れた位置からでも視認できる麗しの姫、コーラル・ルミネスもとい、パール・ルステン・サンドライトに懸命な叫び声を上げた。


「えっ、ちょっと、あなた……デイドラ!? ……どうしてここに?」

「拉致された姫様を追いかけ、千里を超えついにやってまいりました、ナーハッハッハ!! ……というのも我々は『心許ない爪元』という犯罪組織を追っておりまして――」

「――ばっ」


 きっと、その場にいる誰もが思ったことだろう。デイドラの逞しい顎から軽快に綴られる大声の数々が、この場において全く適していないということを。


 心地よく寝息を立てていたはずの赤竜は、むくりと大きな躰を起こして、翡翠色の瞳でデイドラを一瞥する。彼の喧しい叫び声に連動するように、咆哮を轟かせる――びりびりと肌が人外的な刺激を感じながら、フロア内に途轍もない波動が響き渡ったのである。


 ダンジョンの主との戦闘が始まると、厚い“魔粒子”のカーテンがフロア全体を覆ってしまい、抜け出すことは不可能となる。脱出するためには、ダンジョンの主を倒し、“魔粒子”に還元させるか、潜入者たちが死ぬかの、二択しか選択肢は無いわけである。


「……やや? 姫様……お召し物が汚れておられるではありませぬか!! 大変だぞ、ヴァレンティーナよ、直ぐに姫様を保護し、周囲の癖者をあぶり出すのだッ!!」

「……貴方は今とんでもないことをしたのですが……ああ……まったく。今は耳が聞こえないのでしたね、はあ……本当に使えない………………もう死ねばいいわ、オッサン」


 クリーム色のロングヘアを靡かせて、美しい真紅の唇から漏れた言葉はとんでもない毒舌であった。デイドラの耳が封印されているからか、普段言えないことを言ったらしい。


「なんだ? ヴァレンティーナよ、貴様今、なんと言ったのだ。掌にかけと言ったろう」


 掌を差し出すデイドラに、ヴァレンティーナは二文字の口語を指先でなぞった。

「…………」と、掌を見ながら、沈黙するデイドラを放ってヴァレンティーナが前に出る。


 赤竜は、咆哮後――大きな翼を広げ空中を旋回している状態だった。ヴァレンティーナは、赤竜の居なくなった開けたフロア内を改めて確認することにした。“魔粒子”から創世される、薄紫や瑠璃色の《魔粒水晶(マステリ・クリスタル)》が地面から生えている以外に、これといった不安要素は無い。


「サンドライトの血となり肉となれッ! 死んでも誇りを忘れるな! 必ずやパール姫様をお守りしろッ!! 王直属第一騎士団突撃ッー!!」


 騒がしいデイドラの叫びを聞きながら、『薔薇騎士』ヴァレンティーナはいつものように美麗な髪を靡かせながら溜息をついて、自軍の指揮を執った。


 鎧に身を包んだ精悍な男たちは、対象を発見すると勇猛果敢な雄叫びを上げながら、薄汚れた外套を纏った『心許ない爪元』の殲滅を心に誓い濶剣を掲げる。


 その忠誠心に抗うように、非公認の密売集団は弓矢や投擲武器を駆使し距離を置きながらも、膨大な数の敵を牽制する。


「……随分と面倒なことになってきたな」


 思惑通りに事が進まないカイネルは表情を少し曇らせた。その細い目元には確かな焦りが感じられる。


 集団戦闘において個々の強さはとても重要な要素だが、ダンジョン戦闘において数に勝る強さは皆無といえる。大勢の敵に囲まれるというのはそれだけで大いなるリスクであり、多数対一の場合に持ち込まれたとき――いかにして個々との戦闘に持ち込むかが勝敗を分けることもある。


 『心許ない爪元』は、二倍以上も戦闘員の多い騎士団を目前に苦戦を虐げられているのであった。

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