第29話

 満月が天に昇っている。真夜中と言うには少し早いが、静寂な闇が辺りに蔓延していて、『狼人』の咆哮がどこからともなく聞こえてくるのだ。

【アウターヘル】に限りなく近いこの付近では、普段人里に姿を見せない『狼人』も真夜中が近くなると雄叫びをあげる。


「……な、なんだか――」


 コーラルは落ち着かない様子で頻りに辺りを見渡している。月光の光だけが、自分たちの足下を照らすただ一つの存在であった。


「……こ、怖い……かも」


 コーラルは先ほどまでの元気を何処かに置いてきてしまったように、ぶるぶると震えながらスカートの裾を握っているばかりで、なかなか歩みを進めようとしない。


「コーラル……? もしかして……夜が怖いの?」

「……ん、いや……そのっ……ちょっとだけだよ、ちょっとだけ。ふふ」


 無理な作り笑いでコーラルはその場を必死にジッパに着いていこうと露出された股を、細い指先で抓った。


「くっくっく、小娘め、夜が怖いなどと子供のようなことを抜かしおって! ハッ!」


 勝ち誇った表情で、ジッパの帽子の上でクリムが嘲笑う。


「こらクリム、あんまり人の苦手なものをからかうもんじゃないよ。君にだって……苦手なものの一つや二つあるだろう?」

(本当に怒っているときのお主が一番苦手なんだがな……我は)


 クリムを叱り、ジッパは身体を抱きかかえて怯えるコーラルを見つめ、頭を捻る。


「そっかぁーどうしたら怖くなくなるかな……よし、みんなで一緒に考えてみようか」

「えっ……?」


 コーラルはジッパの行動を意外に思ったのか、きょとんとした表情で月明かりに照らされる青年を見据える。


「ん?……なに? 僕の顔になにかついてた?」

「ううん、そうじゃないんだけど……ジッパってさ――……やっぱ、何でもないっ」

「ええ、なにさ! 気になるじゃん、教えてよ」


 何かをおあずけにされた子猫のような表情になった青年は、少し笑みを浮かべながら、対面の少女が微笑んだのことに少し安堵した。


「いいのいいの、気にしないでよっ――あっ、わかった! 手を繋げばいいのかも!」


 コーラルは口を大きく開いて、にんまりと頬を上げる。


「へ? 手だって?」

「うん、わたしが小さい頃の話だけどね。怖いことがあったときは誰かがいつも手を繋いでくれてたの。そうしているね、自然と怖くなくなるものなんだよ、きっと」


 何かに納得したらしく、コーラルはうんうん首を縦に振りながらジッパに近寄る。


「……な、なんで近づいてくるのさ」

「え……、だってこうしてないと、手を繋げないよ?」

「少しだけまって……ええと、一応確認だけど、君の手を僕が繋ぐの?」

「ほかに誰が居るの? まさかクリムちゃん?」

「戯け者が、我がするわけなかろう」


 穢れを知らない無垢な少女はたじろぐジッパに迫りながら、白い手を差し出す。


「……ねぇ、繋いでよ、ジッパ」


 その声音は、青年にはやたらと艶めかしいものに聞こえた。


「……えっと……あのっ、お、落ち着こう、君はもう少し物事ゆっくり考えた方がいいよ、僕たちはほら……一応若い男女なんだし、しっかりとした熟察とそれに紐付く何かしらの影響を加味したほうがいいと思うんだ。今思えばあのとき宿屋で一緒に寝泊まりしたのだっておかしくて……ああ、でも君はお金が無いっていうし仕方が無かったというか――」

「……ふん? 何かしらの影響……? ジッパはたまに難しいことを言うね」

「んー、難しいというか、当然のことというか……君はどうも性差というものがわかっていないようだね……」

「わかってるんだけど! ちょっと馬鹿にしないで欲しいな、わたしだってそこまでお馬鹿さんじゃありませんよーだっ……そんなことはいいから早く手を繋ごうよ」

「だからそうやって僕の手を求めてくることがすでにおかしいんだってば、そもそもコーラル既に怖くなくなってるんじゃ――」

「だいじょぶだいじょぶ!」


 コーラルは聞き慣れた無責任な言葉を振りまきながら、手持ち無沙汰になっている青年の手を好物を前にした動物のように取ろうとするが――ジッパの手はそれを引っ込めた。


「いやコーラル、まってよ、こればかりはそういう問題では済まないんだって」

「もぅ! 優しい人かと思ったのに、ジッパはたまにイジワルだ。いいじゃん減るもんじゃないんだし、貸してよ手! 安心したいの!」

「ちょっとまっ……そんなに手を握りたいなら自分のでも握っていれば良いじゃないか、それに僕は君のためを思ってこんな回りくどいことを……!」


 お互いの手首をつかみもみ合いになっていると――コーラルは木の根に足を取られ、ジッパを押し倒す形で草葉を舞わせる。


「くっくっく……滑稽な人間どもめ……我の崇高さについにひれ伏したか」

 見当違いなことをクリムがぼやくのも束の間――その瞬間を偶然に目撃した人物が言う。

「……これをドラマチックと呼ぶには主役を演じるつもりのオレにとっては些か役不足だと思うんだが……どう思う?」


 特徴的な橙黄色のショートヘアと柔和な薄目で夜の森で戯れ合っている若い男女を見下ろしている男の名前は確か――カイネル。

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