第6話 身代わりの人質花嫁(5)
不穏な空気が流れはしたが、婚姻の儀式は滞りなく終了した。エドワードとフェリシアはそのまま王宮に戻るらしく、彼らを見送った後、エヴェリもシュタインズ公爵邸へ向かうためにハーディングから乗ってきた馬車に戻ろうとしたのだが。
どれだけ目を凝らしても、シュタインズ公爵家の馬車と、困惑した様子のシュタインズ公爵家の御者がいるだけだ。エヴェリを乗せてきた馬車はどこにも見当たらなかった。なんなら御者もいない。
近寄ってきたエヴェリとセルゲイに対し、ぺこりとお辞儀した御者は口を開く。
「ハーディング国の馬車は先に出発しました。シェイラ姫に『セルゲイ様と馬車に乗るから帰っていいわ』と言われたと」
(あらら、余程この国にいたくなかったのですね)
そんなこと一言も言ってないが、驚きはしない。ハーディング国の者はヴォルガ国の地を踏むことさえ、穢れると根拠もなしに忌み嫌うくらいなのだ。今回同行したのは本物のシェイラではないことを知っている者たちだ。身代わりの花嫁を捨ておいて一刻も早くこの国から出ていきたいと願ってもおかしくない。
「旦那さま」
「なんだ」
「御者の言った通りですので、わたくしも馬車に乗せていただきたく」
「かまわないが、ひとつ聞いてもいいか」
「はい」
「貴女の付き人はどこに行ったのだ? 儀式にも参列しなかったが、体調でも崩して休んでいるのか?」
「いません。連れてきておりませんから」
セルゲイは唖然としている。姫が嫁ぐのだ。単身で嫁いでくるなんて思わないだろう。信じられないものでも見たかのような表情だった。
「そんな馬鹿な。…………乳母や貴女の周りの世話をしていた侍女がいるはずだろうに」
ぽろりと困惑の声が漏れている。エヴェリは聞かなかったことにした。
(私にはそんな人いなかったもの)
きゅっと唇を引き結ぶ。母が死んでからずっとひとりぼっちだった。シェイラ達の家族団欒を遠くから眺め、何度羨ましいと思ったことか。
ハーディングでは人に近づけば避けられるか、暴言を吐かれるか、物を投げつけられるか……で世話をしてくれるような人の存在は夢のまた夢だ。
エヴェリがほとんど抵抗することなく身代わりを承諾したので役目から逃げ出すことを心配をしていないのか、はたまた婚姻さえ結ばれてしまえばどうでもいいのか。普通なら役目を全うしているか監視を送り込むはずが、誰一人としてそばに残さなかった。
きっとそこまでエヴェリに興味が無いのだろう。ロゼリアやシェイラ達はエヴェリがすぐ死ぬか虐げられて悲惨な日々を送ると信じきっているのだから。
(けれど、こんなこと伝えられない。シェイラなら言いそうな説明をしなくては)
セルゲイ達が迎え入れたのは、たとえ他国ではわがままで傲慢な姫として通っていても、自国では愛され王女の「シェイラ」だ。断じて誰もそばにいない孤独なエヴェリとは異なる。
エヴェリはちぐはぐな演技を始める。ごめんなさいと心の中で謝りながら、心にもないことを口に乗せた。
「乳母は体調が優れず、長年世話をしてくれた侍女はこんな国に行きたくないと泣いていたの。可哀想で連れて来れませんでした」
「こんな国だと?」
途端、セルゲイは眉を顰める。
「ええ、ご存知でしょう? ヴォルガは野蛮な国と称されていることに」
出来る限りシェイラの口調に似せる。慣れない口調に声が上ずってしまうが、誤魔化しには成功したようだ。彼はエヴェリの挑発に乗せられ、目の色を変えた。
「こちらが本性か」
曖昧に微笑む。演技だとしてもこれ以上、貶める発言をしたくない。沈黙は肯定と同義だからセルゲイもそう受け取ってくれた。
「やはり噂に違わぬ女性のようだな」
急速に瞳から温かみが消えていく。そうして馬車に乗り込んでしまうセルゲイの後ろ姿に、チクリと胸が痛んだ。
◇◇◇
エヴェリの一言で馬車の中の雰囲気は最悪だった。セルゲイは窓枠に頬杖をついて外をひたすら眺め、エヴェリも気まずさを誤魔化すため、反対側の窓から見えるヴォルガ国の街並みに目を向けていた。
カラカラと車輪が回る音だけが響き、馬車は次第に森へ向かっていく。豪奢な門を通り過ぎると左右は木々が生い茂り、長い一本道だけが舗装されていた。
「着く前に伝えておこう」
ようやくエヴェリの方へ顔を向けたセルゲイは、未だ難しい顔をしていた。
「妻として迎えたからには心の内がどうであれ、必要最低限の扱いはしよう。ドレスや宝飾類も常識の範囲内であれば購入を認める」
「はい」
「寝室は別だ。貴女の部屋は事前に用意してある。気に入らなかったら勝手に内装を変えていい。許可は不要だ。それと屋敷内は自由にしていいが、書斎に立ち入ることは禁ずる」
「かしこまりました」
「最後に、私の生活に干渉してこないでいただきたい。私も貴女の生活に干渉しない。話は以上だ」
タイミングよく馬車が止まった。先に降りたセルゲイに続いてエヴェリも馬車のタラップに足をかけ、トンっと地面を踏んだ。
見上げると視界に収まらないくらい豪勢な邸宅がエヴェリを迎えてくれた。
(とても大きいお屋敷ね)
思わず感嘆の声が漏れてしまう。ハーディングの王宮からほとんど出たことがないエヴェリにとって、初めて見る規模の屋敷だった。
「あの、大きなお屋敷で────」
隣にいるはずの彼に感想を述べようとすると、セルゲイはエヴェリに手を差し出した状態で固まっていた。その手が一体何のためにあるのか無知なエヴェリは理解出来ず、こてんと首を傾げた。
「旦那さま?」
「なんでもない」
ハッとしたセルゲイはすぐに手を引っ込めた。
「では、中に入ろう」
スタスタと歩き出すセルゲイを追うため、エヴェリもウェディングドレスの裾を持ち上げた。ワタワタとするエヴェリを横目に、セルゲイは先程差し出した右手を閉じたり開いたりしてぽつりと呟いた。
「…………野蛮な国の夫の手など借りたくもないということか」
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