第5話 身代わりの人質花嫁(4)

「この誓いは、一生涯にわたる愛と忠誠の約束。喜びの時も悲しみの時も、互いを支え合い、尊重し、愛し続けることを誓いますか?」

「誓います」

「………………」


 ぼんやりとしていたエヴェリは、セルゲイに脇腹を小突かれ我に返る。


「ち、誓います」


(いけない。儀式の途中なのに)


 しっかりしなくてはと気を引き締め直す。


 あの後、神殿の廊下に置いていかれたエヴェリが聖堂内に入ると、立会人──と言っても三人しかいないのだが、その人達が見守る中婚姻の儀式が始まった。


 つつがなく儀式は進行し、今は最後の誓いの言葉の部分だった。


「ここにシェイラ・リルテッド・ハーディングとセルゲイ・フォン・シュタインズの婚姻が成立したことを宣言します」


 司教が高らかに宣言すると何もない空中から花びらが降り注いだ。これは婚姻の成立を表し、神からの祝儀らしい。


(こんな許されざる婚姻なのに…………神は本当に祝福してくださるのかしら)


 視界を横切っていく花びらを眺めながら疑問を抱く。人生において最高の瞬間と謳われる儀式とは程遠い──この世界で一番祝福されない婚姻が結ばれた瞬間だった。



◇◇◇



「ここに血を」

「はい」


 先に婚姻証書に血を垂らしたセルゲイがエヴェリに短剣を手渡した。すると全員の視線が一斉に集まり、何故か空気が張りつめる。


 異様な緊張感に手元が狂いそうになるが、エヴェリは指先に刃先を沈めてぷくりと浮かんだ血を証書に押し付けた。

 途端、金色に光る文様が証書に浮かび上がり、しっかりと刻印された。


「──本物だったのか」


 静寂の中で棘を孕んだ声音。振り返ると苛立ちを露わにする立会人が長椅子から立ち上がっていた。


 エヴェリはウェディングドレスの裾を摘み、左足を後ろに引いて体重を右足に移した。軽く膝を曲げ、摘んだドレスを軽く持ち上げる。そしてゆっくりと頭を下げた。


「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。エドワード陛下、フェリシア王太后様」


 付け焼き刃のカーテシーだが、エヴェリの中では上手くできた方だった。口角を上げ、なるべく上品に見えるよう微笑む。


「お会いできて光栄です」


 ──エドワード・フォン・ヴォルガ。セルゲイの兄であり、この国の国王陛下だ。セルゲイと同じ漆黒の髪。けぶる睫毛は長く、エヴェリよりは淡い蒼の瞳は明確な敵意をその瞳に宿らせていた。


 隣にいる女性──フェリシア・ディア・ヴォルガはエドワードとセルゲイを産んだヴォルガ国の王太后だ。菫色の長い髪をきっちりとお団子状に結い、広げた扇で口元を隠しているがその黄金瞳は冷徹な印象を受けた。


(フェリシア王太后様はともかく、エドワード陛下は本来、私が嫁ぐお相手だった方)


 エヴェリの予想とは裏腹にヴォルガ国は表向き「友好の証」とされたこの婚姻を、拒絶せずに承諾した。

 とはいえ、ハーディング国側が提示した案を全て承諾したわけでなく、数点変更を要求してきた。そのひとつが嫁ぎ先の変更だ。


 当初、ハーディングはヴォルガの王妃にエヴェリを据えようとしていた。エドワードにはまだ妻が存在しない。だからその座にねじ込むことが可能だろうと思ったのだろう。

 しかし、ヴォルガ国は国王ではなく王弟──王位継承権を放棄して臣下に下ったセルゲイでなければ受け入れないとの返答を寄越した。


 一悶着あったようだが最終的にハーディングが折れ、エヴェリはセルゲイに嫁ぐことが決まったのだった。


 ハーディングとしては戦争が回避されればそれでよく、盟約は王族の血を引くセルゲイでも効力があるからだ。


 表情を保ちつつ、エドワードの言葉を待っていると、彼は前髪をかき上げながらため息をついた。


「偽物であったならばこの場で証書を破り、ハーディング国に送り返す計画が台無しだ。馬車もきちんと用意しておいたのに」

「兄上」

「よく、のうのうと嫁いで来れたものだな? 本音を言えば、私はこの婚姻を今すぐにでも破棄したい」


 司教が退出し、王族のみとなったからか、エドワードは建前を取り繕うこともなく、苛立ちをぶつけてくる。


「影武者か何かを寄越してくると考えていたが、王族の血に反応する刻印が証書に正常に刻まれたところを見ると、どうやら貴女は本物の姫のようだ。外見や声も以前お会いした時と変わらないようだし」


 エドワードの探るような視線にエヴェリは内心ドキドキしていた。じわりと手汗が滲み、ウェディングドレスの裾をきゅっと握る。


(半分……王家の血が流れていることと、固有魔法が功を奏したみたいですね)


 エヴェリの存在は自国でも公にされていない。エヴェリはシェイラより年上であるが、第一王女の肩書きはシェイラが保有しているため、他国がエヴェリの存在を知るには王宮に間諜を放つ他ない。

 それに加えて赤の他人に成り代わる変身魔法を、王族が発現するのは本来なら一切ないと断言出来る。


 二つが合わされば、言動に強い違和感を持ったとしても別人だと見破るのは不可能に近い。


 そう確信を持っていても、疑うような視線がエヴェリを不安にさせる。胸中を悟られないよう、フェリシアの方へ目を向けるとフェリシアはフェリシアで視線が合うと目を逸らされてしまった。


(…………嫌われていますね)


 分かっていたことだ。嫌われていない方がおかしい。覚悟していたとはいえ、やはり気持ちは沈む。


「セルゲイ、本当にお前はこれでよかったのか」


 エドワードから話を振られたセルゲイは虚をつかれ、言葉に詰まったがそれは一瞬だけだった。


「はい。陛下も了承されたではありませんか。我が国も、疲弊した民たちの生活を立て直している最中で、軍事にこれ以上の予算を割くことは得策ではないと。大国との戦争回避が保障されるのは我が国にとっても利益があります」

「分かっている。だが了承と納得は異なるのだ。特に弟を思う兄の気持ちとしては尚更だ。どの面下げてこの婚姻を打診してきたのか理解し難い」


 エドワードは吐き捨てる。荒ぶった感情をぶつけられ、エヴェリはどのように返答すればいいのか分からずまごついてしまい、重ねて彼の怒りを買う。


「その何も知らないような顔、虫唾が走る。貴女の国が我が国と──我が弟に行った仕打ちを忘れたとは言わせない。絶対に償っていただく」

「──兄上! その件はもう気にしていません。話題にしないでください」


 セルゲイは声を張り上げエドワードの話を遮った。

 

(国ではなく、個人に対しての仕打ちって……私、そんなの聞いてないわ)


 初めて聞く話に目を見開く。

 ハーディングがセルゲイ個人に対して何かしているならば、それはきっと非道なことに違いない。


(ならよりいっそう、私の事なんて憎くて仕方がないはず)


 なのにセルゲイはエヴェリのことを庇ってくれた。エドワードと共にこちらを責める権利だってある筈なのに。むしろ、そうなることが普通だろうに。


(私が思っていたよりも、怖い人……ではないのでしょうか)


 エドワードを宥める彼の横顔を眺めながら、ふとそんなことを思った。

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