第27話 家出
そこからは、玄は企業秘密だと献立開発を月花に見せてはくれなかった。
月花の舌で材料が分かってしまうとはいえ、食べる前までどんな料理が出るのか、想像して楽しんでほしかったのだ。月花は厨房から追い出され、いよいよ舞踏の練習に励まざるを得なくなった。雨流としてはほっとしたようで、月花との時間が増えたことをうれしく思う反面、舞踏の下手さにはどうしたものかと頭を悩ませていた。
「はぁ、今日もうまく踊れません」
何度も雨流の靴を踏んで、すねを蹴って、どうやら月花には舞踏の才能がないらしい。雨流には最初からわかっていたが、ずっと励まし続けてきた。しかし、月花も馬鹿ではない。自分に舞踏の才能がないことくらい、月花が一番よくわかっている。
しかし雨流は、根気強く舞踏の練習に付き合っている。それがいたたまれない。
「すみません。不出来な皇后で」
「いや、そんなことはない。ソナタはわたしの自慢の皇后だ。偽りでも、な」
「じまん……具体的に陛下は、私のなにが気に入って妃に迎えたのですか」
いまだ王宮の半分のものはこの婚姻に反対している。悪口を言われているのだって知っている。毎日一回はすれ違いざまに足を引っかけられる。一介の皇后とはいえ、後宮での女のいさかいは、身分なんて関係ない。きっと、月花が立后の儀を済ませても、このいびりは続くのだろう。後宮とは、そういうところだ。早く出ていきたい。そもそも雨流の食中毒事件を調べる時間すらないのが悪い。
「ソナタを悪く言うもののことは気にするな。わたしはわたしの意志でソナタを探し、ソナタを妃とした」
「だから、その理由を」
「……理由などない」
「陛下、は。買いかぶりすぎなんですよ」
「買いかぶってなど」
ここにきて、不満が抑えきれなくなった。それはそうだ、月花はこの王宮に着の身着のままで嫁いできた。友達と言ったら、料理場の料理人たちくらいで、しかし料理人たちも月花が皇帝の妃だと知るや、どこか踏み込んでこないところがある。鈴は同い年だが下女は下女に変わりなく、一線を引かれている。華女官だって、お母さんみたいだけれど、最後の一線は超えてこない。月花は一人ぼっちだった。この広い王宮に、月花の見方なんて一人もいない。
「月花?」
「陛下は、本当は誰でもよかったのでは?」
「それはどういう……」
「だから、好きでもないのに私を妃にして、陛下の食中毒の件を調べられる人間なら、だれでもよかったのでしょう?」
途中で、月花はハッとして言葉を止めた。悲し気な雨流の瞳に、月花はいたたまれなくなって走り出す。舞踏で靴擦れしていて足が痛い。けれど今は、心のほうが痛い。
雨流の本心が、わからない。なぜ自分に優しくするのだろうか。お飾りの皇后の、月花を――
王宮を飛び出して、月花は当てもなく走った。当てなんてないはずだったのに、いつの間にか自分の小料理屋の跡地にたどり着いていた。足が覚えている。自分の大事な居場所。町はずれの五里先にある、小料理屋。つく頃には真夜中になっていて、なのにそこには明かりがあった。
「あれ」
わいわいと小料理屋がにぎやかだった。月花の足が走る。誰が自分の小料理屋を盗ったのだろうか。いや、でも、味が変わったのならあんな風ににぎわうだろうか。だったら誰が、あの店を代わってくれたのだろうか。月花は恐る恐る小料理屋に足を踏み入れる。
「いらっしゃーー、あ! 月花!」
「え。師匠?」
そこにいたのは、月花が五年間旅路を共にしてきた人物、月花の占いの師匠でもある、仁だった。仁は月花を見るや、ぴょんと体を跳ねさせて、喜びを体いっぱいで表現する。月花はあふれる涙を抑えきれず、仁に抱き着き頬を寄せた。懐かしい香りが、した。
「月花、心配したんだぞ」
「師匠、師匠……!」
見知った顔に、気持ちが緩んだ。涙があふれる。ぼた、ぼたり。仁はなにも聞くまいと思っていたのだが、どうにも聞いてほしいらしく、月花が口をもごもごさせる。昔から変わっていない。言いたいことがあれば言えばいい。月花と仁は、親子も同然なのだから。
「月花? どうした?」
「師匠こそ。なんでここに」
「いやな。そろそろわしも、全世界を回り終えたんで、オマエと一緒に料理屋をするのも悪くないと思ってな。わしは占いをしながら、月花の小料理屋を手伝おうと思ってきてみたら、これだ」
つまり、月花がいなくなったこの店を守ってくれていたらしい。仁は本来占い師であるが、月花とともに旅したことで、料理の腕もおのずと磨かれた。月花が教え込んだのだ。いわく、「私がいなくなっても、ひとりで食べていけるようにするため」だそうだ。そのかいあって、仁は月花と入れ替わりで、この店を切り盛りしていた。
「師匠、私。もうここには戻れそうにないんです」
「なぜだ」
「なぜ……話すと長くなるんですが」
月花の真剣な面持ちに、しかし仁は、
「今は閉店間際で忙しいから、店を手伝え。話はそれからだ」
「……はい!」
久しぶりの小料理屋は、やはり楽しく充実している。月花はやはり、自分の居場所はここなんだと、改めて実感した。
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