第25話 過保護
「しかし、このカツオブシとやら、作るのに根気がいりそうですね」
料理長の玄の言い分はもっともだった。
鰹節は、まずカツオを背と腹に分けて、一尾から四節に切り分ける。
その後、茹でて蒸して、骨抜きをする。焙乾(燻製して熱を加える)して傷ついた部分を修正して、もう一度並べて間歇焙乾(かんけつばいかん)する。ここまでで荒節と呼ばれるものが完成する。
さらに荒節を半日ほど天日干ししてから表面を削る。カビをつけやすくするためだ。削ったものを裸節という。
そこから二、三日干したらカビ付けして、室(むろ)で貯蔵する。そのあとは天日干しとカビ付けを何度か繰り返したら本節の出来上がりだ。
ここまでで大体百五十から百八十日かかる。
「なるほど。これは画期的ですね」
「でしょう? カツオブシは作るのに手間がかかりますが、出汁を取るのにそう時間を要さない。それに、一度だしを取ったコンブとカツオブシは、二番だしと言ってもう一度だしをとることができます」
「なんと。二回も出汁を」
雨流が感心したように声を漏らした。料理人たちも、一度出汁を取ったコンブとカツオブシに見入っている。
二番出汁は主に、煮物などに使われる出汁だ。
出汁を取ったコンブとカツオブシを鍋に入れて、沸騰したら追いガツオして、少し煮出せば二番だしの完成だ。
これには雨流も舌を巻く。なるほど、羽国の料理は奥深い。そして、世界各国の料理に造詣のある月花を、この王宮に閉じ込めておくには無理がある。蝶のように自由に、この娘には広い世界がよく似合う。
「なるほど、みそ汁のうまみはこれがあるからなのか」
「さすが陛下。話が早いです。だしは、羽国では『うまみ』と呼ばれる、味の一種なんです」
「『うまみ』」
月花の言葉はなにひとつ知らなかった。月花は十二の時からいろいろな世界を旅してまわっていたのだと聞く。この少女は、自分の知らない世界をたくさん教えてくれる。
「ソナタは料理をしているときが一番生き生きしているな」
「はい! 私は料理人なので!」
「その前に、わたしの皇后であることも忘れずにいてほしいがな」
「あ、そうですね。すみません」
いまだ月花は、自分が皇后としてここにいていいのかわからない。そもそも、周りの人間で月花をよく思わないものがいるのも事実だった。
「なんであんな平民が皇后になったのかしら」
「しっ、聞こえるわ。きっと悪辣な手段を使ったのよ」
聞こえてますよ、と思いながら、月花は窮屈な王宮を歩いていく。
この王宮には毎日様々な客人が訪れる。その中でも貴族たちは月花に白い眼を向けているのが現状だった。
特に、きらびやかな衣に身を包んだ少女たちは、月花を蹴落とさんと必死である。大方、月花のような人間が皇后になれたのだから、自分も側室になれるのでは、と期待しているのだろう。より一層気を引くために飾り立てて、髪の簪の重さだけで首が折れてしまうのではと月花も心配するほどだった。そして、ほかの妃たちがそのように飾り立てれば、皇后である月花の体裁を整えるためにも、月花の飾りもより華美になる。やめてほしかった。
「陛下、この度はご結婚おめでとうございますぅ」
貴族の少女が、後宮内の父親(宰相)に会いに来るや、わざとらしく雨流に挨拶を手向けた。しかし、雨流の返事はつれない。執務室には月花も傍に座っており、しかし宰相の娘は月花には挨拶もくれてやらなかった。だから雨流も、少女を冷たくあしらうのだった。
「ああ」
「ところで、お世継ぎはまだなのですか?」
「まだ立后の儀は終わってないが?」
「あはは。冗談ですってば。ご寵愛を受けていらっしゃるので、お世継ぎもすぐにご誕生するでしょうね」
ぴき、と雨流のこめかみに青筋が立った。雨流のことならまだしも、月花に挨拶もなければ、そのような嫌味を言いに来たというのだろうか。雨流が玉璽をことりと置いた。
「ソナタ、わたしとわたしの皇后を侮辱するのか」
「え。いえ、あれ」
月花を皇后にしたのだから、少しは柔らかくなったのかと思ったのだろうが、雨流はそう一筋縄ではいかない。そもそも、雨流が月花を溺愛しているとはこの国の誰もが知っているところで、それなのに、月花はよくて自分は受け入れられないなどと思いいたらなかったようだった。
こうやって女を武器に言い寄られると、反吐が出る。雨流の女嫌いは輪をかけてひどくなったようにも思う。月花は傍で見守りながら、なにも言えない。月花が口を出せばこじれるだけで、雨流が冷徹と噂されるゆえんを、月花はここ最近知ったのだった。かろうじて言葉を絞り出し、
「へ、陛下。お客さまにそのような言葉は」
「だがこのものは、ソナタを侮辱――」
「いいんです。私みたいなものが皇后になれば、反発も起きるでしょう」
「ソナタは――」
お人よしが過ぎる。
ぎゅうっと今すぐ抱きしめたいのをこらえて、雨流は政務を執る。月花を横に大事に座らせて、難しい話は月花にはちんぷんかんぷんだ。宰相の娘は悔しそうに執務室を後にする。雨流は目もくれなかった。
「陛下、私が同席する意味とは?」
「ソナタを国の内外に広めるためだ。あとは、ソナタを一人にするとすぐ料理場に入り浸るゆえ……ソナタは私のものゆえ、そばに置いている」
「ええ……」
過保護だな、と月花は思う。雨流は月花に対してなにか世話の焼ける子供とか、そんな見方をしているのかもしれない。片時も目を離さずに傍に置いておきたいらしい。お飾りの妃にそのようなことは不要だと思いつつも、周りをだます都合上、こうしているのだろうなとあきらめる。
王宮の中を見学して回るのだって、時間があれば雨流はついてくるし、お風呂に行く時だって、雨流は月花の護衛にと、風呂場の前で陣取っている。お風呂くらいひとりでゆっくりしたいのだが、いつ何時ソナタを暗殺しようとする輩が現れるとも知れないのだ、と熱弁されては、厚意を断るわけにもいかなかった。そもそも相手は皇帝である。皇帝自ら護衛をするのだから、月花には恐縮すぎて断る理由がなかった。
「ああ、陛下って変わった方ですね」
「そうか? 大事な人を守るのは男の役割だろう?」
そんなことを真顔で言えるところも、変わった人間なのだと思う。今日も月花は執務室で雨流の傍から離れられない。季節は真冬、外には雪が降っていた。
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