第8話 カリー姫

「聞いた? あの西域かぶれのカリー姫、皇后候補に入ったらしいわよ」

「聞いた聞いた。どうやって取り入ったのやら。ああ、胸だけは大きいもの、皇帝陛下も物好きよねえ」


 月花は居心地の悪さを感じていた。後宮内に住処を与えられて以来、世話人の下女ですらこのような噂話に花を咲かせる始末で、つまるところ、月花に居場所なんてどこにもなかった。後宮の娯楽と来たらこのような噂話くらいであったから、月花は絶好の的だった。廊下を歩けば嫌味を言われ、妃に挨拶をすれば無視された。それでも月花がめげないから、妃たちは躍起になって月花を無視した。しまいには、下女たちが月花に挨拶をすると妃たちが折檻するものだから、月花の味方はほぼゼロに等しかった。

 しかし、華女官と鈴だけは、月花を悪く言うことはしなかった。とても熱心な女官で、月花のことを慕っている節さえあった。無視する下女たちにいーと歯を出して、鈴がほかの妃たちから折檻を受けたのは一度や二度じゃない。月花は折檻でふくらはぎにムチを打たれた鈴の傷跡に薬を塗りながら、「私を庇うのはやめて」と何度も頼んだ。しかし、鈴も華女官も、にこりと笑むだけで、なにも言わなかった。


「え、あのカリーの小料理屋のご主人が、月花さまなんですか!?」


 鈴に至っては、あの料理屋のことを知っているらしく、「なんの話です?」と不思議そうに問う華女官に、鼻息荒く力説するのだった。鈴は十八の育ち盛りで、食べ物のことばかりを話題にする。だから月花は、鈴に自分の小料理のことを話したのだが、この娘の食欲は並大抵ではなかったようだ。


「都の外れにある小料理屋に、それはおいしいカリーを出す店があるんです。あ、カリーというのは西域の汁物の総称で、香辛料(スパイス)を使って煮込んだ汁物は、すべてカリーと呼ばれるそうです」

「詳しいんだね、鈴は」

「あ、申し訳ありません。月花さま」

「いいよ、かしこまらなくて。そうだね、私もカリーに出会ったときは衝撃だった。香辛料(スパイス)をあんな風に使うなんて。しかも、香辛料には体を温めたり、水を逃がしたりする作用があって、健康にもいいんだよ」


 月花が嬉々として話すのを、鈴も華女官も黙って聞いている。鈴も大概だが、月花も料理の話になると顔が明るくなるのだから、華女官もその話を聞くのが楽しかった。華女官の目尻にシワが寄る。仮初の平和な時間だった。


「カリーってすごく奥深い味だけど、作るのは簡単なの」


 丸いネギ(玉ねぎ)をみじん切りにしたら、弱火で茶色になるまで炒め、そこにすりおろした生姜とニンニクを加えて弱火でよく炒める。さらに香辛料――うこん、クミン、コリアンダー、オールスパイス、カルダモンなどを加えてよく炒めたら、赤い実(トマト)を加えてよくつぶして炒める。そこに牛酪と水を入れて、一口大に切った鶏肉も入れる。味付けは塩と砂糖のみだ。ぐつぐつと煮込む間に、鶏肉の油が出る。赤色の油が浮いてきたら、上手く出来た証拠だ。


「ええ、そんなに簡単なんですね! 私も今度作ってみようかな」

「その時は私が教えるよ」

「ええ、月花さま直々になんて、とんでもない!」


 月花の小料理屋は、やむなく一時休業の張り紙をしてきた。現状、この後宮で聞き込みをして、雨流の毒の件を調べなければならないからだ。早くその謎を解き明かして、後宮なんて場所から出ていきたかった。そうしてあの小料理に戻って、また平穏に料理を作る。それが月花にとっての幸せだ。唯一無二の、生きがいだ。

 今日は妃選びの第一の口頭試問がある日だった。都の貴族や、貴嬪たちの中から選び抜かれた女たちが、この後宮に一堂に会する。憎らしいほどに空は晴れ渡っている。今日みたいな寒い日には、辛めのカリーがよく売れただろうに。

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