第6話 とある毒
こうなったのも、あの男のせいだと月花は憤慨した。憤慨したところでどうなるわけでもないのだが。小股で歩くように指示されて、ててて、と速足で歩数が多くなる。こんな歩き方、月花には似合わない。もっと大股で厨房内をあちこち歩き回るのが月花にはあっている。シャリシャリと衣擦れの音と、揺れる簪が金属音を立てている。化粧や髪飾りなんて生まれてこの方縁がなかった。それらは料理には不要なもので、だから月花は、興味すらなかった。
月花は皇帝の住む皇宮に足を踏み入れ、皇帝の部屋の扉を女官が音もなく開け放った。月花は足音を立てないように部屋に入る。明るい照明が雨流を照らし、雨流のかんばせは笑みを作っていた。よく笑う。噂通りなら、冷帝のはずだ。
「来たか」
「……ご機嫌麗しゅうございます、皇帝陛下」
曲がりなりにも美人である以上、月花は拱手礼をして、周りの女官たちから顰蹙を買わないように精一杯ふるまった。皇帝――雨流の部屋にはたくさんの上書が積み重なっており、目の下にクマが見えた。ざまあみろ。いや、今のはなしだ。雨流はよく頑張っていると思う。実際、月花が小料理を開けたのは、外交に力を入れる雨流の力あってのことだろう。先々帝の時代には、国外の食べ物を渓国に持ち込むことは禁じられていた。
「ああ、そなたらは下がれ」
雨流が女官、内官たちに冷たく言い放った。みな震え、しかし内官が、
「し、しかし、皇帝陛下」
「なに、わたしはこの美人と二人きりで話がしたい。そう、ふたりきり、で」
内官も女官もぽっと顔を赤らめて、おとなしく部屋から出ていった。こうべを垂れて、雨流と目を合わせぬようにささっと部屋を出て行って、部屋の扉が閉まると、雨流は椅子から立ち上がって、月花の目の前へと歩み寄る。指一本でも触れたら拒んでやろうと月花は思った。しかし予想外に、雨流は月花の耳元に顔を寄せると、
「折り入って、頼みがあってソナタを呼んだ」
「頼み……?」
月花も小さく答える。耳に息が当たってこそばゆかった。月花は身じろぐことすら許されず、雨流の次の言葉を待った。内官や女官たちが雨流を恐れていたことからも、雨流は噂に違わぬ冷帝なのだろうか。雨流が声音を低く、
「わたしの十八の誕生日に、なにがあったか、ソナタは知っているか?」
そんなこと、一介の平民が知るはずがない。月花がフルフルと首を横に振ると、雨流はようやく月花から離れて、少しだけ声を大きくした。やっと耳と頬のむず痒さから解放されて、月花は意味もなく頬に手を当てた。まだ雨流の吐息で湿っている気がして、月花は思わず頬を拭った。
「わたしの誕生日の宴席で、毒が盛られて多くの宰相・諸侯らが倒れた。その毒を、わたしが盛ったのではないかと噂されている」
「それ、私である必要ありましたか?」
どうやら、月花にほれ込んで美人という位を与えたわけではないようだった。それだけは安心したが、反面腹立たしい。どうせ自分は、側室の器ではない、そう言われているような気がして、月花は腹が立ったのだ。
「ソナタの料理の腕はそうだが、その舌……その舌があれば、生誕祭の席で毒を盛った者が再びわたしに毒を盛ろうとしたときに、いち早く気づける。そう思い、ソナタを呼んだ」
「毒味ですか。そう簡単にしっぽは出しませんよ。それで、聞くだけ聞きますが、その時の毒の症状は?」
「吐き気、嘔吐、下痢。この日出したものはモルゴの乳酸飲料だ」
「乳酸飲料……だったら、それを入れていた容器は? 金属ですか?」
「そうだ、軽銀(アルミ)の彫刻の美しい器だった。しかし、それらに腐食などなかった」
月花の言いたいところを理解して、雨流がすぐさま否定した。曲がりなりにも雨流は皇帝である。ある程度は今回の毒の宛がついているらしく、月花に隠すことなく告げるのだった。腐食したアルミに酸性の飲み物を入れると金属が溶け出して食中毒になる。しかし、アルミの食中毒であれば――
「毒の症状は吐き気と腹痛、頭痛だった。アルミの食中毒ならば」
「はい。神経毒ですね。手足のしびれや目のかすみです。しかし、陛下のお話が本当ならば、その毒の症状は、アルミではないですね」
だとしたら、その日出されたほかの食べ物だろうか。吐き気や腹痛は、様々な食中毒で起こりうる。だったら、その日出された乳酸飲料以外が原因と考えるのが自然だろう。月花は雨流から目を逸らす。
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