皇帝の寵妃は謎解きよりも料理がしたい〜小料理屋を営んでいたら妃に命じられて溺愛されています〜

空岡

第1話 小料理屋

「なに、そう構えるな。形だけの皇后だ。ソナタが毒の謎を解いた暁には、廃妃にして、そっと逃がす」


 青天の霹靂に、李 月花(り げっか)は言葉を失った。青い空はすっかり乾き切り、こんな日には熱いお茶と干菓子がよくあうだろうと天を仰ぐ。そもそもこうなる予感はあるにはあった。しかし、よりにもよって皇后の位とは。事の始まりは七日前、あの男を助けたことから始まる。



 甘みを醸すのは丸いネギ(玉ねぎ)だろうか。生姜とニンニクの力強い香りもする。極め付きに十種類の香辛料(スパイス)が鼻を抜ける。それらを取りまとめるのが赤い実と牛酪の汁(スープ)。赤色に少しの黄色が混ざった美しい橙には、鶏肉の油が赤赤と浮かぶ。ニンニクの香りと香辛料の香りが鼻腔を擽り、部屋に充満するのにまったくしつこくは感じない。爽やかで、かつ食欲をそそるたまらないにおいに満たされて、周りの人間も頬が落ちんばかりに笑っていた。

 ここは渓国の外れにある小料理屋(レストラン)、都から五里(ニ十キロ)離れているのにいつも席は満席で、昼飯時は行列ができるくらいだった。この店を切り盛りするのは男主人、しかし西域の衣で顔を隠しているから、その主人の素顔を知るものはどこにもいない。西域というのはここ渓国から百里は西にあり、渓国でも信仰する仏教の始まりの地とも言われている。さらりとした暑さの西域では、暑さしのぎに香辛料やニンニク、生姜を効かせた料理が発達したのだとか。ここ渓国でもニンニクや香辛料は発達したが、それらは暑さをしのぐというよりは、寒さに耐えるための知恵だった。


 この店の売りは西域の汁物、カリー、そして付け合わせは客各々によって別のものが出される。この付け合わせがミソなのだ。ここの男主人は客が入ると注文より先にその人間の生年月日(生まれ日)を聞いてくる。一体なにに使うのか、気にするものももういなくなった。この国の元号は今は論。千五百年続いた渓国の王朝の七代目である。元皇帝は若くして国を継いだばかりで、まだ十八のうら若き皇帝なのだという。若さゆえかその性格は冷淡と噂され、しかし民を思う気持ちは歴代一とうたう民が多く、こうして都から五里離れたとはいえ、西域や世界各国の料理を出す店が増えたのは、ひとえに元皇帝の懐の深さを表している。


 この店のカリーは日によって赤い色の時もあれば、鮮やかな緑の時もある。共通するのは、そのいずれもが頬が落ちるほどに美味しく、幸せの極みへといざなうことだろうか。香辛料の香りは鼻だけでなく、口に含むと舌から鼻に抜けてすがすがしい。甘みを出す丸いネギは、なにか特別なことをしているのか、辛さがなくなり甘さが際立つ。


「この、主人を出せ!」


 今日も平和な昼下がり、そろそろ昼の分が売り切れるであろうその時刻、とある男が小料理屋に押しかける。髭を蓄えた四十歳ほどの恰幅の良い男だった。しかし、顔がげっそりとこけて、唇はカサカサに乾いていた。顔から生気が抜けたかのように、男は怒りに任せて店の戸をくぐり抜けたのだった。


「ここの料理を食って、食中毒で腹を下した! どう責任を取ってくれる!」


 客はほとんどはけ、残るは一人のみであった。客は外套を頭からまとっており、客の顔はまるで見えない。怪しいことこの上ないが、この店に来るものはこういった訳ありも多い。男は客など気にもとめず、奥にいる男主人を怒鳴りつけた。訪れた男に、最後の客はなんら気にすることなく、注文を済ませるのだった。


「せっかくの馳走が、不味くなるではないか」


 客がごちた。男主人が厨房から出てくる。だいぶ背の低い男だな、と客人は思った。西域の布(ターバン)を頭に巻いて、顔も隠したそれであり、男からも客からも、そのかんばせはわからない。わからないのだが、男が口を開いた。


「返金、いや、今日の分の賃金を保証しろ!」

「俺の店の食事が原因か? 食中毒とは、どんな症状で?」


 男主人の声は高く、女という方が自然だった。嫌味なく声音は明るい。なんら動揺しないのは、自分の料理への誇りだろうか。確かに、この店で食中毒なんて今まで聞いたことがないし、この男が食中毒だというのなら、他の客だって同じ症状が出るはずだ。男が腹を抑えて、男主人にかみついた。


「吐き気と下痢。頭痛もする」

「さようですか。ですが、ほかのお客さんはなんともない。それを見るに、ほかの食物で食中毒になったのでは?」


 男主人が冷静に返す。至極真っ当な答えに、客はふむ、と頷いた。度胸もある、料理も上手い。この男主人は、なかなか大したものだ。

 しかし男は考えるまでもなく、


「今日は芋をふかしたものと、ここの昼飯しか食ってない。となれば、ここの飯のほかにあるまい」

「芋を? なんの芋です?」

「ジャンカルから仕入れた、庶民が食ってる、腹ふくらましの貧しい芋だよ」


 うむ、と今度は男主人が頷く。この男が言っているのは、最近この国にもたらされた、『じゃがいも』のことだろう。だとしたら、この男の症状には、宛がある。男主人はそのままずいっと男に寄ると、


「じゃあ、その芋を見せてくれませんか」

「ああ、いいとも。なんの変哲もない、ただの芋さ」


 その足で、男の家に向かうこととなった。最後の客人は、ほうっと男主人を見ている。にやにやと言った方が正しいかもしれない。客も席を立ち上がり、今度は貼り付けた笑みを男主人に向けるのだった。


「時に、ご主人。わたしもご一緒してよろしいか?」

「お客さん? 一緒に来たってなにも楽しいことなんてないですよ?」

「いや。ご主人が帰らねばわたしのカリーが作ってもらえぬゆえ。それに、お手並み拝見と行こうと思って」

「お手並み?」

「いや、こちらの話だ」


 そうして、男と、男主人と客人の三人で、男の家へと向かうのだった。冬の空はだいぶ寒く、三人は体を震わせながら男の家へと案内される。

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