本物ではなくとも
山本アヒコ
本物ではなくとも
私の仕事は、この家の主人である男性の家事すべてを行うことだ。
「おかえりなさいませ」
「ああ。ただいま」
帰宅した彼はランドリールームにスーツのジャケットとネクタイを投げた後、テーブルへと着席するのがルーティーンだった。
「今日は薬膳粥にしました」
時刻は日付が変わりそうな頃。これから彼の夕食というわけではない。すでに仕事関係での会食を終えたあとである。
「ありがとう」
カフスを外し袖を開いた彼は大きく息を吐いた。
手首に巻かれた最新型のスマートウォッチは、自動で体の状態を感知しそのデータを送る。そのデータを元に食事を用意するのも私の仕事だ。データによると、会食ではあまり料理を口にしていない。普段より多くワインを飲んでいる。AIによる計算ではストレス値が正常時より高い。
今夜の会食は高級フレンチレストランだったので同じものは避ける。以前はライスよりもパンやパスタ、味付けの濃いものを好んでいたが、最近は薄味の和食もよく食べるようになった。
「…………」
食事をしている彼の対面にある壁に、南極の光景が表示された。ペンギンやアザラシが氷の上で戯れる様子。音楽は無く、動物の鳴き声と波や風の音だけが聞こえる。
ペンギンの鳴き声とスプーンが皿に当たる音が共に聞こえる部屋は、静かだ。彼には今それが必要だった。
先週彼の婚約者が家に来たときは、壁にKーPOPアイドルの動画が映し出されていた。
結婚を間近に控えている彼は、かなり疲れている様子だ。二十代で起業した会社は順調に大きくなり、三十歳となった彼は高級ブランドのスーツを着て、高層マンションの上階にある広い部屋を家にとして暮らしている。美しい婚約者もいて、端から見たら順風満帆に見えるが現在の彼はただ疲れた男のようだった。
私は彼のグラスにノンカフェインティーを注いだ。スプーンが止まり、こちらの顔を見上げた。
「……ありがとう」
私は口の両端を持ち上げて微笑む。
最近は彼から感謝の言葉をもらう事が多い。彼に『買われた』頃は言葉すら返してもらえなかった。
会社の規模が大きくなり以前より安定してはいるが、まだまだ安心はできないと愚痴をこぼす姿を以前見た。自分ひとりで立ち上げた会社には、まだ彼が信頼を置ける相手はいないのかもしれなかった。
婚約者と共にいるときも、以前は笑って彼女を見ていたが、最近は目を合わせている事が少なくなり、ときおり冷たい目で背中を見ている事もある。
「どうかご自愛してください」
自然とそんな言葉がこぼれていた。
「ああ……うん」
彼は一瞬驚いた顔をして、小さく笑った。
「なんでっ!」
結婚式直前で彼と私の関係を婚約者に知られてしまった。
「コイツが何かわかってる?」
「ああ、わかってる」
「だったら、どうして? アンドロイドなんだよ!」
私は家庭用生活サポートアンドロイド。電子機器の知性と、金属の体を持つ存在。
「そうだ。確かに人間じゃない。でも、俺には必要なんだ」
「気持ち悪い!」
婚約者は恐ろしい形相を浮かべたまま去っていった。
「よかったのですか?」
「ああ、もういいんだ。それより、新しく届いたやつを使ってみよう」
床に転がっていた箱を私は手に取る。配達されたこれを婚約者に見られたのが、この騒動の原因だった。
「それでは装着してみます」
銀色に光るステンレスディルドを私は股間に装着した。
本物ではなくとも 山本アヒコ @lostoman916
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