第23話 男子の秘密

「う、う〜〜〜ん〜〜ッ」


 伸びの代わりか、センジュは浮遊椅子のマジックハンドに、己の首や肩を揉ませる。


「酷い目にあった」


「先輩が今まで掃除をサボっていたからでしょう」


 エンマの冷静なツッコミに、半眼を向けるセンジュ。対してエンマの方は、それを気にするでもなく、縫い物をしていた。


「何してるんだ?」


「雑巾縫っているんですよ」


 部屋の掃除機掛けが終わったエンマは、ウカの説教の途中から、せっせと雑巾を縫っていた。


「手慣れているな」


「寺じゃ、普通の事でしたから」


「ああ、寺の小坊主と言うと、確かに寺の外廊下を雑巾掛けしているイメージがあるな」


「そうですね。お風呂の時にも言いましたけど、そこら辺は『作務』に含まれる部分なので、日常です」


 エンマの言葉に納得するセンジュの眼前、ローテーブルには、4枚の雑巾と、タオルを破いて作ったハタキが置かれている。


(ハタキまで手作りするのか)


 と呆れるセンジュ。


「針と糸なんて、どこから持ってきたんだ?」


「え? 元から携帯していた私物ですけど? 普通、裁縫セットを持ち歩きません?」


「……少なくとも、俺は持ち歩かないな」


「ああ……」


「何だ、その視線は」


「いえ、別に」


 センジュのジト目に目を逸らすエンマ。


「まあ、過ぎた事は良い。エンマ、射精しろ」


「はい。…………はいいいっ!!!?」


 あまりにもなセンジュの斜め上の言動に、驚きが隠せなくなり、思わず針で左の人差し指を刺してしまったエンマ。それを舐めながら、何とも複雑な視線をセンジュへ向ける。


「うちの寺は衆道しゅどうは行っていないのですが?」


 これに顔をしかめるセンジュ。心外だとその顔が語っている。


「俺だって、男色の趣味はねえよ。そうじゃない。精子が欲しいから、手淫でもしろ。って言っているんだよ」


「精子が欲しい?」


 センジュの言っている意味が分からず、こちらも顔を険しくしかめるエンマ。これにセンジュは、1から説明しないといけないのか、と嘆息する。


「エンマの体内の龍血細胞は、他の龍血細胞と違って、RNAではなく、DNAを形成しているって話は、姉者から聞いているか?」


「はい。何でも、47本目の染色体となっているとか?」


「そうだ。が、普通、人間に限らず、生命の染色体数は偶数なんだよ。蝿だろうが、人間だろうが、植物だろうがな」


「そうなんですか?」


 まるでピンときていないのが丸分かりのエンマに、頭痛がしてきて、眉間をマジックハンドで揉むセンジュ。


「ああ。エンマがどれだけ異質か、理解出来たか?」


「何となく?」


 これは理解出来ていないな。と思いながらも、センジュは説明を続けた。


「染色体は、普通は細胞分裂の際に全部がコピーされるんだが、生殖の場合、減数分裂と言う分裂で、半分だけコピーされた、生殖細胞が生殖を担う事になる」


「ああ、何か中学で習ったかも?」


 この反応に嘆息しながら、センジュは説明を続ける。


「半分に減ると言う事は、生殖行動によって、その対となる半分と合わさり、新たな細胞になる事を意味する。だから生命の染色体数は偶数なんだよ」


「成程?」


「それなのに、エンマの染色体数は奇数だ。となると気になるのは、余り1のその染色体は、顕性遺伝子なのか、潜在遺伝子なのかと言う部分になってくる。分かるな? な?」


 センジュの説明に熱が籠もってきた。


「えっと、つまり、俺の龍血細胞が顕性遺伝子だったり、生殖細胞に含まれているなら、俺の特性が次世代に継承されるけれど、これが潜在遺伝子なり、生殖細胞に含まれていなかった場合、俺以外にはこの龍血細胞は対応しない。誰にも受け継げない。って事ですかね?」


「そう! 理解して貰えて俺は嬉しい!」


「はあ」


 テンションの上がったセンジュに、ちょっと付いて行けないエンマだった。


「だ・か・ら! 俺はエンマの精子が欲しいんだよ!」


「無理です」


 きっちりと、何の為に、エンマの精子が必要か説明したと言うのに、それを真っ向から拒絶され、頭を掻き毟るセンジュ。


「何でだよ! ちゃんと理由を説明しただろ!」


「そう言われましても。俺はこれでも一応仏僧なので、不邪淫戒と言って、道徳に反する性行為はしないんです」


 これには顎が外れるくらいに驚くセンジュ。


「え? マジで言ってる? 手淫くらい良いだろ?」


「良いだろ? と言われましても、そもそも手淫なんてした事ないので、やり方も分かりませんし」


「手淫を、した事がない??」


「はい」


 その清らかな瞳で、エンマはセンジュに即答する。


「いや、え? 脳がバグる。この世に手淫をした事がない高1なんて存在するのか?」


「いや、いくらでもいると思いますけど」


「いやいや、0.1%もいねえよ、そんなやつ!」


 冴えるセンジュのツッコミ。


「そんな事を言われても、戒律を守っているだけなので」


「いやいや、そこは、戒律には反してしまうけれど、己の欲望には逆らえない。ってなる部分だろ?」


「え? なりませんよ。この不邪淫戒は、五戒と言われる仏教徒が守るべき基本的な戒律に挙げられているんですけど、その中には、不偸盗ふちゅうとう戒と言う、盗みをしない。と言う戒律もあります。先輩は盗みをした事ありますか? ないですよね?」


「そりゃあ、盗みはないけど、性欲って言ったら、食欲、睡眠欲と肩を並べる人間の三大欲求だぞ? それを我慢出来るのか?」


「うちは武芸寺なので、逆にこの不邪淫戒だけは守る人が多いですね。何かこれを守ると、強くなれると言う、まことしやかな言い伝えがうちの寺にはあるので」


「……試合前のボクサーかよ」


 センジュは、エンマに話が通じな過ぎて、ツッコむ気力も失せていた。因みにこの世界では、ボクシングは体重別ではなく、龍血別で試合が組まれる。


「……はあ。まあ、でも宗教的な理由で無理だと言われると、それ以上踏み込めないか。じゃあ、やる事を変えよう。エンマの戦闘データを取りたいんだが」


「そっちは先程言われていたので、オーケーです。ちょっと待って下さいね。これを縫い終わらせますから」


 とエンマは雑巾の続きを縫い始める。


「それ縫い終わったら、こっちの手伝いをして貰うからな」


「はい。本当は今日のうちに掃除を済ませてしまいたかったんですけど、これは今日中には終わりそうにないので、水拭きから拭きは明日に持ち越しですね。それは良いんですけど、道場や擬似戦闘訓練室の使用って、深夜0時までじゃありませんでしたっけ?」


 雑巾を縫い終え、ローテーブルに置いたところで、掛け時計に目をやりながらセンジュに尋ねるエンマ。


「問題ない。こっちへ来い」


 とセンジュは口角を上げると、部屋の奥へと向かう。そして本棚に並べられた本の1つを動かすと、部屋の奥、薬品や実験器具などが置かれた備品棚の一角が、更に奥に向かってゆっくりと動き出した。その向こうに現れる隠し部屋。


「そ、それは! 男の子なら一度は夢に見る、本棚を動かして入れる秘密の部屋!」


「ふっふっふっ、ようこそ。真の300号室へ」


 そう言ってセンジュは、エンマを棚の奥へと招き入れるのだった。

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