第3話 春遠からじ

 時は流れ、征龍暦81年3月━━。中学の卒業式の翌日。シュラとラセツは東亰にある征龍軍第一特別高等学校へ入学する為、地元の駅まで来ていた。


「お国の為、しっかり頑張ってきな」


 梅ばあは柔和な顔で、書生服姿の2人に風呂敷を渡す。見送りは梅ばあに、一緒に切磋琢磨した円月寺の武僧たちに、地元の支援者である檀家の大人や子供たち。ここにエンマの姿はなかった。


 皆が口々に別れの挨拶を贈る中、2人の視線はどうしてもここにいないエンマの姿を探してしまっていた。


「全く、あの子もまだまだ子供だって事だよ。自分の弟分が旅立つって言うのに、見送りの一つも出来ないんだから」


 2人の様子に気付いた梅ばあが、呆れ顔でそう愚痴る。


「でも、気持ち分かりますから」


 シュラの言葉に、ラセツも首肯する。


「そうかい? ……そろそろ汽車が出発する時間だね。シュラ、ラセツ、私が見ていない場所で死ぬんじゃないよ」


 梅ばあの言葉に2人は頷き、見送りに来た皆へ別れの挨拶を述べて、東亰行きの電車に乗り込んだ。


 ◯ ◯ ◯


「結局、エン兄来てくれなかったね」


 電車が出発して暫くして、車窓から景色を見ながら、ラセツがぽつりと呟く。車窓の向こうでは雪を被った円月山に、麓では梅が咲いている。もう少ししたら桜も見れるだろう。


「そうだな。でも、今生の別れって訳でもないんだし、今度帰ってきた時に、土産話をいっぱい持ち帰って、悔しがらせてやろうぜ」


 ボックス席で向き合う2人は、そう笑い合うが、すぐに気が沈んでしまう。


「梅ばあ様が持たせてくれた風呂敷、何が入っているんだろう?」


 流石にこれ以上暗い気持ちになるのを避ける為、シュラは話題を変え、ラセツの膝の上の風呂敷に視線を向けた。それを感じ取ったラセツが、梅ばあに渡された風呂敷を開けると、中には経木きょうぎに包まれたおにぎりがどっさりと入っていた。


「お? それって梅ばあが握ったおにぎり?」


「だと思う」


「やったぜ。俺、今日朝から何も食べてなかったんだよねえ。一つ貰うね」


 そう言ってエンマは、隣りの席からラセツの膝の上のおにぎりに手を伸ばすのだった。


「…………」


「…………」


「うわ、梅かよ。俺、昆布が良かったなあ」


「!?」


「いや、エン兄なんでここにいるの!?」


 エンマが同じ電車に乗っている事に、今更になって驚く2人。


「ん〜? なんでって、俺も東亰に行くからだけど?」


 何を今更? と当然のように逆に不思議そうな顔をするエンマ。


「いやいや、エン兄、地元の高校に進学が決まっているじゃないか」


「うん。だから観光だよ、観光。中学の卒業旅行ってやつ? 俺も真っ赤な東亰電波塔とか明治神宮行ったり、浅草寺の雷門とか見たいもん」


「観光って……」


 思いもよらぬエンマの発言に、堪らず顔を見合わせるシュラとラセツ。きっとこの事を梅ばあたちは知る由もないのだろうと思い至り、帰ってきたら怒られるまでセットだな。と溜息をこぼすも、エンマが初めての東亰まで付いてきてくれる事に、わずかならずの安心感を覚える2人であった。


 ◯ ◯ ◯


「着いたぞっ! 東亰ーー! 人多っ!! いやあ、長旅ご苦労様でした!」


 赤レンガの東亰駅をバックに、2人に頭を下げるエンマ。その格好はいつもの烏色のどてらに書生服に肩掛けバッグ、手には錫杖を持っていた。それが梅ばあの錫杖だと先程知り、何とも言えない気持ちになっているシュラとラセツ。


「は〜い、じゃあ記念に写真撮るぞー」


 スマホを取り出したエンマが、東亰駅をバックに3人が収まった写真を撮る。それを直ぐ様梅ばあに向けてメッセージアプリで送信するエンマ。そして滝のように流れる梅ばあからの返信。2人がそれを確認すると、お叱りの言葉にこれ程種類があるのかと、感心する程多彩な叱責が流れている。東亰に着くまでの道中も、エンマがまるで煽るかのように写真を梅ばあに送るものだから、これが旅中ずっと続いていて、2人は既に疲れ切っていた。


「じゃあ、俺たちはこれから学校だから」


「おう!」


 もう付き合いきれないと、エンマに別れを告げるシュラとラセツ。東亰に着けば、感動の別れが待っていると思っていた2人には、大きな誤算であったが、変にしんみりする事もなく、大好きな同年の兄と別れられる事に、安堵の気持ちもあったのだった。


「エン兄、ちゃんと帰るんだよ?」


「ん〜? うん、分かってる分かってる」


「無駄遣いとかしないでよ?」


「路銀がなくなったら托鉢でもして、行脚しながら帰るさ」


 エンマなら本当にしかねないと、不安しかない2人。しかしもう時間も時間なので、これ以上エンマに付き合っている訳にもいかない。2人は念を押しながら、また東亰駅構内へと戻って行ったのだった。


「…………さて、行ったか。じゃあ、こっちも本命へ行きますかね」


 ◯ ◯ ◯


 都内にあるとある病院内で、エンマは自分の番が来るのを待っていた。


「司馬さ〜ん、司馬エンマさ〜ん」


「はい」


 名を呼ばれたエンマは、緊張しながら立ち上がり、診察室へと入っていった。


「え〜、司馬エンマくんだね?」


 白髪混じりの髪を後ろへ撫でつけた男の医者が、エンマが事前に送付しておいた龍血適応結果のコピーに目を通す。


「人工龍血一号か……。本当に良いのかい?」


 ここに来て再度確認してくる医者。人工龍血一号の適応者は、普通は龍血を体内に注入する事をしない。人工龍血一号で得られる結果は『身体能力強化・微』と言う、あってもなくてもあまり変わらない結果である為、わざわざ異物を注入する事をしないのだ。


「はい!」


 しかしエンマははっきりと医者の目を見て断言した。それでも人工龍血一号を注入する理由として多いのが、これが体内にある事で、龍気治療の対象となれる事にある。


 龍気とは龍血適応者が使えるようになる摩訶不思議な能力であり、これによって身体能力が強化されたり、炎や氷、雷を操ったりと言った、超常の力の源となるものであった。龍気治療はそれを身体の治癒に使う技術である。


 武僧であるエンマは、なんだかんだと今後も戦いに身を置く事になる。ならば最弱であっても、ここで龍血を注入しておいて損はない。との考えから今回の行動に出たのだった。地元ではなく、東亰でこんな行動をするのは、梅ばあから、龍血を注入する必要はない。と言い聞かされていたからだ。


 エンマの決意は固いと感じ取った医者は、そこに特に感情もなく、看護師が用意した人工龍血一号の入った注射器を手に取り、それを事務的にエンマの左腕に注入する。


「はい、終わりましたよ。一号だからそんな事ないと思うけど、この後1、2時間様子をみて、気分が優れないようなら、連絡して下さい」


「分かりました」


 医者の言葉に首肯したエンマは、立ち上がろうとしてふらつき、慌てて錫杖に寄り掛かる。


「大丈夫かい!?」


「大丈夫ですか!?」


 思わぬ事態に、医者も看護師も心配そうに声を掛ける。それに対して「大丈夫」と返そうとしたエンマであったが、それより先に気が遠くなり、エンマはそのまま気絶してしまったのだった。

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