龍と血と…【The dragon's blood go into overdrive】

西順

第1話 だるまさんがころんだ

「だるまさんがころんだ!」


 初夏。蝉が鳴き出すにはまだ早い、6月下旬。長い白髪を首の後ろで無造作に縛った少年、年の頃は15。白いバンドカラーシャツに鼠色の袴、足元は足首までカバーしたゴツい真っ赤な登山靴と、一見書生のような格好に、上から中綿を抜いてペラペラの烏色のどてらを着たその少年が、木に伏せていた顔を振り返ると、小学校低学年かそれより小さいと分かる子供たちが、ピタリと止まる。


「お? 中々やるじゃないか。なら、次行くぞ。だるまーーさん、が、ころんだっ!」


 言葉に緩急を付け、もう一度振り返った少年が目にしたのは、眼前で少年を凝視する赤紫の髪に紫の袈裟を着た老婆であった。


「ぎゃーー!? 奪衣婆だつえばぁっ!?」


「誰が奪衣婆だい!」


 言って老婆は手に持つ鉄輪の付いた錫杖を、少年の頭目掛けて振り下ろす。シャンと鉄輪が音を鳴らすも、錫杖が少年の頭に当たる事はなく、少年は眼前で錫杖を真剣白刃取りの要領で両手で止めていた。


 老婆が怒るのも無理からぬ事。寺の境内で務める小坊主が遊んでいれば、それを注意するのもこの寺を預かる者の責務である。


「なんだ、梅ばあかよ。あまりにカラッカラだったから、三途の川から奪衣婆が襲いに来たのかと思ったぜ」


「ふん。あんたは昔から口が減らないねえ、エンマ。修行をサボって、こんなところで檀家の子供たちと何を遊んでいるんだい?」


 錫杖を収めつつ、自身の攻撃を防いだ『エンマ』と呼んだ少年を、呆れまなこで見遣る『梅ばあ』と呼ばれた老婆。これに対してエンマは、自信ありげに腕を組んで、自身よりも10センチは背の低い梅ばあを見下ろしながら、口を開く。


「坐禅に立禅、歩行禅に寝禅と、この世に禅は数あれど、これは俺が考えた禅。遊禅だ! なんと遊んでいるだけで悟りを開けると言う優れものだぜ!」


「そんな禅ある訳ないだろう! うちは武芸寺ぶげいじだよ! こんな事している暇があるなら、素振りの一つもしてな!」


 直ぐ様反論と共に飛んでくる梅ばあの錫杖を、少年はもう一度真剣白刃取りで受け止めてみせるのだった。


「まあまあ、梅観ばいかん阿闍梨あじゃり。説教もそれくらいにして。今日はエンマくんにとっても、特別な日になりますから」


 そう言いながら2人に声を掛けてきたのは、年は30を過ぎたところの僧侶であった。その手には3つの封筒が握られていた。


「おお! 藤利とうり僧正そうじょう、それってもしかして政府から来た龍血適応診断の結果発表?」


「ああ。ラセツくんとシュラくんのも来ているから、2人と一緒に結果を確認しよう」


 藤利の言葉ににんまり顔となるエンマであったが、梅ばあは1人複雑な顔でそれを見詰めていた。


「ええ〜、エン兄とも来年からは遊べなくなっちゃうのかあ」


 子供の1人がそう口にする。他の子供たちも寂しそうだ。


「済まんな、餓鬼ども。俺は征龍軍に入って、龍から国民を守ると言う崇高な使命を、仏様から授かっているのだよ」


 などと顔に手を当てて格好付けるエンマを見て、子供たちは半眼を向ける。


莫迦バカ言っていないで、行くよ」


 呆れた梅ばあは、そう声を掛けると、1人先頭に立って寺の裏手へと歩き出す。それに追従する藤利とエンマ。その先に見えるのは長い長い階段であり、ここより先はこの寺で武芸を磨く住み込みの武僧たちのみが立ち入る事を許された、謂わば聖域であった。


 山をまるまる寺に改装した、ここ円月峯寺は、武禅一如を掲げる円月流武芸を修める者たちが集まる総本山であり、そして、たとえここで修行をする武僧たちであっても、階層によって行ける段階を厳しく制限していた。


 一番低い場所は、見習いや下伝の者の修練施設。その上の階は中伝の者、そして一番高い場所には、上伝や皆伝の者が、日々修行に明け暮れている。


「はあっ!!」


 そんな最上階、円月峯寺の深奥。いくつかの寺院や僧坊が立ち並ぶ中、一番目立つ武舞台で、浅葱色の道着を着た2人の少年が、棒を手に対戦していた。


 まず目を引くのは大男と呼んで差し支えない、身長190センチ近い巨漢の少年。浅黒く焼けた肌に、深い彫りの顔も相まって、その威圧感は立っているだけでも相当なものを放っている。対するは細身の少年。怜悧なその眼が相手を射抜き、相手の全てを丸裸にするような、そんな眼を巨漢の少年へ向けている。


 2人は地面から眉の高さまでに切り揃えた棒、精眉棒しょうびぼうを両手で構え、対峙していた。円月流武芸は、武芸十八般を地で行く流派で、刀剣、槍に薙刀に弓は勿論、手裏剣などの暗器も当然、鎖鎌や独鈷杵とっこしょ戦輪チャクラム、扇、煙管などの変わり種、無手での格闘術、縄などによる捕縛術、銃術、水泳術、馬術など、修める武芸は多岐に渡る。そんな円月流の武器術の術理の基礎にして真髄となるのが、2人の少年が持つ棒であった。


 古来より、突けば槍、払えば薙刀、打てば太刀と呼ばれるように、棒を自在に操る事は、全ての長物武器を操る礎となるもの。上伝以上が住まう寺の最奥において、これらを扱うとなれば、それはただの棒が確殺の凶器に変わる事を意味していた。


「はっ!」


 短い呼気と共に怜悧な眼の少年が棒を槍の如く突き出せば、空気が破れる音が、今上階に着いたばかりのエンマたちの下まで届く。それ程に切れ味のある突きを、巨漢の少年は右半身となって軽くいなすと共に、手に持つ棒を上段へと構え、寸毫の間にそれは武舞台の石畳に打ち付けられる。しかしそこに怜悧な眼の少年はおらず、危機を察した少年は、滑るような足運びでその場から後退し、巨漢の少年の攻撃を、紙一重で躱していた。


 その後も少年たちは、まるで銃弾が飛び交う戦場のような音を鳴らしながら、棒を振り回し、互いに攻防を続けていく。それは一度でも食らえば怪我では済まない確殺の殺人術であり、しかしてその攻防は、見る者を魅了してその眼を惹きつけて離さない、見事な演舞の如きであった。


「あれは完全に2人の世界に入っちゃってますねえ」


 梅ばあに付き従う藤利が、額に片手を当て、困ったと言わん声音でそう口にする。


「エンマ、ラセツとシュラをあの極楽から引き戻してやりな」


「へ〜い」


 梅ばあに軽く返事をしたエンマは、「すう」と一つ息を吸うと、


「破っ!!」


 と大声と共に両手を強く打ち鳴らした。その轟音と振動は山に響き渡り、山の鳥たちが一斉にして飛び立つ。


 円月流・呼法━━合掌。


 この大音声には、流石の2人も武の極楽より呼び戻されたようで、我に返ったようにハッとしてその手を止めて、音の出所であるエンマへ視線を向ける。


「エン兄!」


 怜悧な眼をした少年が、そんな目付きもどこへやら、破顔してエンマに声を掛けてくる。


「シュラっち! 龍血の結果が届いているから、僧坊の方で確認しようぜ!」


「分かった!」


 怜悧な眼の少年『シュラ』は、エンマの言葉であればと、素直にこちらへ歩いて来る。


「ラセっちも!」


 エンマの視線は今度は巨漢の少年『ラセツ』に向けられ、これに少年は静かに頷き従う。


 ◯ ◯ ◯


「いやあ、俺たちも、とうとう戦場に身を置く年になっちまったなあ」


「いやいや、軍学校に入学するだけだから」


 場所を僧坊の一角に移した5人。何がそんなに嬉しいのやら、エンマは封筒を持った藤利よりそれを恭しく受け取ると、これの端をビリビリと破り開封する。それに苦笑を漏らし諌めながら、シュラとラセツも封筒を開封した。


「どうだった?」


 藤利は、シュラとラセツの2人の顔が、興奮で紅潮しているのを分かっていながら、敢えて2人に尋ねた。


「やっべー……。俺、天然龍血王等級でした!! しかも首都の征龍軍第一特別高等学校への推薦付き!」


「僕も」


 シュラとラセツは互いに顔を見合わせ、特上の笑顔で互いにその結果を喜び合う。そして直ぐ様自分たちだけじゃなかった事を思い出し、そして同年の兄貴分である彼ならば、自分たちより最高の結果がもたらされている事を確信し、エンマの方を向いた。


「エン兄! 結果は!?」


 しかし、シュラの問いに返答はない。あるのは、真っ青な顔でわなわなと龍血適応結果の用紙とにらめっこをしているエンマであった。


「……エン兄?」


 再度の問い掛けに、我を取り戻したエンマは、何かを覚悟した顔で、その結果を口にした。


「……人工龍血一号……だった」


 これに、場の空気はお祝いからお通夜に変わった。

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